6.1.2  古レールの刻印を解読する(ドイツ製)

first wrote in 1999.10.09 / Last Edited in 2006.09.05

 古レールのメーカーごとの解説です。ここでは、ヨーロッパ製(除:英国製)のレールを集めてみました。メーカー名の読みとその国名(および生産地名)については、『レールの趣味的研究序説』,『レールの旅路』や各製鉄会社のウェブサイトなどを参考にしました。なおカタカナ表記に関しては、筆者の好みで一部修正した読み方があります。
 ドイツ製のレールは、英国製とともに日本の鉄道の初期に使用されました。KRUPP や UNION を中心に現在も多数がホーム上屋の支柱などとして余生を送っています。 

 かつてのレールメーカーの多くは、現在では ThyssenKrupp 社に統合されているようです。

 以下の順番は、製造元名のABC順としています。
 

| BOCHUM | DK | G.H.H. | KRUPP | PHOENIX | R.S.W. | THYSSEN | UNION D |
 

ボーフム(Bochum Verein Gesellschaft)

(富山2),(南蛇井) 60lbs. A.S.C.E. O.H.B.V.G. BOCHUM. III. 1924. MADE IN GERMANY.
(土浦) 【切断】BOCHUM 1【穴】5
(小田原@伊豆箱), B. V. G.BOCHUM.1922.
↑と (五百羅漢),(大雄山),(調布)
会社名: Bochum Verein Gesellschaft
(Bochumer Verein fur Bergbau und Gussstahlfabrikation かも ?)
所在国: ドイツ
所在地: Bochum(ドイツ西部の都市名でドルトムントの近隣)
略沿革:
  • 1926年に Thyssen 社などと合併して "Vereinigte Stahlwerke AG" となる。
  •  短い標記の1922年製は、伊豆箱根鉄道大雄山線の各駅で多数見ることが出来ます。同線が大雄山鉄道として開業したのが1925年ですから、同鉄道の開業時のレールと見て間違い無いでしょう。
     長い標記の1924年製は、上信電鉄の南蛇井で架線柱に再利用されているレールを確認していますが、駅構内の撤去レールを積んでいる箇所にしばしば見られ、同鉄道で多数敷設されていたと考えられます。

     ThyssenKrupp 社(および ThyssenKrupp Materials 社)のウェブサイトの社史のページによると、Thyssen 社などと合併したことがわかりましたが、その他の情報は正式な社名も含めて判然としません。

    60lbs. A.S.C.E. O.H.B. V. G. BOCHUM. III. 1924. MADE IN GERMANY
    上信電鉄 南蛇井駅(90度回転)

    ドイツ・カイザー(Gewerkschaft Deutscher Kaiser)

    (下仁田) DK 1912 工
    (琴電琴平) DK 1911
    (岡谷),(酒折) DICK.KERR. SANDBERG DK 1911
    (篠原) D K 1906 VI N T K
    会社名: Gewerkschaft Deutscher Kaiser
    所在国: ドイツ
    所在地: Hamborn(Duizburg の近傍)
    略沿革:
  • 1926年の Thyssen 社の再編により消滅か?
  • 1891年に August Thyssen 氏により買収される。
  •  『レールの趣味的研究序説〔補遺〕』では所在国名に触れておらず、詳細はよくわかりませんでしたが、ThyssenKrupp 社(および ThyssenKrupp Materials 社)のウェブサイトの社史のページから、 Thyssen 社の August Thyssen 氏が1891年に買収した会社で、その名の通りドイツにあったことが判明しています。ただし、1910年代のレールでは Deucher Kaiser の刻印が入っているようなので、この時点では Thyssen 社とは別会社という形態だったと考えられます。

     『レールの趣味的研究序説〔中〕』などでは、英国の "Dick. Kerr."(ディッカー)製とされていましたが、『レールの趣味的研究序説〔補遺〕』でカイザー製と訂正されています。"Dick. Kerr." 社 * は、鉄道車両の製造を主とする会社でした。鉄道車両は作っても製鉄部門は無かったようですから、この銘のレールは "Deucher Kaiser" 製と理解した方が妥当でしょう。"Dick. Kerr." と入っているのは、同社経由での発注であったなどの経緯があったのかもしれません。
     SANDBERG は、シリコン・スチール製レールの硬頭処理法の一つ(『レールの趣味的研究序説〔補遺〕』)で、この処理を行ったことを示しているようです。

