こちらには、古レールを調べながら見たこと、感じたことを雑記的(日記的)に書いていこうと思います。リンクを多数貼りましたが、それぞれ無理に辿る必要はありません。気になった時に押していただけると、関連する情報に辿り着けるかもしれません。
おもてのページは、おもいっきり、真面目に徹してしまいましたので、ここは、息抜きのようなものです(最近は闘病日記と仕事の愚痴ばかり?)。反面、おもてのページに反映しきれない最新情報が埋もれているかもしれません。 各リンクについては、雑記という性格上、古いものを修正していくつもりはありませんので、リンク切れがあるかもしれません。あらかじめ、ご了承ください。 |
...でも、今日は香川県西部まで日帰り往復出張でした。時間差が小さいので、往復とも飛行機ではなく、列車で移動しました。さすがに疲れましたし、列車の移動が嫌にもなりました(帰りの静岡付近で限界に達した)。
余談ですが、山本山貯水池を囲む柵に古レールが使われていました (^_^;。ちょっと見たところ、1933年頃の官営八幡製鉄所製や1923年の
TENNESSEE
製などがありました。
17日は予定の作業が早く終わったので、上越線小出駅,五日町駅に立ち寄って、古レールを見ました。
うつ病であった方が、会社の人間関係でも、気を回してくれそうですし、私にとっては福音となりそうです。
なお、うつ病とは言え、峠は越えていますし、当面は投薬を受けながら、生活パターンに体を慣らしたり、自信を付けたりすることとなるようです。折を見て、薬も減らしていくそうです。
私、野球だと、中日ドラゴンズのファンなのですが、こちらもリーグ優勝し、日本シリーズに進出するも、どこかの電鉄球団に勝ちこせず日本一を逃しました。
ともにリーグ優勝を決めた段階で、ホームページのトップ画像を記念ものに差し替えることを計画していたのですが、どちらも日本一を逃してしまったのでテンションが下がってしまい、計画は中止です。
西武池袋線なら、通勤で使っているメトロ有楽町線に乗っていれば、列車によっては自動的に連れていってもらえます。この「お近く」感が今まで訪問するのを妨げてきたのですが、人に紹介した以上、自分の目でも見ておくのが礼儀だろうと考え、会社の帰りに見てきました。
予定では、2駅に設置とのことでしたが、現状では中村橋駅にすべて設置されたようです。ホーム上屋の支柱をそのまま活かし、二又になった先で切断して、ここにレールの断面形から連続するデザインのランプ台が取り付けられていました。また、それぞれのレールの刻印を着色して、傍らにはその意味まで記した解説板が設置してあるのには驚きました。なかなか味なことをやってくれます>西武鉄道。
それにしても、この解説。内容に踏み込んだ箇所と踏み込めなかった箇所が、まるでどこかのウェブページの様です。そのページを参考にして解説板を書いたんでしょうね。記述の無断使用とも取れなくはないですが、こういう良い使い方なら、そのページの管理者も許してくれることでしょう。
今週のテーマは「循環の輪をつなげよう! リサイクル特集」だったのですが、私のウェブページ、確かにレールのリサイクルの事例を紹介していますが、今風の「リサイクル」とは、ちょっと趣旨が違うような気もします。近年なら、寿命を終えたレールはクズ鉄として処理され、別 の鋼製品に生まれ替わっているはずです。かつては、レールそのものでホーム上屋などを作りましたが、レールなどのクズ鉄を元にしたH形鋼などでホーム上屋を作っているとしたら、やっぱりそれはリサイクル出来ていると言えるでしょう。
こう考えてみると、レールと言うのは極めてリサイクル率の高い素材であり、今回のテーマで目を向けるのなら、その方向がふさわしかったのではないかと思ったりしています。
追伸:それにしても恐るべきは、Yahoo ! ですね。この日1日だけで、普段の1月分の来訪者がありました。要するに普段の30倍の人が訪れたわけで す (@.@)。
とうとう、今回の地震で走行中の新幹線に脱線が発生しました。兵庫県南部地震(いわゆる「阪神淡路の大震災」)を上回り、重力加速度をも越えた地震加速度が観測されましたから、重力によって地球に引き付けられているはずの物体が飛び上がったりしたこともあったでしょう。ですから、新幹線の脱線は起って当然の事態だったと思っています。
