5.1.2c 古レールの刻印の調査 (首都圏南部のJR)1st wrote at 1999.10.08 / Last update at 2004.11.03
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駅・路線ごとの古レール調査結果のうち、首都圏(ホリデーパスのエリアに限定)のJR線で、日本鉄道敷設の各線とその枝線以外(山手線,武蔵野線は含まない)の沿線のリストです。これ以外の首都圏は首都圏北部JR,その他のJR東日本エリアは東北日本のJRと関東甲信地域のJRにあります。
ここにあるリストは、主観を排除するため、現地で判読できた文字列をそのまま記載してあります。従って、間違いや抜けがあるまま載せている可能性がありますので、ご理解とご注意の程よろしくお願いします。 順番は、県別(県番号順)に駅・路線を並べ、以下に製造元名のABC順としています。 路線(50音順) |
(pref.13) 青梅・五日市線青梅線(元の青梅鉄道−青梅電気鉄道,1894−1944)・五日市線(元の五日市鉄道,1925−1940)の沿線で見た古レールです。五日市線では、駅施設に古レールは見られませんでしたが、境界柵などには若干見られます。 青梅線では、青梅−立川間で、 青梅駅構内(跨線人道橋,駅上屋は記録ミスで不明),東青梅(跨線橋),羽村,牛浜,拝島の各駅にホーム上屋などに古レールが利用されています(下線付きのみ調査済み)。なお、拝島〜立川の各駅では古レールは確認できませんでした。 |
跨線橋
【凡例:(M) 御嶽 (I) 大久野−岩井(廃線) (H) 拝島】 |
拝島駅:古レール利用の跨線橋 |
(pref.13) 高尾(中央東線)中央本線のうち、東京都内で三鷹以西の各駅のホーム上屋で、駅のホーム上屋などに古レールが利用されているのを確認しているのは、次の各駅です(下線付きは調査あり)。高尾,国立,武蔵小金井,武蔵境,三鷹電車区構内(跨線人道橋)高尾は以下で、国立,武蔵境,武蔵小金井は次項以下に整理しました。 このうち立川〜三鷹間に関しては、高架化工事により仮線に移行済みおよび移行の予定で、従来のホーム上屋や跨線橋は使用停止・撤去となるようです。そのため、古レールが見られるのも期限つきです。 高尾駅には、古レールで作られたホーム上屋がかなりの数あり、2つある跨線橋も古レール利用となっており、古レールの宝庫駅と言えるでしょう。
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【凡例: (1) 1,2番線ホーム上屋 (3) 3,4番線ホーム上屋 (T) 東京方跨線橋 (S) 塩尻方跨線橋】
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(pref.13) 国立(中央東線)国立駅では、1番線ホームの上屋,2番線ホームの上屋,駅舎に古レールが見られます。国立駅の駅舎は、優れたデザインの駅舎として有名ですが、支柱,梁,ひさしなどに古レールが使用されています(2004年7月現在)。 1番線(下り線)のホーム上屋と2番線(上り線)のホーム上屋の東京方は類似したレールが使用されています。この中には、官営八幡製鉄所の1904〜1916年製と見られるレールを多数見掛けましたが、ほとんどが不明瞭で、製造年等は不明です。
この駅も、中央線の高架化工事に伴い、ホーム上屋などが撤去されそうです。日本で最初の鋼製平底レールである、CAMMELL の1880年製,1881年製レールが見つかっています。何とか保存の手だてを打ちたいところです。もし、工事関係者の方がこれをご覧になっていたら、ご一報を下さい。 |
【凡例: (1) 1番線ホーム上屋 (2) 2番線東京方ホーム上屋 (S) 2番線塩尻方ホーム上屋 (E) 駅舎】
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国立駅:
古レール利用の駅舎 ひさし部の柱も古レール |
(pref.13) 武蔵小金井(中央東線)武蔵小金井駅では、下り線の1番線ホームの上屋,上り線と中線の2,3番線ホームの上屋,2つある跨線橋に古レールが使用されています。跨線橋の古レールは、塩尻方のものは内部の梁に使われている程度(だったよう)ですが、東京方のものは支柱も含め古レールが多用されていたものでした。これといった古レールはありませんでしたが、数は豊富です。 |
武蔵小金井駅:古レール利用のホーム上屋 |
