■足利義満寄進の手水鉢
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足利義満寄進の手水鉢と若宮八幡宮

左 足利義満寄進の手水鉢  右 若宮八幡宮

  JR東海が主催した足利将軍の史跡をめぐるツァーに参加しました。その中で特に興味深かった史跡をご紹介します。
 京都市東山区五条橋の東にある若宮八幡宮の本殿玉垣内には、足利義満寄進と伝える手水鉢があります。花崗岩製で、八角形にくりぬかれ、側面には至徳3年(1386)5月9日の銘が刻まれています。

若宮八幡宮

 若宮八幡宮は、天喜元年(1053)、後冷泉天皇の勅願で源頼義が六条西洞院にあった邸宅に創建した鎮守社がはじまりです。六条八幡宮、左女牛八幡宮とも称しました。源家をはじめ足利歴代将軍の崇敬を集め隆盛を誇りましたが、応仁の乱で荒廃します。その後社地を転々とし、慶長10年(1605)現在地へ移転しました。昭和24年、陶祖神椎根津彦大神が合祀されたので、陶器神社とも呼ばれます。8月の陶器まつりには五条通一帯は露店が並び賑わいます。

 若宮八幡宮には「足利将軍参詣絵巻」という絵巻があります。六条西洞院に所在した若宮八幡宮に足利将軍が参詣する様子を描いた絵巻です。
 社伝では応永17年(1410)の足利義持の参詣を描いたものとされています。しかし下坂守氏(京都国立博物館)の研究によると、足利義晴か義輝をモデルとした理想化された参詣図であるようです。
 この絵巻で注目されるのは、将軍の供をする同朋衆(下写真右の中央の法体の人物)の姿が描かれていることです。同朋衆は将軍の側近にあって芸能や雑役をつとめ、室町時代の武家文化の中で大きな役割を果たしました。
 またこの絵巻の中には、トップの写真の足利義満寄進の八角形の手水鉢も描かれています。

足利将軍参詣絵巻

【アクセス】五条若宮八幡宮 市バス五条坂下車 すぐ



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