7. 古レールの刻印の研究

7.1 古レールを楽しむ

1st wrote at 2004.11.16 / Last update at 2006.08.02

7.1.1 古レールを楽しむ

 古レールの調査と言うのは、基本的には「宝捜し」だと思うのですが、古レール探求者が何に着目して、面白味を感じているのかという点については、十分な説明を行った文献はありません。そこで、古レール探求者の興味の源を探るため、その古レール観について、整理してみたいと思います。
 これは、これから古レールを調査してみようとする人にとっても、道標となるはずです。
 
| 年代ごと草創期早期前期中期後期晩期) |
| 発注者関連事項)| 特記事項(Earliy Americansロシア製レール) |

7.1.1a  古レールの年代ごとの傾向と楽しみ方

 まず、古レールの年代(≒製造年)ごとの古レールの楽しみ方について整理します。
 以下では、その整理を行なうにあたって、古レールの種類や利用方法から、古レールの年代を6つ(※ 草創期,早期,前期,中期,後期,晩期と仮称します)に分け、それぞれの年代ごとの古レールの傾向を考察しました。そして、それぞれの時期ごとの古レールの楽しみ方を解説しました。
 これは、古レールの変化を時系列的に楽しむ方法で、ワインの利き酒で言うところの「垂直テイスティング」に似ています。
 
時期 該当する製造年
晩期 1961年頃〜現在
後期 1927年頃〜1960年頃
中期 1908年頃〜1926年頃
前期 1880年〜1907年頃
早期 1870年代頃
草創期 1870年以前
※ 縄文式土器の時代区分の名称を使っています (^_^;。

(1)  草創期のレール

 鉄道工学の教科書には、レールの種類といった項があって、現在のような平底レールに至る試行錯誤の歴史が紹介されています。そして、レールの始まりには木の板に鉄板を貼りつけたよう鉄板レールが使用されたとされています。

 日本における営業用鉄道は、新橋−横浜間に初まり、双頭レールが使用されたことは有名かもしれません。しかし、それ以前に、石炭の積み出し用として鉄道が敷設されていたことは、あまり知られていないでしょう。

 その鉄道は、北海道後志支庁古宇郡泊村にあった茅沼炭坑軌道(現:北海道電力 泊原子力発電所の近傍)です。ここでは、木に鋳鉄の鉄板を貼り付けた鉄板レールを用い、軌間762mmで、1869年にはトロッコが走行していたとのことです(『茅沼炭坑軌道を参考)。これは、新橋−横浜間の営業用鉄道の開業よりも早く、日本最初の実用的な鉄道でしょう。
 この軌道の痕跡はほとんど残っておらず、鉄板レールも現存していませんが、日本における鉄道レールの始まりとして記憶しておく必要があるでしょう。


(2)  早期のレール

 日本での営業用鉄道(日本政府による)の初開業の1870年代頃のレールです。
 営業用鉄道の開業は1872年の新橋−横浜間ですが、この時敷設されたレールは錬鉄双頭レール(単位重量60ポンド/ヤード,以下「60ポンド」と表記)が主でした。このレールには、以下のような刻印がありました。
+ DARLINGTON IRON CO 70 IGJR
 多摩川に架けられていた木橋には、錬鉄製平底レールが用いられたようですが、該当するレールは見つかっていません。また、新橋駅構内の貨車用の線路で橋形レールが使用されたという記録も残っています(『わが国鉄道創業時の橋形レール考』ほか ※)が、こちらも見つかっていません。
 なお、旧汐留駅(= 初代新橋駅)発掘の際に、小断面の平底レールが発見されているそうです(刻印は「1875」のみ判読可)。これは本線用レールではなく、上記の橋形レールと同じ用途で使用されたと考えられます。これと同じと考えられる以下のような刻印のレールが中央西線某駅近傍にあります。
BLEANAVON 1875
 2番目の開業は1874年の大阪−神戸間です。この時も60ポンド錬鉄製双頭レールが用いられました。
 3番目の開業は1878年の京都−大阪間で、この時は60ポンド錬鉄製平底レールが使用されました。この時のレールは、以下のような刻印のレールが該当すると考えられます。
+ DARLINGTON IRON CO LIMTD 73 IRJ
 4番目の開業は1880年の大津−京都間です。この時初めて製レール(61.5ポンド)となりましたが、形状は双頭レールに戻ってしまいました。この時のレールは、以下のような刻印のレールが該当すると考えられます。
CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENDSTEEL C 1878 SEC104 IRJ
 1880年製レール以降は、一部双頭レールの交換品が輸入された以外は、61.5ポンド鋼製平底レール(=60ポンド第1種)が用いられるようになりました。

