■淳和天皇陵

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第523代 淳和天皇

名前

大伴

父/母

桓武天皇 / 藤原旅子

生誕から崩御年

786〜840

在位期間

823〜833

陵墓(所在地)

大原野西嶺上御陵(西京区大原野南春日町)




 淳和天皇は、承和7年(840)に淳和院において崩じ、山城国乙訓郡物集女村において火葬され、遺詔にしたがって骨は砕かれ「大原野西嶺上(現在の小塩山)」にまかれました。
 宮内庁が治定する現在の大原野西嶺上御陵は、標高642メートルの小塩山の山頂に所在します。現状は長径52メートル・短径39メートルの楕円形の墳丘ですが、これは幕末から明治にかけて修造された姿です。もとは、丸く小石を積み重ねられた塚が5つ並んでいました。「経塚原」「経塚」「清塚」と呼ばれる場所であったことからも、経塚であったと考えるのが妥当のようです。しかし、小塩山のどこかで散骨されたのは事実です。
 陵までは車で行けます。途中、京都盆地が一望でき、とても気持ちがいい所です。

物集女車塚古墳   淳和天皇火葬塚
物集女車塚古墳            淳和天皇火葬塚

 淳和天皇火葬塚は、向日市物集女町にあります。空堀をめぐらせた方墳です。ここが本当に淳和天皇の火葬塚であるかどうかは断定できません。
 すぐ近くの物集女車塚古墳(古墳時代後期の前方後円墳)は、淳和天皇の柩車を納めたところであるという伝承があります。車塚という名前もこの伝承に由来します。
 現陵が治定されるまでは、上の2つが淳和天皇陵の候補地としてあげられていました。


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