■「平安京検非違使庁址」石碑
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平安京検非違使庁址」石碑と検非違使見習い2匹

 2004年4月、自宅前に、「平安京検非違使庁址」の石碑を建て、説明板を設置しました。この家に住むことが決まった時から、石碑を建てて顕彰することが、団長の夢でした。2年の時を経て、ようやく望みが叶いました。下は、団長が書いた説明板の文章と除幕式当日に用意した挨拶文です。

【平安京 検非違使庁址石碑の説明板】平安京 検非違使庁址

 東を堀川小路(堀川通)、北を鷹司小路(下長者町通)、西を猪隈小路(猪熊通)、南を近衛大路(出水通)に囲まれた範囲は、平安京左京一条二坊七町にあたる。平安時代前期から中期にかけ、この地には平安京の「首都警察」であった検非違使庁が存在した。検非違使は弘仁六年(八一五)頃に令外官として創設され、当初は左右両庁に分かれていたが、天暦元年(九四七)にひとつに統合された。この左京一条二坊七町の地は、もとは左衛門府の一部であったが、分割されて検非違使の庁舎の敷地にあてられた。検非違使の職掌は警察、裁判、科刑に及んでいたが、時代を経るに従ってその役割は拡張され、やがては京内の行政全般にわたる広範な権限を持つにいたった。ただ、平安時代後期になると検非違使の事務は別当(長官)の私邸でおこなわれるようになり、左京一条二坊七町の庁舎は廃絶したのである。
 平安時代の歴史の中で、検非違使の果たした役割は限りなく大きい。この重要な史跡を後世に伝えるため、ここに顕彰碑を建立する。
 平成十六年四月九日

財團法人 古代學協會 建之
花園大学文学部教授 山田邦和 寄贈

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「平安京検非違使庁址」顕彰碑建立のご挨拶

2004年4月10日 花園大学文学部教授  山田邦和

 私は京都の街に生まれ育ち、幼い頃から京都の史跡・遺跡に親しむことによって歴史への興味をはぐくんでまいりました。そして、長ずるにおよんで「考古学」という学問を専攻することになりました。現在の私がもっとも重要なテーマとしているのは、考古学の立場からする平安京および京都の都市史研究であります。
 私はこれまで、研究を進めていく経緯の中で、京都の史跡顕彰の必要性を痛感してまいりました。2001年末に、私はたまたまご縁があって京都市上京区に転居いたしましたが、その自宅の場所は「平安京検非違使庁<けびいしちょう>址」にあたっておりました。いうまでもなく、検非違使庁は平安京の首都警察と裁判所の機能を兼ねる役所であり、やがては京内の行政全般にわたる広範な権限を持つにいたり、平安時代の歴史の中で大きな役割を果たしました。平安京の研究にたずさわる私にとって、こうした由緒ある史跡の地に居を構えることができたことは無上の光栄であります。そこでこのたび、自宅前に「平安京検非違使庁址」の顕彰碑と説明板を設置し、この重要な史跡を後世に伝えることにいたしました。
 また、昨4月9日には、私の師のひとりであり、尊敬してやまない角田文衞博士(財團法人古代學協會理事長・古代学研究所所長兼教授)が満91歳の賀を迎えられました。角田博士はいうまでもなく古代学の泰斗、平安京研究の大家であり、これまでも京都の史跡顕彰に力をつくしてこられた方であります。そこで、この顕彰碑を角田博士の主宰される財團法人古代學協會に寄贈することによって、角田博士のますますの御長寿と御活躍を祈念したいと存じます。



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