■玉川の駒岩
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駒岩
玉川の駒岩

 2002年の平安京探偵団の初探偵は、午年にちなんで玉川の駒岩(京都府綴喜郡井手町)を中心に、井手町・山城町の史跡を訪ねてみました。
 井手町は集落の中を奈良街道が走り、古くから拓けていたところです。中でも奈良時代、橘氏の所領であり、橘諸兄が建立したとされる井手寺(井提寺、正しくは円提寺)の跡などが、よく知られています。また「井手の玉川の山吹」は、平安時代には歌枕として多くの和歌や詩が詠まれました。
 まずは玉川の駒岩からご紹介します。

駒岩

 玉川の駒岩とは、京都府綴喜郡井手町の玉川沿いの「左馬ふれあい公園」にあります。みごとな馬の浮彫りをほどこされた巨岩(花崗岩)で、「左馬」「駒岩」と通称されています。玉津岡神社に残る古記録には、保延3年(1137)5月6日の年号が馬の後ろ足の横にあったが摩滅してしまったことが記されています。

 駒岩は、もともとこの場所にあったわけではありません。もとは玉川の水源に祀られていた雨吹龍王祠(水分神社)の傍らにありました。しかし昭和28年(1953)の南山城大水害で、祠もろとも流出し玉川の谷底へ落ちてしまったのです。水害後は見ることは不可能とされていましたが、地元の方々の努力で土を掘り下げ、下から見上げる形で見ることができるようになりました。そして駒岩を中心に「左馬ふれあい公園」として整備されました。しかし現在は管理が行き届かずに荒れた感じを受けます。

 下の写真の右下に団長が立っていますが、ここからのぞき込みます。

駒岩全体  駒岩地図




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