■鵺の鳴く夜は |
『平家物語』(巻4)によると、源三位頼政は2度鵺(ぬえ)退治を行っています。一度は仁平年間(1151〜1154)、近衛天皇を夜な夜な悩ませた、頭は猿、胴体は狸、尾は蛇、足手は虎という妖怪を退治しました。二度目は応保年(1161〜62)、二条天皇をおびえさせた怪鳥を退治しました。いずれの妖怪・怪鳥とも「東三条の森」から暗雲とともに御所へとやってきました。そして頼政によって射殺されます。 鵺塚
岡崎公園のグラウンド(東山区岡崎)の中央に通称「鵺塚」と呼ばれていた塚がありました。鵺を葬った塚とも、鵺の棲む杜とも伝承されていました。グラウンド拡張整備工事で発掘調査された結果、古墳時代の古墳であることがわかりました。そのときに出土した遺物は、月輪南陵(東山区)の域内に「鵺塚陵墓参考地出土遺物埋納所」(写真右)として再埋納されています。 鵺池址 二条城の北側、二条児童公園の中に石で囲まれた浅い窪みがあります。頼政が鵺を射た血のついた鏃を洗った池の跡だと伝承されています。公園脇には鵺大明神を祀る祠があり、鵺池の由来を記した「鵺池碑」が建てられています(写真上)。鵺池の中には、旧「鵺池碑」がありますが、表面が摩滅してほとんど読めません。 鏃と弓 神明神社(下京区神明町・写真左)には、頼政が鵺退治に使ったいう「鏃」が2本伝わっています。社伝によれば、神明神社は藤原忠通の邸宅(四条東洞院内裏)にあった鎮守社で、鵺退治にむかう頼政が祈願をこめ、みごと退治した御礼に奉納したものだそうです。「鏃」は毎年祭礼の時に飾られます。 |
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