 以上、『鉄道史見てある記』の「レール余話・そのニ,60年間の輸入時代」,『新潟県内でも敷設されていた双頭レール』を参考としました。

 これらの時期のレールは、双頭レールや錬鉄製レールが使用されています。これらは大変珍しいレールですが、鉄道施設などを壊した時に、柱として使われていたものが発見されたりします。双頭レールは特異な形のため注目を受けやすく、発見されるとTV・新聞でニュースになります。これらを独力で発見することは、古レール趣味者の夢でしょう。

☆ 北海道官設鉄道や鉱山鉄道は除く(文章が整理出来ていないだけです。すみません)。

※ 『逆U字形レールの発見』,『橋形レール見つかる』,『見つかった橋形レールの履歴は?
写真:[遮蔽] LINGTON  IR [穴] Co  70  IGJR
写真 日本の初代レール(DARLINGTON IRON, 摂津富田

(3)  前期のレール

 1880年〜1907年頃までのレールです。規格が不画一で年代的にも古いこの年代のレールは、早期のレールと合わせて「古典レール」と呼ぶにふさわしいと考えます。

 この時期には、日本(帝)国政府による東海道本線の全通を始め、全国各地で鉄道が敷設されました。この中には私設鉄道(私鉄)も含まれていました。私設鉄道のうち幾つかは1906年の「鉄道国有法」に従って、1907年までに政府に買収され、官営鉄道(※)の一部となりました。

所属組織名が度々変更されていますが、ここでは公社国鉄が創立するまでは「官営鉄道」の名称で統一します
 官営鉄道では1880年〜1900年頃までは、後に60ポンド第1種と名付けられたレールが使用されました。このレールは60ポンド(61.5ポンド)双頭レールと類似の頭部形状を持つ平底レールで、世界各地で使用されたようです(参考 → Central Pacific Railroad Photographic History Museum)。60ポンド第1種レールは英国やドイツから輸入されています。以下の刻印のレールが代表例です。
(英) CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENDSTEEL.W.1885 SEC.131 I R J
(英) BARROW STEEL 2MO 1888 166 IRJ
(英) BV&Co 1888 IRJ
(独) UNION D 1885 I.R.J.
 1900年頃〜1908年頃、官営鉄道で使用されたのは、60ポンド第2種と呼ばれるレールです。60ポンド第1種の双頭レールのように丸かった頭部形状が、このレールでは四角くなりました。この断面のレールは、英国ドイツ米国から輸入されましたが、1901年からは九州の八幡製鉄所で国産レールの製造も始まっています。この初年のレールは未発見ですが、後のレールの刻印例から、以下のような刻印であったと推定されます。
(丸Sマーク) NO60B 1901  ("O"は、Oの下に"..")
 私設鉄道では、官営鉄道に倣って、主として60ポンド第1種や第2種のレールを使用した鉄道会社もありましたが、個々の断面規格のレールを使用したケースも少なくありませんでした。単位重量は、75ポンド,70ポンド,60ポンド,56ポンド,50ポンド,45ポンド,40ポンドなどがありました。形状的には、レール頭部に丸みがあるのが英国製、レール頭部が角張っているのが米国製、その中間的なタイプがヨーロッパ諸国製という傾向があるようです。
 これら多数の断面規格のレールのうち幾つかは、先の鉄道国有法により各鉄道会社が政府に買収された結果、官営鉄道の元に集うことになりました。これらを整理するため、1909(明治42)年7月12日に達第623号軌條及附属品稱呼ノ件』が発せられ、同年11月には『軌條及附属品圖』も出されました。

 この様に、この時期のレールには沢山のレールの断面規格がありました。これらを確認していくことが、この時期のレールの楽しみ方の一つです。

 なお、この時期のレールの刻印には、発注者名が記されていることがあります。この発注者を確認していくことも、この時期のレールの楽しみ方です。これについては、後に別に整理します(→ 古レールの発注者を探る)。また、この時期に含まれる1870年代,1880年代のアメリカ製やロシア製レールが見つかります。これらは日本への輸入経緯が異なっている可能性が考えられることから、やはり後に別に整理します(→ Early Americansロシア製レール)。