それでも、時速210km/hから、車体は傾いたものの編成のつながりを維持したまま、大きな怪我人も出さず停止した新幹線(リニューアル200系)は素晴らしかったです。脱線区間が直線であったことや対向列車が無かったこと、車体が消雪用の溝にはまり込んだことなど幸運が重なったのも事実ですが、莫大な運動エネルギーと、その慣性力をもってすれば、あんな風に停止出来るなんて、新幹線の安全性の高さを改めて感じました。
ドイツのICEの脱線事故では、旅客車が後部機関車の慣性運動により押し潰され、大きな人的被害を出してしまいましたが、重力分散方式(要するに電車)で設計されている新幹線は、質量バランスに優れ、走行している形のまま停止出来ました。私は、動力集中式(機関車方式)の支持者でしたが、今回の脱線の結果を見て、考えを改めました。日本の Shinkansen は素晴らしいです。
それだけに、新聞各紙が一斉に「安全神話崩壊」との見出しを付けたこと(※ 例外もあったらしい)には、反感を感じました。あの規模の地震の直撃を受けたら、レールの上に重力で乗っかっているにすぎない鉄道車両が転倒したりするのは当り前のことですし、ユレダスが直下型地震に対してほとんど無力であることも以前から知られていたことでした。それを鬼の首を取ったかのように報じる姿勢はどうかと思います。
追伸:地震発生時は、NHKでサッカー中継を見ていました。ちょうど試合が終わって一息着いたくらいで、緊急放送のキュロキュロという警報音がなって特別番組が始まったのはびっくりでした。緊急放送の信号が本当に発信されるシーンを目撃出来たのは新鮮な驚きです。ところで地震のほうですが、P波とS波の間が長かったこととS波の横揺れの振幅が大きかったことから、遠くで大地震が発生したことが予測出来ました。
9月の中旬に一度復職時期を考えたのですが、この時点では、@nifty
の鉄道フォーラムへの復帰や、体力付けに旅行(という名の古レール調査?)なんかも行ってみたいと考えていましたので、復職は10月初めではちょっと早いかな?という感じがして、会社とは10月中旬と約束していました。
9月中旬〜10月上旬は、季節の変わり目で寒暖の差が大きかったこともあって、自律神経失調症の私にとっては負荷が大きく、寝込む日が多かった(副作用明けの8月は猛暑の割に好調だったのに...)ので、10月中旬の復帰タイミングはベストだったと思います。
結局、旅行に行く元気はありませんでしたが、@nifty の鉄道フォーラムの復帰はなんとか間に合いました。休職中は、いろいろやってみたいこともありましたが、実現出来たのは一部に過ぎませんでした。とどのつまり、休職中は闘病に費やされたと言えるでしょう。本来の目的で使ったわけですから、「良し」としましょう。
ちなみに肝心の自律神経失調症の治療ですが、医者の言うには、仕事に復帰して負荷を掛けた状態での経過を見て薬の調節をし、最終的に薬なしで日常生活が送れるよう調整して行くことになります。
しかしながら、@nifty の Web フォーラムへのアクセスを考えると、パソコンの更新の必要がありそうでした。何せ自作歴が長いこともあって、最新のマザーボードでは対応していない古いハードウェア(ISAパスのカード)がいくつかあることは、悩みの種となりました。結局、現行のマザーボードはそのまま使って、周辺に手を入れて何とかすることにしました。ちょうどJR西日本が103系を40年使うことを目的に実施しているN40工事に近いものがあります。
このパソコンのグレードアップには難儀させられました。
月日 | 曜 | 理由 | 月日 | 曜 | 理由 | |
---|---|---|---|---|---|---|
9/17 | 金 | 最近のパソコン状況を下見 | 10/08 | 金 | ハードディスク交換品購入
→ 相性合わず使用不能
フロッピードライブ交換品購入 |
|
10/01 | 金 | ケース購入 → 電源故障 | 〃 | 〃 | ハードディスク交換品購入
ハードディスクようやくOK 別のハードディスク故障 |
|
10/02 | 土 | 電源交換品購入 → すぐ故障 | 10/09 | 土 | ハードディスク交換品購入
SCSIボード故障 |
|
10/06 | 水 | 電源交換品購入 → 不良品 | 10/12 | 火 | SCSIボード交換品購入 → 不良品 | |
〃 | 〃 | 電源交換。ようやくOK。
しかし、ハードディスク故障 |
10/14 | 木 | SCSIボード交換
10/08に買ったハードディスク不調 |
|
