■ 紫野斎院跡
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檪谷七野神社と賀茂斎院跡碑

 奈良時代から伊勢神宮に奉仕する斎王に対して、平安時代には上下賀茂社に奉仕する斎王が置かれました。それぞれの斎王が住まう建物を斎宮、斎院といいます。
 賀茂の斎王が住まわれた斎院を訪ねてみました。

紫野斎院跡

 紫野斎院は、弘仁元年(810)に創設され、建暦2年(1212)に廃絶します。その間約400年間に斎王は35人を数えました。伊勢の斎王が天皇の代替わりごとに交替するのに対し、賀茂の斎王は必ずしもそうではありませんでした。
 紫野斎院は、応仁の乱後その所在を失いました。しかし角田文衞先生の研究により、上京区大宮通西、廬山寺通北に位置する社横町の一画(檪谷七野神社をふくむ50丈四方)と推定されました。
 平成13年11月、賀茂(紫野)斎院顕彰会により顕彰碑が建てられました。同所には角田先生による解説、斎院跡の推定復元図、歴代斎王譜などが記されたパンフレットが置かれています。

檪谷七野神社(いちいだにななの)

 社伝によれば文徳天皇皇后藤原明子(染殿皇后)が安産を祈って奈良の春日大社を勧請したのがはじまりとだれ、のちに伊勢・石清水・賀茂・平野・松尾・稲荷の6神を加えて「七の社」と称したといい、また付近の地名である紫野・上野・蓮台野・萩野・北野・平野・内野の七野の惣社として祀ったともいわれています。
 中世荒廃し、豊臣秀吉によって再興されました。現在の本殿基壇の石垣には、下の写真のような家紋などの刻印が見られます。

石垣の刻印

【アクセス】市バス天神公園前下車徒歩5分
【参考文献】角田文衞「紫野斎院の所在地」『王朝文化の諸相』(法蔵館)



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