写真:CAMMELL SHEFFIELDTOUGHENEDSTEEL.W.1887.SEC131.I.R.J
↑写真 60ポンド第1種レールの例(CAMMELL, 来宮
写真:(丸Sマーク) NO 60 B.    1902
↑写真 国産2年目のレール / 60ポンド第2種レール(官営八幡製鉄所鶯谷

(4)  中期のレール

 1908年頃〜1926年頃までのレールです。米国土木学会が制定したASCE(米国土木学会の略)断面の60ポンドASCEレール,75ポンドASCEレールが一般化されました。また、50ポンドレールでは米国のペンシルバニア鉄道が使用した100ポンドPSレールが採用されるようになりました。これらの断面規格が一般化した結果、世界各地の多数の製鉄会社からレールが輸入されるようになりました。より安価なレールを供給できる製鉄会社を模索していった結果、多数の製鉄会社のレールが輸入されたと考えられます。

 以下にレールの単位重量ごとに中期の年代内での微妙な変遷を整理します。

 60ポンドASCEレールは、先に取りあげた達第623号での60ポンド第2種レールの後継として、官営鉄道などで使用されました。60ポンドASCEレールは達第623号では60ポンド第3種レールに分類されています。類似断面に60ポンド第4種レールがありますが、こちらは60ポンドASCEレールが確立される直前(ここでの年代区分だと前期にあたる)に試行錯誤された断面規格のレールが分類されているようです。
 60ポンドASCEレールは、国産品は1908年(?)頃から製造されていますが、輸入品は第一次世界大戦(1914年7月〜1918年11月)の影響もあり、1920年頃以降が輸入の最盛期となります。この輸入は1926年を境に終了しますが、1927年製も一部見つかります。輸入元はヨーロッパの各国が中心(米国製もある)で、ドイツのほか、ルクセンブルク,ベルギー,フランスが見られますが、中にはポーランドのような社会主義国も含まれいることは興味深い点でしょう。この経緯は『鉄道史見てある記』の「レール余話・その二,60年間の輸入時代」に詳しく整理されていますので、そちらも参考としてみてください。

 75ポンドASCEレールは、1907年から国産品の生産が始まりました。輸入品は1917〜1920年頃から、米国製を中心にフランス製も輸入されました。民営鉄道などでは、類似の単位重量のレールとして、80ポンドASCEレール鉄道聨隊),70ポンドARA-Aレール大阪電気軌道)も使用されました。

 100ポンドレールは、官営鉄道では最終的に100ポンドPSレールが全面採用されました。この決定に至る過程では、いくつかの断面規格のレールが試験使用されました。例えば、100ポンドREレール(アメリカ鉄道協会,American Railway Engineering Association)などがあります。このほか民営鉄道の中には、90ポンドARA-Bレールや100ポンドARA-Bレールを採用した事例もあります(阪神,京浜,東京地下鉄道)。100ポンドPSレールは国産品のほか、米国製が輸入元のほとんどを占めました(一部ルクセンブルクあり)。

 その他の単位重量(50ポンド以下)のレールは、ASCE規格のレールが使用されました。

 この様に、この年代のレールは世界各国の多数の製鉄会社から輸入されています。その製鉄会社を確認、あるいは発見していくことが、この時期の古レールの楽しみ方です。

写真:KROLHUTA 1926 M  □
写真 ポーランドKROLHUTA製レール(60ポンドASCE, 富山2

(5)  後期のレール

 1927年頃〜1960年頃までのレールです。国内で使用する普通レールは国産品でまかなえるようになり、輸入レールが見られなくなります。ただし、路面電車など、
1. 敷石舗装した線路に用いる、2. 背が高く車輪の走行部分を確保している
レール(段付きレール,溝付きレール)は国産化できず、最後まで輸入品が用いられました(ただしHTレールは国産化した)。

 この年代のレールは、期間を通して、福岡県北九州の八幡製鉄所(製鉄会社の政策的離合集散により、官営八幡製鉄所日本製鉄八幡製鉄と所属変更)で圧延されたほか、1952年からは岩手県釜石の富士製鉄でも圧延が開始されました。