(pref.13) 武蔵境駅(中央東線)武蔵境駅ではホーム上屋,跨線橋に古レールが見られ、上り線の1番線ホームでは多種のレールが見られましたが撤去されたようです(私が行ったときは撤去中だった)。下り線と西武多摩川線の2,3番線ホームは、横浜鉄道発注の CARNEGIE のみとなっているようです。 跨線橋の橋梁部の部材には南満州鉄道のマークの入ったレールが数本見られました。この跨線橋も高架化工事に伴い撤去されるようですが、満鉄マーク入りのレールをなんらかの形で保存・展示できることを願いたいです。跨線橋改札側の上部の梁のものが塗装を落せば、最も保存状態が良さそうです。 |
【凡例:(1) 1番線ホーム上屋,(3) 3番線ホーム上屋,(K) 跨線橋】 |
武蔵境駅:ホーム上屋と満鉄マーク入り
レールが多用されている跨線橋
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(pref.13) 中央東線(東京都内,三鷹〜大久保)東京都区内のうち、山手線の外側部分の中央本線(中央緩行線〜黄色の電車の線〜を含む。元の甲武鉄道,1889−1906)の各駅のホーム上屋で確認した古レールです。この区間では、荻窪?(跨線橋),東中野(跨線橋),大久保の各駅でホーム上屋などに古レールが利用されているのを確認しています(下線付きは調査済み)。 大久保駅には多数の鉄道会社が発注した CAMMELL 製レールがコレクション的に見られました。何故か大阪鉄道(OTK)のレールが多数見られるのが不思議です。ただし全体的に塗装が厚く、不明瞭なものが多いのが難点です。 東中野駅は、橋上駅舎の部材として古レールが支柱その他として使われています。私の調査は、「つまみ食い」状態で、完了していません。 |
【凡例:(N) 東中野 (O) 大久保】 |
(pref.13) 中央東線(東京都内,新宿〜東京)東京都区内のうち、山手線内の中央本線(中央緩行線〜黄色の電車の線〜を含む)の各駅のホーム上屋で確認した古レールです。ここは、意外にも古レールの楽園となっています。新宿駅では、中央本線快速線(オレンジ色の電車)の下り用ホーム(9,10番線)の一部に奇跡的に古レールを利用したホーム上屋が残っています。 千駄ヶ谷駅は、古レールで作った長いホーム上屋があるのですが、刻印が読めたのは1本だけでした。四ッ谷駅は2支柱だけ古レールの支柱が残っています。 飯田橋駅は、ホーム上屋などに大量の古レールがあるのですが、厚い塗装や、ウェブ面にアングル材を当ててリベットで補強したあったりで、刻印はほとんど読めません。神楽坂口方のスロープも古レール利用なのですが、通路内部から古レールが見えなくなってしまったのが残念です。 御茶ノ水駅にも、古レール利用のホーム上屋がありますが、人の高さ程度まで化粧板で覆ったものが多く、観察が困難となってしまったのが残念です。 代々木,水道橋は、古レールを利用した |
【凡例:(J) 新宿 (S) 千駄ヶ谷 (Y) 四谷 (I) 飯田橋 (O) 御茶ノ水】 |
新宿駅:古レール利用のホーム上屋
(中央快速線下りホーム)
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(pref.13) 両国(総武本線)総武本線(元の総武鉄道,1894−1907)の各駅停車の停車駅である両国駅には、総武本線が東京に乗り入れるまで都心側のターミナルとして利用されていた優等列車用のホーム(3・4番線)が残っています。これは、中央・総武線の各駅停車のホームより一段下に見えるホームで、現在は旅客用には使われておらず、立ち入りは困難な場所です。ある時、同ホームを利用して運転される団体列車に乗車する機会を得たので、発車待ちの時間を利用して、同ホームのホーム上屋の支柱を中心に古レールの調査を行ないました。 なお、総武本線の東京,御茶ノ水〜千葉間では、駅に古レールが確認できるのは、浅草橋と両国だけです(御茶ノ水,秋葉原を除く)。 |
【凡例: () 内の数字は、番線の番号 |
両国駅:3・4番線のホーム上屋 |
(pref.13) 蘇我(外房線・内房線・京葉線)首都圏近郊区間内の外房線と内房線の各駅のうち、古レールが確認できたのは蘇我駅だけです。外房・内房線上りが使用しているホームと京葉線が使用しているホームのホーム上屋と跨線橋の支柱に古レールが見られます。大半は、日本の八幡製鉄系の古レールでしたが、1本だけアメリカの TENNESSEE 製が見られましたものの遮蔽物があって製造年月が確認できないのが残念です |
【凡例: (H) ホーム上屋 (K) 跨線橋】 |
蘇我駅:
古レール利用のホーム上屋(京葉線ホーム)
