■洛西に秦氏をたずねて2

▲home 


葛野の大堰

葛野の大堰(かどののおおい)

 秦氏の成功の秘密は、河川を意のままに操ることのできる土木技術にありました。
桂川(大堰川)の渡月橋に立って上流を眺めると、川の中に低い堰が造られています。この堰は、秦氏の造った「葛野の大堰」の後身です。秦氏は堰をつくることにより、水の流れを変え、嵯峨野の農地化に成功しました。写真は、渡月橋のやや上流の川岸に立っている石碑です。これは承和(834〜847)年間に僧・道昌が決壊した堰を修復した遺業を記したものです。

大井神社

 また渡月橋のたもとには、葛野の大堰の守護神であったと考えられる大井神社が祀られています。

【アクセス】京福電鉄嵐山線嵐山駅下車

蚕の社(かいこのやしろ)

蚕の社

 養蚕・機織の技術にすぐれた秦氏ゆかりの神社です。
正式名称は、木島坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社。略して木島神社といいますが、本殿の向かって右側に祀られている養蚕神社に因み「蚕の社」の名前で知られています。
 境内に元糺(もとただす)の池があます。池の中に鳥居を三つ組み合わせた三つ鳥居があります(写真)。なぜこのような形をしているのかは、わかっていません。残念ながら池の水は、涸れたままのようです。

【アクセス】京福電鉄嵐山線蚕ノ社駅または市バス蚕ノ社下車

広隆寺

広隆寺門標台座と北野廃寺跡の石碑

 弥勒菩薩で有名な広隆寺は、推古11年(603)秦河勝が聖徳太子から仏像を授かり、これを本尊として建立されました。古くは蜂岡寺、秦公寺と称し、太秦の太子堂とも呼ばれています。場所は移転しており、旧寺地と移転時期については、いろいろな説があり、確定されていません。考古学的には北区白梅町の北野廃寺とする説が有力です。
 写真は、広隆寺門前に立つ「太秦広隆寺」の門標台座。古い塔の中心礎石が使われています。右は北野廃寺跡の石碑です。

大酒神社

 寺の東には、広隆寺の伽藍神・大酒神社があります。秦始皇帝・弓月君・秦酒公を祭神とし、併せて呉織女・漢織女を合祀しています。京都の三大奇祭として知られる「牛祭り」は、大酒神社の祭礼です。

【アクセス】広隆寺 京福電鉄嵐山線太秦駅下車すぐ

洛西に秦氏をたずねて1





▼京都歴史案内index
(C)平安京探偵団