■幻の東福寺大仏
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東福寺大仏の手
東福寺大仏の左手

 鎌倉時代の京都にも大仏さまがあったことをご存じですか?
 東福寺の仏殿の東北隅に、上の写真の約2メートルほどある左手がまつられています。これはかつて仏殿の本尊であった大仏の左手です。仏殿には明治14年(1881)に火災で焼けてしまいますが、それまでここには高さ約7メートルある本尊釈迦仏像がまつられていました。火災の際、左手だけが救出されたのでした。現在の仏殿は昭和9年(1934)に再建されたものです。

東福寺

 東福寺は、摂政藤原(九条)道家の発願により造営された禅宗寺院です。開山は円爾弁円。寺名は東大寺と興福寺の1字づつをとってつけられました。京都五山のひとつでもあります。たびたびの兵火に遭いながらも、禅宗寺院の遺構として貴重なものを数多く残しています。
 現在は紅葉の名所として知られ、通天橋から眺める渓谷の景色は圧巻で、たくさんの人でにぎわいます。

東福寺

 東福寺の三門は、応永年間(1394〜1428)の造営で、日本最古の遺構として国宝に指定されています。楼上には室町幕府4代将軍足利義持筆の「妙(玄少)雲閣」の扁額が掲げられています。
 楼上は華麗な極彩色の世界がひろがっています。中央には宝冠釈迦如来、左右には十六羅漢がならびます。典型的な院派の仏像であるということです。天井、柱には兆殿司(明兆)とその一門の彩画で彩られています。
 三門は毎年3月14日から16日の涅槃会のときに楼上に上り参拝することができます。上の写真は、三門と足利義持筆の扁額、楼上から撮った東司(トイレ)、禅堂と経蔵、仏殿です。

明兆の大涅槃図

明兆の大涅槃図と白衣観音

 明兆は室町時代初期の画僧です。大道一以に師事し東福寺にはいり、殿司の役にあったので兆殿司といわれました。宋・元の画法を総合し、強い筆致が特徴です。東福寺には数々の作が残されています。
 涅槃会に仏殿に掲げられる大涅槃図も明兆作と伝えられています。涅槃会の時には寺宝展も開かれており、上写真右の「白衣観音像」や、「五百羅漢」「観音三十三応身」などの作品を間近に拝見することができます。

【アクセス】R奈良線、京阪電車東福寺下車 徒歩15分




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