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(pref.13) 東海道本線(東京都内,蒲田〜東京)東京都内の東海道本線(京浜東北線を含む)の各駅のホーム上屋などで確認した古レールです。この区間では、大森,大井町(跨線橋,撤去中?),田町(2001年秋撤去),の京浜東北線を中心とする各駅(品川は除く)で古レールを確認しています。 品川駅は、リニューアルされて奇麗になりましたが、旅客線の11,12番線に奇跡的に古レールが残っています。 田町駅には、南行線ホームに古レールが見られました。しかし、エスカレータなどのホーム設備の整備に伴って、2001年秋頃にホーム上屋のうち古レールを利用していた部分は撤去されてしまいましたが、官営八幡の1919年製がある1箇所だけ古レールが残りました。 大井工場は、工場公開日に確認したもので、台車検修場・電動機検修場のある建物(特に名称は無いそうです)の柱として古レールが使われていました。確認できた限りは、CAMMELLの1884年製ばかりでした。 |
【凡例:(U) 有楽町 (M) 新橋 (S) 品川 (C) 田町 (W) 大井工場】 |
(pref.14) 東海道本線(神奈川県内,平塚〜川崎)首都圏近郊区間(旧)内でかつ神奈川県内の東海道本線の各駅のホーム上屋等に見られる古レールです。この区間では、東海道本線:辻堂,横浜(跨線人道橋),花月園(跨線人道橋),川崎の各駅で古レールを確認しています。 駅のホーム上屋については未調査ですが、川崎駅か鶴見駅のどちらかで、北海道官設鉄道(HGR)発注の CAMMELL を見た記憶があります。 横浜としたものは、駅北側の跨線人道橋の部材に使われていた古レールです。 花月園としたものがありますが、これは東海道本線に平行する京浜急行の駅名(京浜東北線なら新小安〜鶴見間)です。東海道本線を跨いで、この駅に繋がっている跨線人道橋(花月園跨線人道橋)は古レールを利用して作られており、そこで確認した古レールです。 |
【凡例:(Y) 横浜(跨線人道橋) (K) 花月園】 |
新子安−鶴見間:古レール利用の
「花月園跨線人道橋」
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(pref.14) 南武線南武線(元の南武鉄道,1927−1944)のうち、府中本町−宿河原間(尻手−浜川崎間を除くほぼ全線で確認済みだったような気もしなくはない)では、稲城長沼(跨線橋),稲田堤(柵,ホーム基礎),中野島(ホーム基礎),登戸,宿河原(跨線橋)の各駅で、駅施設への古レールの利用を確認しています。 このうち、登戸駅のみ調査済みです。登戸駅では、跨線橋,1番線(下りホーム)立川方のY形ホーム上屋,駅舎支柱に古レールが見られます。全体的に塗装が厚く、刻印を判読できないものがほとんどですが、大半は八幡製鉄所系のようです。この中には、官営八幡製鉄所の1926〜1929年製や TENNESSEE と思われるものも多数ありましたが、製造年や製造月が読み取れないものばかりでした。なお駅舎支柱のものは、駅出口正面に見られますが、刻印は1本も読めませんでした。 |
【凡例:(N) 登戸】 |
(pref.14) 横浜線横浜線(元の横浜鉄道,1908−1917)では、全駅をチェックしましたが、駅施設への古レールの利用は確認できていません。なお一連の『レールの趣味的研究序説』に、比較的珍しいレールが多数あったようで度々登場する原町田駅は、小田急の駅と統合されて町田駅に移転してしまっていますので、ここの古レールも既に過去帳入りです。横浜鉄道発注を示す Y.T.K. の略号の入ったレール(CARNEGIE 製)は、関東各地で時々見つかりますが、地元には残っていないようです。 |
(pref.14) 鶴見線鶴見線(元の鶴見臨港鉄道,1926−1943)の各駅のホーム上屋などで見られた古レールです。武蔵白石−大川間にある日本鋳造(株)の正門前の踏切り(大川支線日本鋳造踏切り)は、ワイヤー上下式の踏み切りで、その支柱は古レールを利用したものとなっています。これは『クモハ12とオーストラリア製レール』に紹介されているもので、クモハ12なき今も現役でした。なお同記事によれば、イギリスの SCW (Steel Company of Wales) 社製と見られるレールもあるそうですが、これは見落としました。 |
【凡例:(S) 武蔵白石 (SO) 武蔵白石−大川】 |
武蔵白石−大川間:オーストラリア製
レール利用の「日本鋳造踏切り」
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