■小野篁に会いたい1
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小野篁像

 わたしは、小野篁が大好きです。
 初めて小野篁の名前を知ったのは、高校の古文の時間です。『江談抄』という説話の中に登場しました。「子子子子子子子子子子子子」と書いてなんと読むかという謎かけに篁が見事に答えるという話でした。(答えは下に書いておきますね)
その話が妙に心に残って、調べてみると昼間は朝廷に仕え、夜は閻魔庁に仕えるという不思議な伝説の持ち主。ますます好きになりました。
 小野篁(802〜852)は、平安時代前期の官人。すぐれた学者・漢詩人・歌人として有名です。遣唐副使に任ぜられたのですが、大使藤原常嗣と争い乗船を拒否し、嵯峨上皇の怒りを受け隠岐に流されました。許されたのちは参議まで進みました。
 今年も8月の六道まいりで、六道珍皇寺で篁の等身大立像(上写真)に会えるのが楽しみです♪
 (今回から探偵犬マックが初登場。史跡巡りのお手伝いをします。)

小野篁邸宅跡

小野篁邸宅跡
小野篁邸宅跡地図
小野篁邸宅跡周辺地図

 小野篁のファンは多いのですが、彼がどこに住んでいたということを知っている人は少ないのではないでしょうか。
 南北朝時代にできた貴族の教養書『拾芥抄』の「西京図」を見ると、西靱負小路の東、西大宮大路の西、冷泉小路の南、二条大路の北に「野篁家」という記述があります。つまり、篁の邸宅は平安京右京二条二坊四町にあったということになります。この場所は、大内裏のちょうど南西角付近にあたっています。
 現在の地名でいうと、中京区西ノ京冷泉町の真ん中付近が篁の邸宅跡になります。朱雀第四小学校の東側の住宅地の中です。残念ながら、安倍晴明邸宅跡と同様、現地に行っても篁の邸があったことを示すものは全く残っていません。
 とりあえず右京二条二坊四町の中心あたりに立って、北を向いて写真を撮ってきました。一緒に写っているのが探偵犬マックです。
アクセス:市バス太子道下車 東南へ徒歩5分

小野篁墓

小野篁墓
小野篁墓と顕彰碑 

 小野篁墓と伝える墳丘が、北区堀川通北大路下ル西側にあります。同一敷地内には伝・紫式部墓がありますから、行かれた人も多いかもしれません。
 この辺りは、平安の昔から蓮台野(れんだいの)と呼ばれる墓地だったので、貴族の墓があってもおかしくはありません。この両人の墓がこのあたりにあったということは、文献上でも古い伝承として残っています(14世紀の『河海抄』巻1には、すでに記されています)。しかし、現在見られるこの墳丘に本当に小野篁が葬られているかどうかは、もはや確認するすべもありません。
 写真左が伝・小野篁墓の墳丘で、右は「参議小野公塋域碑」の石碑。この墓は10年ほど前に整備されました。

【アクセス】北区紫野西御所田町 市バス堀川北大路下車 すぐ【六道まいり】8月7日〜10日 期間中終日 松原通には夜店がならぶ。境内にある「迎えの鐘」をついて先祖の霊を迎えるのが京の盆行事のはじまり。

 ※答 ねこのこのこねこ ししのこのこじし(猫の子の子猫 獅子の子の子獅子)

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