10/07 | 木 | OS(Windows)などソフト購入
ハードディスク購入 → 相性合わず使用不能
フロッピードライブ故障 |
10/15 | 金 | 10/08のハードディスクも交換 |
16, 17日で、新しいハードディスクへの移行(バックアップが取ってあったので、データを失うことはなかった)や、OSのアップグレード,@nifty
の webフォーラムの自動巡回ソフトのインストールなど済ませました。これらは、それまでの苦労と違って、あっけなく完了しました。
倶楽部鉄道フォーラムへも、この週末に入会(復帰)しました。
さて、40年ですか。日本の鉄道は今年で開業して132年になりますから、日本の鉄道の歴史の中で新幹線と共に歩んだのは、その1/3近くを占めることになるんですね(計算すると、新幹線46歳の年にちょうど1/3となる。まだ6年先だ)。新幹線は、もう歴史の一部となったと言っても過言ではないでしょう。
今後は、新幹線も歴史の一部という視点で捉えて、車両や設備,技術などの保存を考えて行く必要があるかと思います。
9月10日(金) | 房総各線を一気に片付けようと画策。武蔵野線 → 京葉線 → 外房線
→ 内房線 →
京葉線 → 武蔵野線と回る。総武本線,東金線も立ち寄りたかったが、暗くなってし まったので断念。銚子電鉄もあるし、ここはまたの機会に。 |
9月9日(木) | 高崎線 → 両毛線
→ 水戸線 → 常磐線と回る。両毛線は古レール利用のチェックのみ
水戸線は跨線橋の古レールを見出したら、いっぱいあって大変だった。 |
9月6日(月) | 武蔵小金井駅などで所用を済ませた後、かいじに乗って石沢温泉へ
同駅の古レールを調査 |
1880〜1890年代の日本における初期のレールを中心に、いくつか分析用に刻印部分などを保存出来ることになりました。
この中には、"BARROW STEEL
SEC166 1893 K R C" も含まれています。KRC
は甲武鉄道の略称で、現在の中央線の前身にあたります。1893年製と言いますと、1894年の牛込(今の飯田橋駅の市ヶ谷方)〜新宿間、あるいは1895年の飯田町〜牛込間の開業に用いられたレールと思われます。このレールについては、ぜひとも武蔵小金井駅に贈ってやって欲しいと注文を付けておきました。中央線の前身のレールなんて、駅に飾るにはぴったりだと思います。
ついでに、武蔵境と国立もチェックしておきました。国立には、日本で最初の平底鋼レールの "CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENED STEEL C 1880 SEC 131 I R J" があります。これも保存出来ると良いですね。
これまでも車を乗り換えたいとは思っていましたが、同じ Jimmny で、ギアは絶対マニュアルシフト,現行モデルはデザインが好きになれないので、一つ前の型を希望していました。一つ前の型ですから中古車になりますが、条件に合う車を探すのは容易ならざることと考えていました(マニュアル車は今は少ない)。ですから、休職しているうちに、車を探してみようと思っていました。
ところが先日市内を走っていたところ、ディーラーの中古売り場で、探している型の車をあっけなく発見。覗いてみるとマニュアルということで、その場で購入を即決しました。納車は今週末です。
ということで、今の車に乗っていられるのも、あとわずかとなりました。最後のドライブと言うことで、群馬県の下仁田エリアまで出かけました。目的は上信電鉄の架線柱。いろいろと変ったレールがあることは、京都の O さんから情報を得、写真ももらっていたので、現地でこれを探すこととしました。
行きは素直に高速道路をドライブしました。この道は、就職して東京に出てきた時に荷物を運んだ道です(この時は、別の車だった)。また、学生時代を過ごした松本に遊びにいく道として、この車でも何回か走りました(しかも下仁田通ってた)。そんな思い出の地ですから、最後のドライブに適地でもありました。
現地のほうですが、下仁田から始まって西富岡までは、全駅立ち寄りました。MEIKEI D.K. や JOLIET,UNION STEEL(この2つは自力で発見),長い BOCHUM などを見ました。ここで天候が不良だったこともあって、光量が不安になったので、馬庭に向かいました。途中、道を間違って苦労しましたが、何とかたどり着いて、JWS 発注の DLC を見ました。
