■平重盛に会いたい2~平安時代の園池・積翠園
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積翠園

 団長が京都女子大学の野口実先生に案内されて、平重盛の邸宅「小松殿」の庭園と伝えられる「積翠園」を訪れました。団長からその話を聞いてぜひわたしも行かなければ!と、次の日にさっそく見に行って来ました。
 一目見て、こんな所にこんな広い苑地があったのかという驚きです。庭園のことはよくわかりませんが、すばらしいお庭であることだけはわかります。回遊式になっており、池の中にはふたつの島があります。いろいろなことを考えながら何周も歩いてみました。
 はたしてこの庭園が、重盛の「小松殿」の遺構であるかどうかはわかりません。しかし、池を眺めて、重盛が建てた四十八間の一間ごとに灯籠をかかげた御堂がここにあったのかもしれないなどと考えると、楽しくなってきます。まさに隠れた名所であると思います。

積翠園(しゃくすいえん)

積翠園

 積翠園(しゃくすいえん)は、東山区妙法院前側町にあります。もともとは妙法院の境内地でしたが、昭和29年(1954)、日本専売公社が土地を買収し、現在は京都専売病院の庭園となっています。
 東西に伸びた池中には大島、小島ふたつの島があります。大島のそばには「夜泊石(よどまりいし)」と呼ばれる5つの石が配置されています。これは蓬莱山から宝物を積んで帰った宝船が、港に停泊している姿を現したものといわれています。
 積翠園は、江戸時代には妙法院境内の庭園となっていましたが、佐々木利三氏はこれを平安時代末期にさかのぼる庭園遺構であり、なおかつこのあたりにあったと推定される平重盛の邸宅「小松殿」の園地ではないかとされています。平家都落ちの際には「六波羅」とともに「小松殿」も焼き払われたといいます。「小松殿」の正確な位置は確定できませんが、『平家物語』(長門本)に、「六波羅ノ東大道ヲ隔テ辰巳角云々」とある記事と、小松谷の地名をてがかりとして推定すると、おおよそ京都専売病院の北あたりになるのではと思われます。「六波羅第跡」の推定地図をご参照ください。

 積翠園を訪ねた際は、周辺を歩いてみてください。東側の小高い場所は、藤原邦綱の邸宅「若松亭」の苑地址といわれています。池は現在では残っていませんが、池田町という地名が残っています。

【アクセス】市バス「馬町」下車すぐ。京都専売病院の構内。庭園は自由に見学できます。京都専売病院の守衛所横が見学入口になっており、2種類の絵ハガキを無料でくださいます。

【参考文献】佐々木利三「積翠園の保護についてー平安朝庭園の遺構として」(『史迹と美術』254号 昭和30年)

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