     篠原の N T K は、どこの鉄道会社でしょうか。近畿地方の NTK は奈良鉄道の可能性が高いようですが、同鉄道の国有化は1905年2月であることから、1906年6月製造のこのレールは奈良鉄道発注ではなく、南海鉄道(現:南海電鉄〉の可能性が高いようです。

    * 同社の製品の国産化のために、1918年に設立されたのが、東洋電機 (株)だそうです。
    D K 1911
    ↑琴電琴平線 琴電琴平駅(35度回転) ↓中央東線 酒折駅(15度回転)
    DICKKERR SANDBER【穴】DK 1911

    グーテ・ホフヌングス・ヒュッテ(GuteHoffnungsHutte)

    刻 印 の 例 単位重量
    (登戸),(秋葉原) G.H.H. 1922 75 lbs
    (伊那上郷),(飯田),(西所沢),(ひばりヶ丘),(保谷),
    (大泉学園),(石神井公園),(江古田),(東長崎),
    (椎名町),(豊島園)
    G.H.H. 1926 60 lbs
    (若狭高浜),(世田谷) G H H 1924 60 lbs
    (下仁田) G.H.H. IV 1922
    裏面:MEIKI D.K.60 lbs A.S.C.E. 6040. O.H.
    (飯田),(南古谷) G.H.H. 1922 60 lbs
    (吉原),(松本) G.H.H.1921 60 lbs
    (小倉) G. H. H. 1903 H.T.K. 60lbs 2種
    (深溝) G H H1914 II 50lbs 50 lbs
    (飯田) G H H 1913 45lbsASCE
    (阿下喜) G.H.H.【切断】 45lbs
    会社名: GuteHoffnungsHutte(グーテ・ホフヌングス製鉄所)
    所在国: ドイツ
    所在地: Oberhausen(オーバーハウゼン)
    略沿革:
  • 2001年に Sulzer Turbo 社と合併して、"MAN Turbomaschinen AG" となる。
  • 1996年に合併により "GHH BORSIG Turbomaschinen GmbH" となる。
  • 1986年1月に MAN 社と合併し、"MAN AG" となる。
  • 1782年に Sterkrade にて設立。
  •  "MAN Turbomaschinen AG" のウェブサイトによると、GHH は製鉄会社というより、機械工業が得意な会社だったようで、現在はエンジン(内燃機関)のターボ機器製造が主力となっているようです。略沿革にある MAN(マン)社、Sulzer(ズルサー)社といえば、ともにディーゼル機関車「DF50」のエンジンの供給元となった会社でもあり、機械工業が得意であった裏付けとも言えるでしょう。

     GHH 製のレールは、西武鉄道で多数見られますが、官鉄関係でも75ポンドや60ポンドのレールが点々と見つかります。刻印の内容がシンプルで、断面サイズすら記されていないので、ひとつひとつ断面をチェック(計測)する必要があります。
     深溝(宇部線)の刻印はレール2本の合成です。小倉駅のHTKの発注社名のあるレールは、60ポンド第2種の断面のようでしたが、場所柄、博多湾鉄道の可能性が高そうです。

     なお、日本でのレール製造(官営八幡製鉄所)は、このグーテ・ホフヌンクグス・ヒュッテ社からの技術導入により開始されています。

    G. H. H. 1903 H.T.K.
    ↑鹿児島本線 小倉駅(90度回転) ↓上信電鉄 下仁田駅(80度回転)
    MEIKI D.K.60 lbs A.S.C.E. 6040. O. H.

    クルップ(KRUPP)