帰りは、高速も渋滞しているようなので、これまた、何度か通った下道で帰宅しました。この車とは、10年の付き合いでした。車の年式や状態から見て、廃車は免れないと思います。いままで、本当にありがとう。でも正直なところ、仕事の都合などで、十分に乗ってやれなかった点は残念でした。
追伸:車に乗る人は、ふつう駅を利用しない。だからか、日本の道路には駅を案内する看板は少ない。したがって、車で各駅を辿るのは結構骨の折れる作業となる(かといって、列車本数の少ない路線で鉄道だけで移動するのは、もっと辛い)。出張の空き時間に古レールを見る時は、使っているのはレンタカーで最近はカーナビ標準装備だから、駅を辿るのも楽である。今度車を乗り換えたら、絶対カーナビを着けようと、改めて思った一日でもありました。
日付 | 経路など | 内容 |
---|---|---|
8月23日 | 実家 → 自宅 | 名古屋〜豊橋間の落ち穂拾い(三河三谷,西小坂井),武豊線 |
8月22日 | S・Sフリー切符 | 近江鉄道の古レールチェック(本線,八日市線・多賀線/実は、近江鉄道ようやっと完乗) |
8月20日 | ドライブ | 篠原,近江八幡の古レール調査 |
8月18日 | 青春18切符 | 東海道本線→草津線→関西本線→大阪環状線→東海道本線(神戸
まで往復)→JR東西線→片町線→奈良線→東海道本線と回って、 古レールチェック。伊賀上野,大河原,下狛で古レールを調査 |
8月17日 | ドライブ | 撮影を失敗していた小浜線の駅風景を撮影。ついでに旧江若鉄道
の近江今津駅も再訪問 |
8月15日 | 母実家 → 実家 | 移動だけ |
8月13日 | 自宅 → 母実家 | 山梨県内の中央東線の古レールを調査(酒折,山梨市,塩山) |
実のところ、8日(日) に技術士第二次試験があったのですが、この時点では、まだすっきりしないところが残っていて、受験をパスしてました。1週間後の15日だったら、受験したように思います。今から思えば、1週間早く、診療内科を受診しておくべきでした。
葬儀は、無宗教で行なわれました。科学者で有り続けた大島さんらしい式でしたが、祭り好きな江戸っ子の先輩にしては湿りがちだったところは許してください。私は式場の隣町出身と言うこともあり、当日は、雑用のお手伝いをして感謝の気持ちを帰しました。また、遺骨拾いにもご一緒させて頂きました。思えば、ヒトの骨の見方を教えてくれたのも大島さんでした。最後の勉強として骨を拾いました(隣のグループにはない、専門用語が飛びかっていたと、奥さんの鋭い突っ込み)。
ということで、またも帰省していたのですが、前回、東海道本線豊橋〜静岡の穴埋めが完了したので、今日は、名古屋〜豊橋の完了を目指しましたが、熱田に苦労して半分ほど残ってしまいました。
6月を休んでみたところ、体調の悪化はないものの、改善傾向が見られなかったことから、7月最初から自律神経失調症治療のため、診療内科に通うことにしました。私の病気は、医者から「仕事のストレスが原因である」と明言されており、これまでも弱い向神経薬を飲んでいましたが、この薬では症状悪化の速度を遅くすることはあっても、改善できる状態に無かったことも診療内科へ通ってみる理由となりました。
診療内科では、今までと違って根本治癒に向けての治療になります。まず、ストレスを抑制する働きを持つ脳内物質であるセロトニンの減少を抑止する薬を飲むことになりました。この薬は、効果が現れるまで1ヶ月近くかかると言うことです。
今のところ、辛かった朝が楽になってきたとか、一部改善の兆しが見られます。ただし、副作用なのでしょうか、体(筋肉)のコントロールにいつもと違うブレのようなものがあり、動くのがおっくうな感じが続いています。脳内物質やホルモンの類は、ちょっとバランスが崩れただけでも、体調に変調を来すと言いますが、なるほどこれがそうなのかもしれません。
もうしばらくで抜けるのでしょうか?。もう少し、我慢します。
私のいた大学の教室は、教室自体にサークルのような雰囲気があって、私たちは、教養部に所属していた1年生の時から大学に入りびたる生活でした(反面この期間、私の鉄道趣味は開店休業状態でした)。そんな中で、大学院1年目だった先輩は、我々をリードしてくれた一人でありました。また、ホニュウ類化石の研究をしていた関係で、私たち3人の師としても、お世話になっていました。