 この時期のレールは、これまでと比べると、断面規格のバリエーションが少ないこと、製造者が限られていることなどから、面白味に欠けます。

 この中でも興味を引くのは、第二次世界大戦の戦中〜敗戦直後の混乱期(1941〜1947年,一部1948年)に日本製鉄八幡製鉄所で圧延されたレールでしょう。この時期のレールは時代を反映して、製造年が西暦ではなく神武皇紀で刻印されています。物資が乏しく、レールの圧延もままならなかったようで、この時期のレールは前後の時期に比べて絶対数が少ないようです。発見頻度も少なく、比較的探し甲斐のあるレールとなっています。

写真:37 (丸Sマーク) 2608 IIIIIIIIII OH
写真 皇紀2608年(=西暦1948年)製レール(日本製鉄東北沢

(6)  晩期のレール

 1961年頃〜現在のレールです。1961年にレールのJIS規格(JIS E 1101,普通レール)が制定され、
30kgレール(単位重量30kg/m,=60ポンドASCE
37kgレール(=75ポンドASCE
50kgレール(=100ポンドPS
に加えて、
40Nレール(37kgレール交換用)
50Nレール(50kgレール交換用)
50Tレール(東海道新幹線用)
が誕生しました。後に60kgレールも加わっています。

 この年代のレールは、八幡製鉄所(日本製鉄新日本製鉄),釜石製鉄所(富士製鉄日本鋼管、1972年まで),広島県の福山製鉄所(日本鋼管→JFEスチール、1972年より)で圧延されています。

 この時期に圧延されたレールは、レール鋼の成分の変化(曲げにくくなった)などから、建造物の鉄骨の代用品として使用されることが激減しました。例外的に東武鉄道では、1970年頃に圧延されたレールまで鉄骨代用品として使用しています。例えば、東武伊勢崎線鷲宮駅のホーム上屋の支柱には、日本鋼管の1970年製レールが支柱として使われています。
 わずかに確認できるレールも、線路用地を示す柵(境界柵,線路柵)として、短く切られて地面につっ立てたレールが大半を占めています。柵のレールには刻印部分の全貌が確認できるレールが少ないという難点が有ります。

 この時代のレールは、絶対数も少ないのですが、東海道新幹線用に開発され、比較的早い時期に交換された50Tレール(地方線区で再使用されているようである)のように現物をなかなか拝めないレールもあります。
 この時期のレールは、絶対数が少ないと書きましたが、現役レールとして敷設されているレールなら多数あります。これらが鉄骨代用品として再利用される可能性は0に等しいので、将来的には幻のレールとなりそうです。

写真:← 50N LD (Sマーク) 1880 I
写真 新しい古レール(新日本製鉄武蔵浦和

7.1.1b  古レールの発注者を探る

 前期を中心に、中期までの年代には、刻印の記述の中に発注者名が刻印されているレールがあります(「3.4 古レールに見られる発注者について」 参照)。
 HANKAKU(阪鶴鉄道)NANKAI(南海鉄道)TOBU(東武鉄道)などのように、鉄道会社名が略されずに刻印されていれば、発注者は断定できます。しかし大抵は、K.T.K.(九州鉄道など)S.T.K.(山陽鉄道など)N.T.K.(日本鉄道など)と3文字程度の略号で刻印されています。そのため、それがどの鉄道会社にあたるのか推理・同定する楽しみ方があります。
 これは、同じ鉄道会社のレールを探し求める楽しみ方で、ワインの利き酒で言うところの「水平テイスティング」に似ています。

 レールに刻印されている略号とレールの発注者である鉄道会社を推理・同定するには、厳密には次の過程が必要でしょう。1. で立てた仮説を 2.〜6. の方法で検証します。比較的容易に調べることができる 2.〜5. に矛盾がなければ、1. の仮設は正しい可能性が高いと判断できるでしょう。ただし、完全に同定するには、6. の文献調査による追認の必要があると考えます。
 