    (つつじヶ丘) KRUPP 1925
    (西泉),(下仁田) KRUPP 1922
    (五日町) KRUPP  1909 . XII . K. T. K
    (小倉) KRUPP 1903 II K T K
    (肥前山口),(岸辺) KRUPP 1902 XII K T K
    (佐野),(佐原),(大宮工場),(王子),
    (田端),(両国),(横浜),(代々木八幡)
    KRUPP.1885.N.T.K.
    (佐原),(王子),(代々木八幡) KRUPP.1885.И.T.K.
    会社名: KRUPP(クルップ社)
    所在国: ドイツ
    所在地: 本拠地は Essen(エッセン)
    略沿革:
  • 1999年3月17日に Thyssen 社と合併して、"ThyssenKrupp" 社となる。
  • 1811年11月20日:Friedrich Krupp(フリードリッヒ・クルップ)氏により設立
  •  刻印の字体が非常に大きいのが特徴です。
     王子のものは、『レールの趣味的研究序説〔下〕』にて、「1885年のクルップ製でNが裏返しになっていることがあり,(中略)東北線王子駅のホームにも存在する」と紹介されています。上野方を中心に現存していますが、塗装が厚いため不明瞭なものが多いです。Nが裏返しになっている明瞭なものは、代々木八幡駅の跨線橋で見ることができました。下に写真を掲載します。
     発注者名は、N.T.K.日本鉄道で間違い無いでしょう。K T Kは、小倉,肥前山口のものは九州鉄道で、岸辺のものは関西鉄道の可能性もありますが、肥前山口のものと製造年月が同じことから、九州鉄道の方が可能性が高そうです。その検証には断面を図ってみると良いのですが、残念ながら測り忘れています。五日町のK T Kは、九州鉄道,関西鉄道とも、国有化された後の年代のレールで、発注者名は検討の余地が有ります。

    KRUPP.1885.И.T.K
    小田急小田原線 代々木八幡駅(25度回転)

    フェニックス(PHOENIX)

    (太田) ??O?NIX R 1904 段型レール
    (高宮-彦根口) PHX R 1912 II みぞレール,1月製もあり
    会社名: PHOENIX-Rheinrohr AG Vereinigte Hutte-und Rohrenwerke(後半不明)
    (フェニックス−ラインルール AG ....,後半意味不明)
    所在国: ドイツ
    所在地: ルール (Ruhr) 地方
    略沿革:
  • 1926年に Thyssen 社などと合併して "Vereinigte Stahlwerke AG" となる。
  •  ドイツのフェニックス社製。Rは、ルーロルト(現ドウィスブルグ (? Duisburg))工場を示すものではないかと、推測されています。

     近江鉄道高宮のものはみぞレールです。『レールの趣味的研究序説〔再補・下〕』によれば兵庫電気軌道のものと言われているそうです。刻印は、溝の無い側に入っています。

     東武の太田駅のものは、かの有名な段型レール使用の跨線橋に使われている古レールです(当然、段型レール)。『レールの趣味的研究序説〔再補・下〕』では、東京の街路鉄道のどこかの会社から高崎水力電気を経て来たものではないかと推測しています。
     形状については、『東武鉄道の古レール』によれば67ポンドレールとのことです。ただし、WEB(中央のくびれ)も頭部も平底部分も薄く、H形鋼に近いイメージです。そのため加工は、通常のレールに比べて意外と簡単そうに思います (架線柱などには確かに向いていそう)が、強度が十分かどうかについては疑問を感じました。
     なお、MCPでも同様だったのですが、刻印は段の無い側に入っているようです。

    PHOENIX R 190?
    東武伊勢崎線太田駅(仰角45度)

    ライン製鋼所(Rheinische StahlWerke)

    (石和温泉) RSW  60lbs ASCE 1926 III
    会社名: Rheinische Stahlwerke(ライン製鋼所)
    所在国: ドイツ
    所在地: ルーロルト(現ドウィスブルグ (? Duisburg))
    略沿革:
  • 1926年に Thyssen 社などと合併して "Vereinigte Stahlwerke AG" となる。
  • 1871年設立。
  •  ThyssenKrupp 社に至る Thyssen 社の前身の一つのようです。
     ThyssenKrupp 社(および ThyssenKrupp Materials 社)のウェブサイトの社史のページに、情報があります。

    RSW 60lbs ASCE 1926 III
    中央東線 石和温泉駅(同一レール合成)

    ティッセン(Thyssen & Co.

    (北野畑−赤石) A. Th. H   1924  XI  A.S C E  75-LbS  TB  "Aichi  D.K."
    (飯田),(石神井公園) THYSSEN   60LbS. A.S.C.E. V 1926
    (大垣) THYSSEN  1925   60 LbS   ASCE  IJGR
    (金光),(大垣) THYSSEN  1923   60 LbS   ASCE  IJGR
    会社名: Thyssen & Co.(ティッセン社)
    所在国: ドイツ
    所在地: Styrum(Ruhr(ルール)地方 Muelheim 近傍)
    略沿革:
  • 1999年3月17日に Krupp 社と合併し、"ThyssenKrupp" 社となる。
  • 1934年にグループの企業の一つとして、"August Thyssen" 社が設立。
  • 1926年に "Phoenix Groupe" , "Bochum Verein" や "Rheinische Stahlwerke (R.S.W)" などと合併して、"Vereinigte Stahlwerke AG" を形成(同年、August Thyssen 氏死去)。
  • 1891年に August Thyssen 氏により、"Deucher Kaiser" 社買収。
  • 1871年に "Thyssen & Co." 設立 (1867年に "Thyssen,Fossoul & Co." 設立)。
  •  現在の ThyssenKrupp 社の前身の一つです。ThyssenKrupp 社(および ThyssenKrupp Materials 社)のウェブサイトの社史のページによると、2度の世界大戦の敗戦国のドイツの会社なだけに、何度も再建されるなど波乱に満ちた経緯を持っているようです。
     刻印の字体や記載事項が、TENNESSEE に良く似ているので、注意が必要です。"A. Th. H." と標記される例もあるようですが、"August Thyssen Hutte" の略と考えられます。