この3人のうち、私ともう1人は大学院で一緒でしたが、もう1人は別の大学の大学院に行っていましたので、3人が揃うのは実に12年ぶりということになります。合う機会をくれた先輩に感謝したいと思います。
ただ、先輩の病状は思わしくなく、すでに刺激に対して反応の無い状態でした。奥さんの知らない当人の学生時代の馬鹿話や暴露話などして、奥さんを励ますとともに、思い出を踏みしめたひとときでした。
一方、せっかく米原まで帰りましたので、明日は、東海道本線豊橋〜静岡間の古レールを調査しつつ、帰京しようかと思っています。
※ 先月20日に都営新宿線を利用したのですが、この時、浜町−森下間を通った時に、先輩のことを思い出していたばかりでした。ここでは、地下鉄掘削中にナウマンゾウの化石が発見され、先輩もその発掘に参加した一人で、その時の話をいろいろと聞かされていました。このナウマンゾウは、浜町標本と呼ばれ、日本で最も保存状態の良いナウマンゾウ化石となっています。TBM(トンネル=ボーリング=マシン)で掘ってしまう近年では、化石は気付かれもせずに木っ葉微塵です。
幸い休職中でもあるので、リハビリも兼ねて、調査に行ってきました。そう言えば、出張以外で古レールを調べるのは久しぶりです。
国立駅では、思ったより多くの製鉄会社のレールが確認でき、調査が行なえて良かったです。中でも、CAMMELL
の1880年製レール(文字が大きい)および1881年製レール(製造年の前の記号が
"W" ではなく "C")を見つけました。これは、私の知る限り、日本で最初の鋼製平底レールにあたります。撤去してしまうなら、何とか保存したいです。
もし、工事の関係の方や、そのお知り会いの方が、これをお読みになっておられたら連絡下さい。保存に向けた手だてや、レールの場所の案内などを行ないたいと思います。
講演会は午後からでしたので、午前中はIさんと兵庫県在住のHさんとともに、江東区の浅間神社に展示されている溝付きレールを見に行きました。ちょうど神社のお祭りだったのですが、レールの展示に係わった方がおられて、いろいろとお話を聞くことが出来ました。また、近くの学校に大同特殊鋼のクロッシングが保存展示されていることも教えていただき、見学してきました。
さて講演会ですが、内容は古レール概論という感じでした。「古レールの世界」と題された古レール部分のタイトルを以下に書き出してみましょう。1.〜8.
は、私の頭の中にある通りの話でした。9. は、海外渡航の経験の無い私にとっては未知の領域だったのですが、ヨーロッパでも日本や東南アジア同様に古レールの転用が見られるとのことで、世界の研究者との連係が課題とのことでした。
1. その保存製の良さ | 4. 重量と断面 | 7. 発注者名 |
2. 転用 | 5. 製造所・製造国 | 8. 我国の概略の流れ |
3. ブランディングの存在 | 6. 製造年月 | 9. 海外のものの調査 |
今回は、西野さんに挨拶出来るだけでも幸せ、という感じでの参加だったのですが、名刺(当方は「鉄道史研究家」との肩書としている)の交換もでき、講演会後の懇親会にも参加させていただいて、いろいろとお話が出来ました。西野さんの文章は、ちょっと堅めなので、厳しい方かと心配していた部分もあったのですが、大変気さくな方で、古レールのみならず、電鉄(プロ野球)球団の合併問題から鉄道趣味論など多彩な話題で楽しい時間を過ごすことが出来ました。
最後になりましたが、今回の講演会を開催された、産業考古学会鉄道技術史分科会の皆さん、いろいろとお世話になりました。ありがとうございました。また機会があれば講演会など参加してみたいと思います。
毎年5,6月は、気温の変動が大きく、暑いのが苦手な私は、持病のメニエール病が悪化することが多くなっています。今年も御多分に漏れず、体調を崩しています。3月まで仕事がハードだった疲れが全く抜けず、いつの年にも増して今年は不調です。朝起きるのが辛くて、出社しても集中力に欠け、調子が出てくるのは午後3時、そうこうしているうちに、その日の疲れが溜まって、目がぐるぐる。なんて、生産力ゼロ状態になってしまいました。主事医さんによると、メニエール病と言うより、むしろその原因でもある自律神経失調症の影響が大きいとのことでした。
幸い、今年のうちの会社は業績不振で仕事も少ないようですので、思い切って休職することにしました。2〜3ヶ月ほど休んで、休養と体力の増強を図りたいと考えています。古レールの調査や貯め込んでしまった古レール調査結果の整理(= ウェブページの更新)を、擬似仕事モードとして活用してみようと考えています。
