■堀河院跡 |
大内裏の東南、二条大路(現在の二条通)に面して堀河院・閑院・東三条院と、いずれも南北二町を誇る摂関家ゆかりの邸宅、里内裏が並び、まさに上流貴族の高級住宅街といった感じです。 堀河院跡
堀河院は、太政大臣藤原基経(831〜891)の邸宅で、平安京のなかでも最高の邸宅として知られていました。左京三条二坊九・十町にあたります。堀河院の名前の由来は、堀川に面して開いていた西門を正門としたことによります。基経は、重要な儀式をこの邸宅で行いました。孫の兼通に伝領され、貞元元年(976)の内裏焼亡の際には、兼通の娘を中宮としていた円融天皇の里内裏となりました。その後も、堀河天皇の里内裏になり、天皇はここで崩御しています。『讃岐典侍日記』にその詳細が細かく記されています。 |
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