■ 大峰寺址
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大峰殿
大峰殿

 京都の町は、なにげなく自転車で走っていても、何かしらの史跡に行き会うことがあります。駒札に気がつき、ちょっと寄り道ということになってしまいます。「大峰寺址」も、買い物の途中に出会いました。

大峰寺址

 大峰図子町(おおみねずしちょう 京都市上京区西洞院通一条上ル)には、2メートルほどある石塔が祀られています。民家にはさまれた狭いスペースですが、門をくぐった奥に小さな堂が建ち、その中に石塔が安置されています。前に帳が掛けられ、残念ながら中をのぞくことはできません。
 大峰図子町のあたりは古くは「大峰野」と呼ばれており、平安時代には「大峰寺」というお寺がありました。寺の由緒は明らかではありませんが、山岳修験者の道場であったようです。

 『今昔物語集』(巻20-9)に「大峰寺」が登場する説話があります。

 今は昔、みやこに外術を得意とする法師がいた。履いているぞうりを即座に犬の子にしてみたり、懐から狐を鳴かせて取り出してみたり、牛や馬の尻から入って口から出たりしてみせた。
 あるとき隣に住む若い男がそれをうらやましく思い、法師に弟子入りを懇願した。若い男の熱心な頼みに法師も折れ、「自分は教えることができないが、教えてくれる所へ導こう。ただし刀を絶対に持って行ってはならない」と約束する。
 数日後、法師は若い男をともない深い山に分け入った。若い男は、法師を信じることができず、刀を持っていってはならないと約束を破り、懐に小刀を隠し持って行った。やがて僧坊にたどりつく。法師は、僧坊の主である老僧に若い男を連れてきたわけを話した。老僧は、若い男に「刀を持っているな」と言った。若い男は恐ろしくなって刀を抜き老僧に飛びかかった。その途端に老僧は消え、僧坊も消えた。
 若い男は、大きな堂の中にいた。はるかに来たと思ったが、そこはみやこの内、一条と西洞院にある大峰寺の堂の中だった。

 寺が荒廃した後は、石塔のみが残りました。堂に納められている石塔は、役行者の塚ともその法孫日円の塚ともいわれています。また三条天皇の中宮藤原妍子(よしこ)の火葬塚とする説もあります。



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