追伸:惜しむらくは、立体交差が完成したばかりの埼京線を使っての通勤ができなくなることです。でも2週に1回は通院しますし、復帰時に負担が重くならないよう、週1回程度出社する予定ですので、時々は利用出来そうです。
この工事を知人と見学しました。といっても、一部始終を見ている訳ではなくて、現場は陸橋の上から眺めたり、平行する東武東上線から眺めたりしただけで、他は赤羽駅に行って、折り返し運転(Y線を利用して、W字形に運行)を見たりして過ごしました。
現場は100人は超えるだろうと思われる作業員が作業にあたっていて、圧巻でしたが、線路脇の近くから眺められる箇所が無く、ちょっと残念でした。
7日補遺:朝の通勤で、新上り線を体感。立体交差部分は、下を見下ろせて景色も良く快感です。ホームは、いつもと景色が違うので、ちょっと面食らいましたが、いつも使っている階段の箇所が同じ位置なので、違和感無く利用出来ました。
今回、公開に出向いたのは、大宮工場内で見つけた日本鉄道関連の古レールの保存状態が良好だったと記憶していたので、これらを撮影することでした。
いざ、そのレールを眺めてみると、とても良好と言える状態ではありませんでした。ペンキの厚塗りで、刻印は不明瞭でした。かつて、このレールを調査した時は、古レールの調査を本格的に開始して間もない頃でしたので、これでも状態良好と感じたのでしょう。その後、あちこちで保存状態のよいレールをいろいろ眺めた結果、目が肥えて、大宮工場のレールの刻印は不明瞭な部類に分類されることになったのではないかと考えています。
公開メインの方では、旧型電機2両の並び,ACトレイン,NEトレインが目玉でしょうか。ACトレインは、武蔵野線を走っているのを見掛けたことがありましたが、間近で見るのは始めてでしたし、車内に入れたので満足です(公開されたエリアが付随車側,非公開部分が電動車側だったのは、何か理由ある?)。また、秩父鉄道のC58が検査入場していて、バラされた姿が見れたのも貴重でした。
それから....、工場の敷地が整理されて、一部がスポーツ・ジムになっていたのですが、ここに2階建ての立派なレンガ造りの危険品庫がありました。今までは塀に隠れて見えなかったのでしょう。
8日に行ってきました。多少並ぶことは覚悟し、開始の15分前の9:45に現地に到着するよう出かけたのですが、この時点で行列の最後尾は浅草線日本橋駅の改札口手前まで延びていました。地図で確認すると行列は約200mですが、3列ほどの幅で雑然と並んでいましたので、1列にした場合の総延長は、結構なものでしょう。私が最後尾に到着した時には、東京メトロ社員が「並んでも、もう何も買えません」とハンドマイクでアナウンスしていました。
その社員の方に聞くと、徹夜組も居たということと、「商品」は2日に半分づつ販売されるということで、明日の初電で出かければ Get できるかもしれません。私は、行列の毒気に当った気がして、明日はパスすることにしました。
この催しに最後に行ったのは、まだ府中で開催されていた時でしたので、本当に数年ぶりです。また鉄道関係の同人誌については、昨年末のコミック・マーケットに行けませんでしたので、その時入手そびれた同人誌を手に入れようというのが目的でした。
今回、同人誌目当てに出かけたのですが、自発的に外出したのは、本当に久しぶりです。
開放されると同時に、危険な場所に行った者が悪いという論調が出てきましたが、私はこの考え方には反対です。
3月のスペインでの列車同時爆破テロ以来、都内のターミナル駅では警備が強化され、警察官も配置されています。警察官は、踏み台を準備して上から監視しています。職務上、テロを起こす人物かもしれないと、すべての人をチェックするのは仕方の無いことでしょうが、見下ろされる側としては気持ちが良いことではありません。
裏を返せば、国民の安全が損なわれているということですから、日本国民全員が人質になっているとも言えるかと思います。人質とされているのは、あの3人だけではない、と私は思っています。
こういう事態になったそもそもの原因は、イラクに行った自衛隊でしょう。イラクに自衛隊が居る限り、実際にイラクに行く、行かないに関らず、日本国民全員が人質となってしまっていると思います。それにしても、日本人を危険にして「自衛」隊とは皮肉なものです。ドロ沼化したイラク国内の状況を鑑みても、イラク支援に対して、もっと他の選択枝はなかったのだろうかと思うこの頃です。
