■平氏六波羅第跡
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平氏六波羅第・六波羅探題府石碑

 西八条第跡に次いで、六波羅第跡をたずねてきました。西八条第跡と同様、現在はそれをしのぶものは何も残されていません。わずかに洛東中学校の正門を入ってすぐ左の植え込みの中に、「此附近 平氏六波羅第 六波羅探題府」の石碑が立てられています。

平氏六波羅第跡

 六波羅第は、鴨川の東、六条河原の末に位置します。清盛の父・忠盛のころから「故刑部卿忠盛の代に出し吉所也(『平家物語』長門本)」と伝えられるように、平氏一門の重要な邸宅でした。もとは一町四方であったものが清盛のころには二十余町に及ぶようになりました。清盛の邸宅は泉殿で、頼盛の池殿、惣門の脇に教盛の門脇殿、東南の小松谷に重盛の小松殿が建ち並んでいました。しかし平家の都落ちの際、邸宅に火を放たれ、すべては灰燼に帰してしまいます。
 六波羅第の範囲について、はっきりと確定されているわけではなく、わずかに残る町名(三盛町・池殿町・門脇町・多門町・北御門町・西御門町)によって推定されています。

六波羅周辺地図

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【アクセス】市バス清水道下車
【参考文献】高橋昌明『清盛以前』近日再刊!



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