■定朝と七条仏所跡
▲home 


七条仏所跡
七条仏所跡

 定朝といえば、平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像と雲中供養菩薩像が思い浮かびます。では定朝の活動場所はどういった所だったのでしょうか。下京区の七条仏所跡をたずねてみました。

定朝と七条仏所跡

 七条通東洞院の東南あたりには、平安時代中期に活躍した仏師定朝(?〜1057)とその一族・子弟が住み「七条仏所」「七条大仏所」と呼ばれていました(上写真)。
 定朝は、穏やかで優しい表現を特徴とする「和様」を完成し仏師としては初めて僧綱位を得、仏師の祖と仰がれました。平安時代から鎌倉時代にかけて仏師の共同組織として「仏所」の制度を整え仏師の社会的地位の向上につとめました。
 鎌倉時代にはこの仏所から5代康慶、6代運慶、7代湛慶および快慶らが相次いであらわれ、剛健写実的な作品のを生み出していきました。しかし21代康正のとき豊臣秀吉の命でその地を時宗の金光寺に寄進させられ、仏所は四条烏丸へ移りました。

定朝の墓

 定朝の墓と伝えられる塔が2基あります。ひとつは上品蓮台寺(北区紫野十二坊町)の本堂裏墓地入り口にあります。もとは塔頭照明院の西北にありましたが、大正9年に改装され現在地に移されました(下写真右)。もうひとつは廬山寺(上京区寺町通広小路上ル)の墓地にあります(下写真左)。

定朝の墓

【アクセス】
七条仏所(市バス河原町七条下車すぐ)
上品蓮台寺(市バス千本鞍馬口下車すぐ)
廬山寺(市バス府立医大前下車すぐ)




▼京都歴史案内index
(C)平安京探偵団