■隅田八幡神社の画像鏡〜探偵団的祇園祭探訪
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占出山の掛け物と隅田八幡宮人物画像鏡

 15年前の祇園祭でのこと。団長が「おもしろいものを見せてあげる」と、占出山へと誘いました。占出山の町会所にはご神体の神宮皇后をはじめ、三十六歌仙図の水引など絢爛豪華な懸想品が飾られたいました。その中に、上の1枚の懸想品も飾られたいました。ごらんのとおり銅鏡の図柄です。それ以来、毎年占出山のこの懸想品を見ることがラン2にとって祇園祭の定番になっています。

占出山

 占出山(うらでやま・錦小路通室町東入ル占出山町)は、別名「鮎釣山(あゆつりやま)」ともいわれ、神宮皇后が肥前国松浦で鮎を釣り、戦勝の兆しとした故事によっています。安産の神、神宮皇后がご神体で、安産のお守りが授与されます。
 さて上の写真の銅鏡図柄の胴掛けですが、その絵柄は和歌山県隅田(すだ)八幡宮蔵の人物画像鏡を描いたものです。隅田(すだ)八幡宮蔵の人物画像鏡は、『紀伊国名所図絵』三編二之巻(1838年)に描かれており、森浩一先生の『交錯の日本史』によれば、「『紀伊国名所図絵』の銅鏡の絵と占出山の掛け物とは、上下左右の位置など見事に符号していて、占出山の掛け物が『紀伊国名所図絵』によってつくられたとみてよかろう。」としています。
 隅田八幡宮蔵の人物画像鏡は、歴史の教科書に必ず登場します。舶載鏡を模作したホウ製鏡(日本製)で、作鏡の由来をしるした48字の銘文が入っています。
 『紀伊国名所図絵』には、この鏡は神宮皇后が朝鮮半島より持ち帰ったという伝えがあることを記しています。占出山の胴掛けになったのも、その縁からでしょうか。

吉兆あゆ

 祇園祭の宵山に限定して占出山で売られる和菓子があります。左の写真の「吉兆あゆ」です。「あゆ」は京都の夏の季節菓子ですが、「吉兆あゆ」この時だけです。

【参考文献】
森浩一「祇園祭と隅田八幡宮の銅鏡」『交錯の日本史』(朝日新聞社 1990年)




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