1. 略号と合致する鉄道会社を推定する
 中ほどの"T"は鉄道、最後の"K"は(株式)会社を示すことが多いようですが、鉄道の略号として"R"、会社の略号として"C"、電気(鉄道)の略号として"E"などが用いられることもあります。ローマ字の特性上、"K"(か行),"S"(さ行),"N"(な行)で始まる鉄道会社は多数が該当するので、以下の検証を念入りに行なう必要があります。
2. 歴史的に矛盾が無いこと
 鉄道会社の多くは、現在のJRも含めて、離合集散を繰り返しており、鉄道会社名がたびたび変更になっています(『私鉄史ハンドブック』)ので、その時々の鉄道会社名とレールの刻印から推定される鉄道会社名が一致しているかどうかのチェックが必要です。なお、会社発足時の名称で刻印されていますが、鉄道開業時には会社名が変更になっていた事例もあります。
3. 地域的分布と矛盾しないこと。
 ある鉄道会社の沿線で見つかるレールは、その鉄道会社が使用したレールと言ってほぼ問題ないケースが多いですが、関東では官営鉄道 → 民営鉄道、関西では民営鉄道 → 官営鉄道のルートでレールが転用されているケースがあります。同銘レールの分布を、目を広げてチェックする必要があります。
4. 組み合わせが矛盾しないこと
 いくつかの鉄道会社発注のレールは、同一断面の近隣の鉄道会社発注のレールと一緒に同じ駅で見つかることがあります。これは、これらのレールがまとめて同じグループとして扱われていた可能性を示唆しています。 このグループの垣根を飛び越えて、1つの発注者名のレールを別の鉄道会社由来のレールと特定してしまうことには無理が有ります。
5. 断面規格が合致すること
 鉄道国有法によって買収された民営鉄道のレールであれば、使用していたレールの断面規格が、達第623号軌條及附属品稱呼ノ件』で整理されています。これを使って、推定した鉄道会社で略号も断面規格も一致しているかどうか検証することができます。
6. 文献調査で確認
 いわゆる鉄道省文書(参考『「鉄道省文書」所蔵箇所一覧』)を調べると、鉄道会社の文書に、△△国の○○社から、▲▲ポンドレールを輸入したといった事実関係が記載されていることがあります。文書の記述と実際のレールが合致しているかどうかも調べることかできます。

 発注者に関連する事項として、いくつか関心の高い点を以下に記します。

写真:CARNEGIE 1896 IIIIIIIII  HANKAKU
写真 阪鶴鉄道発注のレール(CARNEGIE富山2〜4番線

(1) 初代レールを探す

 ある路線の開業時のレールを探すという楽しみ方もあります。初代レールは、大抵は開業の2〜3年前の製造年となっていることが多いようです。これは工事から開業までの準備期間や輸入の際の輸送などの期間が含まれるためでしょう。

 初代レールと同定する場合、発注者名が刻印されていれば、その同定条件(前記)を満たしていることも必要でしょう。


(2) 外国の鉄道が発注者のレール

 廃材として日本に輸入されたであろうレールの一群(参照:Early Americans, ロシア製レール)の中に、外国の鉄道の発注者名らしき略号が入ったレールが、いくつか見つかっています。例えば、中国の東清鉄道(略号:К.В.Ж.Д.またはК.Ж.Д.)のほか、北米大陸の大陸横断鉄道と考えられる発注者のレールが見つかっています(「希少な発注者のレール」参照)。

 東清鉄道のレールのうち、単位重量67.5ポンドの TYPE IIIA という断面規格の1917年米国製レールは、日露戦争(1904〜1905)で東清鉄道(=中東鉄道)の南側の支線(→ 南満州鉄道)を獲得した後に、戦利品的に持ち込まれたレールで、「分捕型レール」などとも呼ばれています。

 このほか、日本で圧延され、外国に輸出されるはずだったレールが、国内向けレールに紛れ込んでしまったと考えられるレールがあります。中国鉄路総公司(C.G.R.),京釜鉄道(K.F.R.),タイ国国鉄(RSR)が確認されています。

写真:WILSON & CAMMELL.DRONFIELD.STEEL.1882.C . P . R
写真 Central Pacific Railway あるいは Canadian Pacific Railway 
発注と思われるレール(WILSON & CAMMELL近江今津
写真:← (丸Sマーク) RSR  II  1960 MM OH
写真 タイ国鉄発注の日本製レール(八幡製鉄石和温泉

7.1.1c  特記事項

(1) Early Americans

 古レール研究家の間で "Early Americans" と呼ばれている一群のレールがあります。レールの製造年は1870年代〜1880年代で、多数の製鉄会社のレールが一ヶ所からまとまって見つかる傾向があります。