    A Th. H  1924  XI  A.S C E  75-LbS.  TB  Aichi  D.K.
    ↑名古屋鉄道谷汲線北野畑−赤石(着色) 山陽本線 金光駅(90度回転)↓
    THYSSEN  1923  60 LbS  ASCE  IJGR

    ウニオン(UNION)

    (高崎),(下仁田),(調布) UNION 1922
    (西太子堂) UNION 192【埋め込み】
    (下関),(長浜),(高月),(中川辺),(亀崎),(吉原),(足利),(寄居@秩鉄) UNION 07. .
    (清水),(松本),(酒折),(大磯),(東十条),(五日町),(武佐),(西泉) UNION 1906.I.R.J
    (宇部新川),(笠岡),(鷲津),(用宗),(清水),(興津),(篠ノ井),
    (岡谷),(小淵沢),(塩山),(高尾),(大磯),(鶯谷),(上野),(幌延)
    UNION 1903.I.R.J.
    (小野田),(岡谷),(小淵沢),(石和温泉),(塩山),(高尾),(登戸),
    (上野),(武州原谷)
    UNION 1902.I.R.J.
    (十条) UNION D 1888.I.R.J.
    (沼津),(新大久保) UNION D 1888 N.T.K.
    (伊東),(茅野),(小淵沢),(塩山),(国立),(武蔵小金井),(武蔵境), UNION D 1887. N.T.K.
    ↑と (新大久保),(御茶ノ水),(大宮工場),(東十条),(鶯谷),(品川),(南千住),(佐野),(調布)
    (門司機関区),(下関),(伊東),(松本),(小淵沢),(佐原),(館山), UNION D 1886.N.T.K.
    ↑と (武蔵小金井),(大久保),(千駄ヶ谷),(御茶ノ水),(大宮工場),(十条),(両国)
    (新橋),(有楽町) UNION D 1886 ???
    (伊東),(館山),(王子),(御茶ノ水),(下仁田) UNION D 1885.N.T.K.
    (能登川),(飛騨古川),(熱田),(飯田),(小田原),(岡谷),(小淵沢),
    (新宿),(御茶ノ水),(大宮工場),(田端),(成田),(下仁田)
    UNION D 1885 I. R. J.
    (国府津),(横浜),(国立) UNION D ????
    会社名: Union A.G. fur (uはウムラウト) Bergbau u. Stahi Industrie zu Dortmund
    ドルトムント鉱山製鉄連合株式会社
    所在国: ドイツ
    所在地: Dortmund(ドルトムント)のほか,(ハッティンゲン),(ホルスト=バイ=シュテーレ)
    略沿革: ?

     ドイツのウニオン製のレール。初期のものには、Dの文字が入ったものがありますが、これは、「ドルトムントを表わすDの文字」(『レールの趣味的研究序説〔中〕』)だそうです。
     このドルトムントは、『身近な明治の遺産 "ドルトムント" を探そう』で、最初に紹介された古レールでもあります。

     断面形状は刻印では未表示ですが、私が見たものについては、"D"の文字が入っているのが60ポンド第1種,"D"なしが60ポンド第2種,07年製の刻印の短いものが60ポンド第3種(60ポンドASCE)となっているようです。なお1920年代のものは未計測です。

     ウニオンのレールは刻印の彫りが深いため、塗装の厚いものが多い状況でも、これだけは読めるレースが多いです。

     略沿革など、インターネットの検索エンジンで調べた限りでは、これぞという情報は見つけることはできませんでした。

    UNION D 1886 N.T.K
    赤羽線(埼京線)十条駅(90度回転)

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