■安倍晴明を探せ4 |
陰陽寮跡晴明は天文博士として、平安宮(大内裏)の陰陽寮に勤めていました。陰陽寮は中務省(天皇の秘書的役割を持つ役所)に属しており、天文密奏・造暦・報時・ト筮をつかさどっていました。陰陽寮の跡地は、現在の丸太町通と美福通の交差点付近にあたります。詳しい配置は左の図を参照してください。中務省の本庁の周囲に、陰陽寮をはじめとする付属官庁が並んでいました。
上左写真は、図の▲地点から矢印方向に撮したもので、ちょうど陰陽寮の中心部を望んでいます。現地には直接陰陽寮を示すものは残っていませんが、●地点で中務省東面築地(鈴鎰東築地)の跡が発掘調査によって確認されており、マンションの玄関にその由来を記したプレートと、築地跡を示すタイルが工夫されています(上左写真)。中務省東面築地とは、つまり陰陽寮の東築地の延長ということになります。 浄妙寺跡 京都の南郊、宇治の木幡の地には、代々藤原氏摂関家の墓地が営まれていました。藤原道長は、寛弘2年(1005)木幡に浄妙寺を建立し、一族の菩提を弔いました。浄妙寺は室町時代には廃絶し、その位置はわからなくなっていましたが、木幡小学校建設にともなう発掘調査により、その姿が明らかにされました(左復元図)。 ▼平安京に安倍晴明を探せ 1 2 3 4 |
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