 米国では、大陸横断鉄道の開業などによるレール需要の高まりから、1865〜1875年頃に多数の製鉄会社がレール製造を目的として興されました。これらの会社は、レールに適した材質である「鋼」を得るため Bessemer 転炉を導入し、レールの圧延を開始したようです。
 後にこれらの製鉄会社は合併を繰り返して巨大化し、US スチールベスレヘムスチールの2大勢力へと統合されます。逆に言えば、大合併を行なう前の米国の中小製鉄会社で圧延されたレールが "Early Americans" と呼ばれている一群です。

 これら多数の製鉄会社のレールは、米国製鉄史の教科書のリスト通り(参考:Misa's home page)に日本で発見されます。以下に、その製鉄所名をリストします。

Freedom Iron & Steel, Kelly Pneumatic Process, Winslow & Griswold(以上、日本で未発見) 
Bethlehem Iron, Cambria Iron, Cleveland Rolling Mill, Edgar Thomson Steel, Joliet Iron & Steel, Lackawanna Iron & Coal, North Chicago Rolling Mill, Pennsylvania Steel, Union Iron, Vulcan Iron(以上、日本で確認済み)
これらのレールは、発見路線の鉄道史と比べると年代的に古すぎることが多く、中古レールとして輸入された可能性が考えられます。一説によると、米大陸の鉄道でのレールの重量化のあおりを食らって、不要となったのがこれらのレールだとも言われています。

 これらのレールと一緒に見つかるレールに同年代の、

Blaenavon, Willson & Cammell
などの英国製レールがあります。これらも一緒に日本に入ってきた可能性があります。すなわち、米国経由で輸入されたと考えられます。
写真:E. THOMSON. STEEL 76 IIIIIIII
写真 Early Americans の例(EDGAR THOMSON豊橋

(2) ロシア製レール

 ロシア製レールは、『レールの趣味的研究序説〔補遺〕』では、東清鉄道発注の TYPE IIIA という断面規格のレール(後に「外国の鉄道が発注者のレール」で解説)と、名古屋鉄道,上毛電鉄,尾小屋鉄道(廃止)などで見られるロシア製と思われるレールを差していますが、ここでは後者のみに意味を限定します。これらのレールの製造年は1890年代,1900年代が主です。ロシアでソ連誕生のきっかけであるロシア革命(十月革命)が勃発したのが1917年ですので、これらのレールは帝政ロシア時代の製造ということになります。
 筆者は、名鉄でロシア製レールを確認しています。

 諸氏の研究報告(『レールの趣味的研究序説〔補遺〕』,『鉄道シーン500』,『名鉄金山橋駅にあったロシヤ製レールについて』など)によれば、ロシアの製鉄会社として、

ブリヤンスク社アレキサンドロフスク南ロシヤ工場新ロシヤ工業ロシヤベルギー金属工業南ロシヤドニエプル金属工業ヴェロセェリスキー公カタフ・イワノフスク工場,ナデージダ工場
が判明しています。ロシア製レールの発注社名は頭文字の略号になっていることや、英語圏のアルファベットとやや異なるアルファベットが使用されていることから、実際のレールの刻印との関係は難解となっています(明記した文献が少ないことも一因)。この点については、後の「ロシア製レールについての検証」で整理します。なお、これらのレールの断面規格は「T/T軽式」と言うそうです。

 ロシア製レールは、中国の東清鉄道(略号:К.В.Ж.Д.)やシベリアのウスリー鉄道(Ус.Ж.Д.)の発注者名が入っています。これらは、シベリア鉄道で最初に全通した区間(最初は、中国領内の東清鉄道などを経由,後にソ連国内のみのルートを開発)の一部にあたります。これらのロシア製レールは、本線用レールとしては軽量なレールのため、シベリア鉄道沿線の支線区や構内側線などで使用されていたのでしょう。
 東清鉄道の南側の支線は、1904〜1905年の日露戦争により、南満州鉄道として日本の所有となりましたので、これが日本に流入するきっかけとなったと推定されます。なお、多くのロシア製レールの製造年(1904年)と日露戦争の期間は一致しているのは偶然でしょうか。研究してみる価値があるかもしれません。

 これらのレールは、発見路線の鉄道史と比べると年代的に古すぎることが多く、中古レールとして輸入された可能性が考えられます。

写真:К.З. КН.ВБЛОСЕЛЬСКАГО. X М
写真 とっても難解なロシア製レール

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