■鳥羽離宮散策1
▲home 


 鳥羽離宮は、白河法皇が水に恵まれた風光明媚な鳥羽に造営した離宮です。白河上皇のあとをうけた鳥羽法皇も、次々と殿舎や仏殿を増築しました。現在までの発掘調査で判明しているのは、北殿(勝光明院を付設)・南殿(証金剛院を付設)・馬場殿(城南宮を付設)・田中殿(金剛心院を付設)・東殿および泉殿(安楽寿院・成菩提院を付設)・中島という6つの大きな部分からなります。

鳥羽のつくり道

鳥羽つくり道

 鳥羽のつくり道とは、羅城門を起点にして朱雀大路を延長させ、鳥羽まで延びるまっすぐな道です。平安京遷都の際に資材を運ぶために整備された道である可能性が高いようですが、遷都以前からあったのかどうか不明な点が多いようです。「鳥羽の西大路」とも呼ばれています。
 現在、南区の羅城門跡に立つと、まっすぐに延びる道を確認することができます。写真は、羅城門跡から50メートルほど南下した地点から、北を向いて撮影しました。正面のこんもりと緑が見えるのが羅城門跡公園です。
 先日、羅城門跡から鳥羽離宮跡まで歩いて散策するという機会がありました。約3キロメートルの道のり。あちこち見学しながら歩いても2時間弱ほどでたどりつき、思ったほど遠くないなあという感想です。

南殿・秋の山(鳥羽離宮公園)・証金剛院

鳥羽離宮公園

 鳥羽離宮跡散策の最初に紹介するのは、南殿跡です。南殿跡は、鳥羽離宮公園として整備されています。公園の北側には、離宮の築山跡の遺構と考えられる「秋の山」が残っています。
 南殿は、最初に作られた御所です。新しく作られた新御所を北殿と呼ぶのに対して、南殿と呼ばれました。南殿には、証金剛院がありました。
 公園の南側入口には、鳥羽離宮南殿の説明板が立っています。

北殿・勝光明院

城南離宮

 南殿に対する新御所・北殿は、閑院の建物を移築して造られました。北殿の東には、勝光明院が建てられました。勝光明院は、宇治の平等院阿弥陀堂を模して造られました。
 治承のクーデターの時、後白河法皇が幽閉されたのが北殿です。『平家物語』の「法皇被流」「城南離宮」などには、鳥羽離宮の風景、後白河法皇の心情などが描かれています。
 写真は国道24号線に建っている「城南離宮」大きな石碑です。城南離宮(せいなんのりきゅう)とは鳥羽離宮のことです。

馬場殿・城南宮

 城南宮は、馬場殿に建てられた鳥羽離宮の鎮守社です。城南宮では毎年流鏑馬・競馬が催されました。
 現在では方よけの神社として、また王朝の雅を伝える曲水の宴で知られています。

田中殿・金剛心院

田中殿石碑  金剛心院跡跡石碑

 田中殿は、鳥羽上皇の皇女八条院のために建てられ御所です。公園として整備されており、石碑が建てられています。
 田中殿に附設する金剛心院跡では、釈迦堂・九体阿弥陀堂・小御堂・寝殿・庭園などの遺構や、それを取り囲む築地跡が発掘されています。上の左写真の金剛心院跡の石碑は、ラブホテル街のホテル前に建てられています。

【参考文献】
山中章・山田邦和共著『日本の古代遺跡 京都2』(保育社 1992)
『京都市の地名』(平凡社)
長宗繁一・鈴木久男「鳥羽殿」(『平安京提要』角川書店 1994)
竹村俊則『昭和京都名所図絵 6洛南』(駸々堂 1986)
杉山信三『よみがえった平安京』(人文書院 1993)
川勝政太郎『京都の石造美術』(木耳社 1977)
京都市歴史資料館制作「京都の歴史年表解説シート 鳥羽離宮」(京都市歴史資料館のWEBサイトでダウンロードできます)

安楽寿院WEBサイト(本尊の阿弥陀如来におまいりすることができます)

▼鳥羽離宮散策   



▼平安京を歩こうindex
(C)平安京探偵団