■ふたつの在原業平の墓
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塩竈清祭

 京都の西郊・大原野の十輪寺(西京区大原野小塩町)へ、「塩竈清祭」を見に行きました。
 十輪寺は、平安時代の歌人で『伊勢物語』の主人公在原業平(825〜880)が晩年に隠棲したと伝えられる寺です。在原業平は、難波の海水を運ばせ、塩焼きの風流を楽しんだといわれ、寺の裏には塩竃の跡が残っています。中世以降、業平信仰が生まれ、業平は陰陽の神としてあがめられます。塩竈からあがる煙にあたることにより、良縁成就、心願成就、芸事上達に御利益があると信じられてきました。十輪寺ではその故事にちなんで、数十年前に塩竈を復元し、「塩竈清祭(しおがまきよめまつり)」を復活させています。毎年11月23日に行われています。
 十輪寺には塩竃の跡をはじめ、海水を貯めておいた塩汲池の跡、業平の墓など、業平ゆかりの旧跡が残っています。さらに近辺にもうひとつの業平の墓があるとういことを聞き、たずねてみました。

ふたつの在原業平墓

 十輪寺の境内裏山には在原業平の墓と伝えられる宝篋印塔があります(下写真左)。実はもうひとつ業平の墓と伝えられているものがあります。
 前日、十輪寺の「塩竈清祭」に行ったことから業平伝説について図書館でいろいろと調べてみました。十輪寺から少し離れた村落の民家の裏の竹やぶ(大原野上羽町)にも業平の墓があるという記述に出会い、すぐに訪ねてみようと思い立ちました。
 上羽町の氏神・入野神社を目印に、バイクを走らせました。入野神社へ行き着くまでに少し迷いましたが、神社に着くとすぐにその家がわかりました。家の方に案内を乞うと快く迎えていただけました。案内を受け、竹やぶの中へと入っていきます。思ったより深い竹やぶを踏み分けて行くと、3基の五輪塔が見えてきます(下写真右)。中央の大きな塔が業平の母・伊都内親王の墓、右側が父・阿保親王の墓、少し離れた左の小さな一石五輪塔が業平の墓と教えられました。また竹やぶの横には西方寺という寺がありますが、この寺が業平の母・伊都内親王の邸宅の跡で、竹やぶの中の盛り土が伊都内親王の墓ではないかとも言い伝えられているようです。

在原業平の墓
在原業平の墓(十輪寺)  伊都内親王・阿保親王・在原業平の墓(大原野上羽町) 

 いずれも『伊勢物語』の「心つきて色好みなるをとこ、長岡という所に家をつくりて居りけり(58段)」、「母なん宮なりけり。その母、長岡という所に住み給ふける(83段)」といった内容により後世に作られた供養塔だと考えられます。

【アクセス】十輪寺 市バス大原野小学校前、阪急バス小塩下車



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