その19

わしじゃ、ご隠居じゃ。
ご隠居って、水戸黄門かい?! しかも、じじいが自分でご隠居っていうか?
とうとう、道場も「その19」になったのう、次は20じゃなあ。
えっ、なに?、急に深刻な顔して。それって、道場も20回で終わりってこと!?
やったあ〜、やっと修行も終わりかあ〜。
だまらっしゃい、八平衛。わしのテレビ知っとるじゃろ。終わったようで終わらんのよ。
また何周でも日本全国旅して回るのよ。かっかっか、懲らしめてやりなさい。
懲らしめてって、ふたりしかいないし、しかもご隠居と八兵衛でしょ!
どうして、そうゆうギャグなの!
わしゃ、いつも真面目じゃ。お前がギャグだといっとるだけじゃ。
はいはい、真面目ね。じゃあ、真面目にお尋ねしますが、
ご隠居が、もし管理釣り場のオーナーだったら、どんな釣り場にしますか?
どんなポリシーで釣り人を迎えますか?
ポリシー?
まあ、お客さんである釣り人に対する、精神というか哲学というか、その〜・・え〜と・・
お前、自分の聞きたいことが自分でわからんのか?考えを整理してから質問しろ!
すみません。つまり、施設や水質とか魚のコンディションじゃない、
釣り場の主人と釣り人の間の、気持ち的な部分について、聞きたかったんですが。
ああ、つまり、ポリシーね。
だから、最初から言ってるっつうの!
かっかっか、今回はだいぶ長い前振りだな。
なんか言いました?
いや、なんでもない。そうじゃな〜、釣り人を迎えるポリシーねえ。
・・・・・・

昔、中国の長江のほとりに酒場があった。しかし、なかなか客が来ない。
そこにある日、年老いた旅人がやって来た。
「金はないんだが、一杯だけ酒を飲ましてくれんかのう」
酒場の主人は、「どうせ客も来ないから、金はいりません。存分に飲んでいきなさい。」と
こころよく、老人に酒を飲ませてやった。
老人は、「うまい、生き返るようじゃ」と喜んで酒を飲んだ。
そして、金が払えないのは申し訳ないと、そこにあった蜜柑の皮で、壁に絵を書いた。
それは鶴の絵だったが、蜜柑の皮で描いたため、黄色い鶴になった。

老人が去ってから、不思議なことが起きた。
酒場に集まった客が酔って歌を歌うと、なんと、老人の描いた壁の鶴が踊り出した。
歌に合わせて絵の鶴が踊る。
もちろん、このことはすぐに評判になり、人々は争って店に来るようになり、
酒場は毎日、踊る鶴を見ようという客で満員になった。
こうして、酒場は大繁盛し、主人は富を築き長者になった。

時は流れて、ある日、再び、あの老人がやって来た。
「金はないんだが、一杯だけ酒を飲ましてくれんかのう」と所望すると、
金持ちになった酒場の主人は、もうすっかり老人のことを忘れてしまったのか、
「金がなければ、酒は飲ませられん。」と冷たく断った。
道に押し出された老人は悲しい目をして、しばらく店の前にたたずんでいたが、
やがて、静かに竹笛を取り出し、その笛を吹いた。
すると、店の中の壁に描かれていた鶴が、壁から飛び出して、老人の前にやって来た。
主人は驚いて腰を抜かし、店の前にへたりこんでしまった。
老人は鶴に乗ると、あっという間に夕焼けの空に飛んでいってしまった。
主人は力なく叫ぶ、「あっ、鶴が、鶴が、・・・」と。


話はそれでおしまいじゃ。
へえ、おもしろい話ですね。みかんで描いた鶴の絵が踊るなんて。
喝〜っ!鶴の絵に感心してる場合か!

つまりじゃな、酒場が管理釣り場だとする。
そして、じじいの釣り人がやって来る。
「釣りはへたなんじゃが、魚を釣らしてくれんかのう」・・・

鶴、釣り場でいえば魚かも知れんな。
しかしまあ、客商売というのは、難しいのよ。・・・今日はここまで。
えっ、それじゃ、よくわかんないっす。

kingfisher注記: 仙人の話は、漢詩の名作「黄鶴楼」の題材となった中国の寓話を基に、
道場風にアレンジしています。
「昔人己乗黄鶴去 此地空余黄鶴楼
・・・
(通釈:昔、現れた仙人は黄色い鶴に乗って飛び去り、
今はただ黄鶴楼が空しく残っているだけである。・・・)と詠われた黄鶴楼は、
中国湖北省の揚子江を見る山に立っており、
この楼閣を訪れた、詩仙李白は、書かれていたこの詩に感銘し、
筆を捨てて、(つまり詩を読まずに)去った。という逸話も残っています。
(黄鶴楼は観光名所ですが、1985年に再建され、今はコンクリート造りです。)

この漢詩に因んでか、日本でも各地に、「黄鶴楼」という中華料理のお店があります。

前振り説明: え〜と、鶴を描いた仙人→本当はスゴイ旅の老人→水戸黄門
という筋立てなんですが、たぶん説明しないとわからないかなと思って・・・。
後から説明しなきゃわからないなんて、我ながら情けね〜。

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