余談ですが、JRの車内放送で「警察の御指導により....」と放送しているのも、鉄道趣味者的には面白くないですね。警察は公的組織、JRは民間企業ですから、上下関係はわからなくはないですが、鉄道より警察が偉いみたいな表現ですからね。「警察と協力して....」と言って欲しいです。
奥の湯温泉は、山合いのひなびたお風呂で、まったりとした時間を過ごせました。思い返せば、成果報告書の書き直しの指示も出なかった(結果、評価は下がっただろうけど)ので、忙しかったのが本当に終わったようです。そのことを心の中で確認できた、ひとときでした。ようやく肩の荷が降りた気分です。
途中、内場ダムにも立ち寄りました。ダムの放流ゲートにレールが使用されているのを思わず発見。応力の方向とレールの特性を考えると、妥当な使い道ですね。刻印は、全部裏向きだったようで、確認できませんでした。
*1 1,435mmゲージのガソリンカー(満州の新京市の市電に化けたことで有名)が走った、かつての塩江温泉鉄道の終点。
今年度の後半は北海道へ長期出張したのが、すべての始まりで、後のスケジュールに体調狂いまくりで、いつにも増して、辛い半年でした。
たまらなくなって、近所の別の医者に行ったところ、医者の曰く「十分に休養してください」とのこと。
この医者に行くと、いつも血液を採取して検査をしてくれるのですが、検査結果は特に知らせてくれたりすることはありませんでした。ところがこの日に限って、検査結果を聞きに来るようにとの医者の指示でした。後日行くと「白血球、問題なしですね」とのこと。疲れがち、微熱が続くなどの症状から、白血病を疑われていたようです。
あまりに会社を休みすぎたので、また仕事を貯めてしまいました。周囲にも迷惑かけまくりです。
悪循環ですね。
"Blood the last vampire"(主演声優:工藤夕貴)を見ました。
冒頭のシーン。オレンジ色の電車が出てきます。中央線かな?と思いますが、車体のデザインから、営団銀座線の1000系とわかります。その裏付けの一つともなるのが、集電用レールです。そのレールに何だか見覚えのあるものが....。Sマーク(丸か四角かは不明)と一連の文字列でした(不明瞭だけど)。なんと、レールの刻印まで、セル画に描かれていたんですね。びっくり。
余談ですが、営団地下鉄では50kgレール(PS ?),大阪市交通局では集電用の特殊断面のレールが使用されているそうです。
追記:後日、このアニメがすごい、というようなタイトルの本を立ち読みしたのですが、この冒頭のシーンが紹介されていました。地下鉄坑内の配管などのディテールが凄いと。いやぁ、本当に凄いですよ。
出張先の仕事は夕方までかかるのでは?と心配していたのですが、あっけなく昼前に終了してしまいました。時刻的にちょうど富山行きの「ひだ」があったのですが、さいたま市に帰る場合、「ひだ」〜「はくたか」〜「とき」が最速らしい(帰宅ラッシュ時の東京からの京浜東北線も辛い)ので、このルートを選択しました。
せっかくですので、高山以北の高山線の古レール・チェックをすべく、先頭車グリーン車の最前列を狙って緑の窓口を訪れたのですが、最前列(3席)は完売とのことでした。
さて到着した列車を見てみると、グリーン車の乗客は1人のみ、ただし三脚でビデオカメラを構えていました。この日は、前日まで振り続いた雪が止んで、絶好のピーカン。おまけに昼の下り(北方向)列車なら、光線方向もバツグンのはずです。撮影のためにグリーン車を3席確保してしまうとは、なんと大人買いなことでしょう。負けました。
古レールのほうですが、富山平野に降りるあたりから、ホーム上屋などに古レールを確認しました。高山線は、飛騨古川が興味深かった分、他も気になります。
それから、越中八尾と速星で、鋳鉄製の跨線橋支柱を見つけたことも、記しておきましょう。
古レールのページの更新はもとより、古レールの調査もしばらくお休みでしょう。
その営団地下鉄ですが、今年の4月から民営化されるそうで、その社名は「東京地下鉄」だそうです。鉄道史を紐解くと(= 『私鉄史ハンドブック』を開くと)、鉄道会社の名称がリサイクルされている(廃止や合併により消滅した名称が再利用される)事例が、しばしばあります。関東で言えば、
などがあります。ですから、営団地下鉄の民営化後の名称は「東京地下鉄道」(1927〜1941,銀座線の浅草方)で決まりと思っていた*1のですが、「東京地下鉄」ですか?。ちょっと納得できないけれど、愛称コミということならOKと思っていました。上武鉄道(秩父鉄道と、旧日本ニッケル線) 総武鉄道(JR総武線と、東武野田線) 成田鉄道(JR成田線と、旧千葉県営鉄道)
