■後白河法皇と長講堂
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長講堂石碑  長講堂本尊
長講堂石碑と本尊阿弥陀如来、後白河法皇画像

 長講堂(下京区富小路五条下ル本塩竈町)は、後白河法皇の持仏堂です。もとは西洞院六条にあった院御所・六条西洞院殿内に建立されたものです。

 後白河法皇が晩年を過ごした院御所である六条西洞院殿は、左京六条二坊十三町に所在しました。もともとは法皇の近臣平業忠の邸宅で4分の1町であったものを、文治4年(1188)に焼失した後、法皇が院御所にふさわしく1町規模に拡張して再建されました。法皇は、建久3年(1192)、六条西洞院殿でその波乱の生涯を閉じます。
 長講堂は、六条西洞院殿に営まれた持仏堂です。持仏堂といっても、単なる持仏堂ではなく、僧坊も付属する本格的な寺院であったようです。正式名は「法華長講弥陀三昧堂」といい、法華経を長期間講じ、阿弥陀仏を念じて三昧境地に入る道場という意味を持ちます。法皇は崩御する直前に莫大な荘園を長講堂に寄進します。その後、長講堂の膨大な荘園は、持明院統の経済基盤となりました。たびたび火災に遭い、天正6年(1578)に豊臣秀吉によって現在地に移転させられます。

 本堂の阿弥陀如来像は平安時代のもので、御影堂には後白河法皇木像(江戸時代)が安置されています。本尊阿弥陀如来を前にして、後白河法皇もこの阿弥陀様の前に手を合わせたのかと想像すると、しばし源平時代にタイムスリップしたかのように感じます。普段は非公開ですが、4月13日の法皇忌法要時のみ公開されます。

【参考文献】
山田邦和「左京と右京」『平安京提要』(角川書店 1994)
太田静六『寝殿造りの研究』(吉川弘文館 1987)
『京都市の地名』(平凡社)




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