■ 帝王失格〜花山天皇

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帝王失格〜花山天皇

 歴代天皇の中でも、花山天皇ほど不可思議な魅力に満ちた人物はそういない。その生涯は、輝かしい栄光とにがい挫折との間を、異常なほどの振幅でゆれ動く連続だった。
 17歳で即位した若き新帝は、気鋭の新進貴族をとりたてた意欲的な政治ぶりと、みずからの自由闊達なふるまいでたちまち注目の的となった。先例重視の古参貴族たちは天皇の傍若無人な行動を「狂い」と呼んで嘲笑した。しかし、わたしの目にはまったく違った姿が映る。それは、旧弊な宮廷の世界にあって、みずからの個性の爆発に見悶えする多感で純粋な青年の姿である。
 破綻は意外なほど早く来た。寵愛する美貌の女御(藤原ヨシ子)の死が、彼に皇位を投げ出すきっかけを与えた。蔵人藤原道兼はその父兼家(右大臣)と謀り、天皇を山科の元慶寺に連れ出して出家にみちびく。在位わずかに1年10ヶ月。
 退位してからの花山法皇は、宗教と芸術の道に没頭した。書写山・比叡山・熊野などの霊場を巡歴する修行ぶりは、彼をして西国三十三ヶ所観音霊場巡礼の創始者とする伝説を生む。芸術家としての法皇はまさに天才であった。建築・絵画・工芸・造園・和歌、どれをとってもその斬新なアイデアが世間の耳目を奪わずにはいなかった。彼はみずから歌をよむだけでなく、『拾遺和歌集』を撰して歌界の保護者としての役割も果たした。
 数多くの女性と浮名を流す彼のプレイ・ボーイぶりは有名だったし、それがこじれて内大臣藤原伊周に矢を射かけられるというハプニングすらおきた。こうした醜聞は彼の評判を泥にまみれさせたが、ここにも、自分に正直に生きたいと願い続けたひとりの人間の姿が見え隠れする。
 こんなパーソナリティの持主にとって、ドロドロした権力抗争の渦の中で皇位にいすわることが幸せであったはずがない。権力の亡者たちの前で彼の純粋な理想主義がまっとうされたはずがないからである。その意味で、謀られた退位も彼にとっては決して悪い選択とはいえなかったであろう。彼は、帝王として、また政治家としては確かに失格だったかもしれない。しかしわたしは、一天万乗の位を惜しげもなくふりすて、美と信仰と愛の世界を選んだ彼に拍手をおくりたい。
 彼は、みずからの御所・花山院の築地塀の上になでしこの種を蒔かせた。秋になると、塀の上には唐錦をはりめぐらしたように、色あざやかな花が華麗に咲き乱れた。まるで、この偉大な帝王失格者の絢爛たる情念の噴出のように。

(朝日選書『平安の都』所収)

※このコンテンツでは、平安京探偵団団長・山田邦和の過去に発表した文章を掲載しています。



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