ところが、東京地下鉄の愛称は「東京メトロ」になることが発表されました。確かに「東京地下鉄」では、「東京都営地下鉄」と紛らわしいですから、これは妥当な判断だと思いますが、だったら正式社名は「東京地下鉄道」にして欲しかったところです。
*1 いろいろシガラミがあるかもしれないが、埼玉高速鉄道や横浜高速鉄道に合わせて、「東京高速鉄道」(1938〜1941,銀座線の渋谷方)も可です。
コミック・ガンガンに荒川弘氏が連載している「鋼の錬金術士」の方です。アニメーション放映((c) 荒川弘/スクウェアエニックス・毎日放送・アニプレックス・ボンズ・電通2003)されているのを見てハマってしまい、原作コミックスも全巻そろえてしまいました。以下、ちょっと苦言が続きますが、これはこうだと、もっと面白かったのにという私の考えであって、「鋼の錬金術士」自体は大変面白いと思っていることは、誤解なきよう書き加えておきます。
お話によると錬金術には、「等価交換の法則」というのがあって、物を作るには同等の価値のあるものが必要とのことで、物理学による「質量保存の法則」を言っているようです。でも、大学の理学部で物理学概論(担当教官の趣味で実態はエントロピー増大則概論だった)なんて授業も受けていた身からみると、ちょっとモノ足りないですね。「等価」を言うなら、エネルギーレベルでの等価、すなわち「エネルギー保存の法則」を満たしてくれないと、わたし的には満足できません。「鋼の錬金術士」の冒頭のエピソードで死んだ母親を生き帰らせようとした主人公エドワードが、その代償として右手と弟を取られてしまいますが、これくらいが等価交換と言えるのではないか、というのが私のイメージです。錬金術というのは、増大していくことが原則のエントロピーを逆に減少される技術だと定義したほうが、SF的にも面白かったでしょう。
−−−そう言ってしまうと、「エネルギー保存の法則」上で、変換に不足するエネルギーを補充するのが練金術(さらには賢者の石)と定義されているのかもしれません。ということで納得してやってください>私。
ついでに気になる点を。原作コミックの扉絵に蒸気機関車のクランクと動輪の組み合わせ風の精密画が初巻以来、掲載されています。物語の歴史時代(産業革命時代)を説明する小道具になっているようです(でもボックス動輪とは....。これでは20世紀になってしまいます)。ところが、この絵にはダウトがあります。クランクを動かすことを考えてみると、動輪は同じ方向に回転しようとする(だからレールの上を走れる)のですが、この絵では動輪の周りが歯車になっていて隣の動輪と接しているため、回転不能になってしまうんですよね (^_^;。−−これは小歯車を入れることにより解決します。
もう一つ、ついでに、アニメ放送のオープニング曲が、L'Arc-en-Ciel *1 の曲に変わりました。ストーリの雰囲気に良くあったテンポとイメージの曲で気に入っています。ところで、この L'Arc-en-Ciel のメンバーの4人のうち1人は、私の小・中学校を通しての同級生だったりします。中学校でも36人×3組しかない学校でしたし、彼とは9年間同じクラスだったように記憶しています。また、メンバーのもう1人は1年上の先輩で、うちの中学の生徒会長をやっていたようです。ということで、応援してやってください。
*1 空の弓=虹 という意味らしいですね。あるウェブページ (^_^; で知りました。
メニエール病は、自立神経(交換神経+副交換神経)の異常から三半器官(蝦牛管)にリンパ液が過剰に溜まることにより、平衡感覚が狂ってめまいを生じたり、耳鳴りが鳴ったりする(症状が進行すると失聴する)病気です。自立神経の異常は、更年期障害によるものもありますが、本人の気真面目すぎる性格と強いストレス(要するにストレスが受け流せれば問題無い)も原因になることがあるとされています。めまいや耳鳴りは、短いと数10秒、長いと2〜3日間続く発作として現れます。
私の場合、平衡感覚が狂っている間は、乗り物酔いか宿酔いのような感覚(ひどいと吐き気も)が続きます。発作は、強弱を繰り返しながら1週間くらい続く時もあるような....。
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