近況2010年1月9日−− 修正記録2005年3月20日

作業の近況報告


家格一覧に特別扱いの家を追加しました
2010年1月10日 随時に一部旗本欄を更新中です
「奈良」「戦国」といろいろブームですが‥
いまから大河の「清盛」が楽しみ、より昔に関心が移っています
2005年1月9日 新年明けましてどうも11万件に感謝いたします
昨年「新撰組」に失望したのに「義経」に期待しているのはどうしてでしょうか、歴史ロマン病の昨今です
平家の公達はどことなくきらびやかで軟弱かもしれませんが勇ましくないのがいいと思うのです
武士(もののふ)は草花を愛でる、情深くこまやかで、何よりも美を尊ぶ姿が形成されていく過程
それを源氏がぶち壊し、醜く土臭く仁義に欠け、忠義や言うだけの建前”武士道”に変わっていく過程
平安の制が経済の発達で崩れ、それが本音の日本かもしれませんね
美しくないが、庶民のエゴが剥き出しの鎌倉政府、臆病だけに勇ましい日本の始まりを見たい
2004年9月12日 やっとPC、アドレスの移転が終わりました
いただきましたメールをもとに自分なりのQ&Aを準備中です
この半年アップできていませんでしたが、また再開したいと思います
2004年4月18日 大名領の「表高」について問い合わせをいただきました
このページの、大名表高を精査いただく方があり、たくさんの指摘をいただいています
基本的にはご指摘のとおりにしようと思っていますが、
ひとつの方針として、実高記載領地と整合のとれる、確認のとれる表高を採りたいと思っています
例えば、徳島藩領は家臣知行(3分の2)と当主領が分記されていますので、本当はその表高が欲しいのです
また、御三家は付き家臣領や、政治的な決められ方から厳密な表高が参考にならないと思っています
村ごとの表高資料があれば、旗本領も含めて精査したいと思っています
2004年1月18日 TVの「新選組」始まりましたが
幕末の旗本、有名人の中で出したいと思います、斉藤弥九郎とか
勝安房守とか、桃井春蔵、山岡鉄舟・高橋泥舟兄弟とか、ご期待
2003年12月29日 7万件ありがとうございます
おかげさまで7万件です、お礼申し上げます
2003年9月15日 がきれいですね
火星の大接近で久しぶりに空を見ました、そしたら月のきれいなことを改めて実感しました
月や町の灯かりが明るいから星が見られない−との嘘にだまされて、全国が汚い空気に覆われていることを忘れていませんか
実は明るくても空気が澄んでいれば星はよく見られるのですよ。アンドロメダ星雲もすばるも北極星も
今、近眼の目で見られるのは惑星だけ、金星、土星、木星そして火星。タバコよりも排気ガス規制したらいかがと思います
2003年8月15日 終戦58年目風化していませんか
最近気になるのは勇ましいことです。平和が続くと勇ましくなるのは江戸時代と似てますね
根拠も無く、軍事知識も無く、騒いでいるだけならいいのですが、どうも不安です
日本人には「荒事」は不向きです、なぜなら「サムサイ」の国だからです、だから臆病なのだと思います
軍事は相対だと思うのです、絶対は無いようですし、気に入らない国や相手でも、存在していると思うのです
事実には目的があるようです、日本軍が勇ましかったとかの「事実」を取り上げたがる目的は何?
戦国時代と江戸時代、研究が足らないのではないでしょうか、勇ましかったとは思えませんが
2003年7月20日 もうじき6万件ありがとうございます
用語集を若干ですが追加修正しました、質問やご指摘ありがとう
旗本実高少し追加更新しています、御家人まではなかなか、有名人を優先します
2003年5月18日 早くも近く5万5千件ありがとう
XDSLが普及してきたのでカウンタはあまり意味がありませんね
質問をいただいていますが、近くQ&Aにまとめようと思っています
2003年2月22日 おかげさまで5万件ありがとう
なかなか旗本調査が進まないのに見てくれてありがとう
内緒で有名人旗本が追加になっていますがご存知でしたか
2002年12月15日 見ましたか忠臣蔵300年行きたかった
忠臣蔵300年各地で盛り上がっていたようですね、泉岳寺に行きたかった
旗本で多門(おかど)、梶川ありますよ、石高は小さくても有名ですから
2002年9月16日 旗本に追加、アクセス4万件に感謝してます
一部旗本を追加、精査しましたので順位が若干変動してます
近くアクセスが4万件突破しそうです、皆様に感謝します、ありがとうございます
このところ、アクセスが増えています、大河ドラマ「利家とまつ」のおかげでしょうか
また、質問も多く寄せていただいています。ご返事が遅くなりがちで申し訳ありません
「筑前守」のような官名は江戸時代は朝廷の定員外でしたので重複がありえます
また、通称名と称し「左近衛少将」「侍従」などを官名と称しましたが、定員外です
2002年7月27日 幕臣辞典作業でデータ精査してます
一部の大名石高や大身旗本知行でデータ精査もしてます
上野、下総、上総で旗本知行に不明な点がでています
2002年5月1日 幕臣辞典インデックス製作中です
寛政重修諸家譜をもとに、インデックスを作成しています
旗本の知行取り集計作業はやっと先が見えてきました
2002年2月3日 幕臣調べ分家の多い家結構あります
旗本家の分家で多いのは、青山、阿部、池田、石川、井上、太田、大久保、大岡、岡部
松平諸家は当然として、織田、前田、松前、水野、牧野、小林、酒井、武田、土屋、戸田、土岐、内藤、本多、堀
赤井、天野、大島、加藤、近藤、遠山、森、森川、渡辺など、旗本に家が多いようですね
2002年1月20日 幕臣調べはついに推理の世界に突入
寛政重修諸家譜以降の旗本家と実高記載の家名が、なかなか一致しません
ヒントというより、たよりなのは、8代吉宗以降は加増や領地変え、改易が減ったこと
いままでは、想定される土地にきちんと所領(知行地)があったケースが多かった
これからは、想像、推理して、同定の判断をしていきます、他に方法がない!という状況です
2002年1月1日 年末年始に幕臣調べ好調に作業中です
大身旗本で実高が見つからないものを追求しています
ひとつひとつ謎を解いています、とりあえず阿部家と大久保家です
2001年12月8日 真珠湾からもう60年そろそろ歴史として見ないといけない?
またこの日がきましたが、冷静に見られるようになっているのは「歴史」になっているのかも知れません
そういえば、今年は討ち入り300年目でもあります、「悲劇」を脚色し、同化して楽しむ「強さ」が欲しい気がします
2001年11月12日 早いものですもう年賀状トホホ
来年で15年目?の「家紋」年賀状、来年の大河ドラマにちなんで加賀の前田家
前田利家にとって大きな影響を与えたのは、どういった「家紋」の人たちだったのでしょう
2001年9月3日 ついに出た感激ですね
ご存知の通り、江戸と東京を対比するDBがついに発売されましたね
高くて買えませんが、旗本まで調べてあるのにはビックリ、欲しいですね
とりあえず、こちらのささやかな江戸武家屋敷調査だけはやめにします
2001年7月31日 作業を再開しました
幕臣辞典、旗本実高の作業開始しました
2001年7月8日 メールが読めない
引越しをしました。そしたらメールが読めなりました
ksatake@mb.infoweb.ne.jpは存在しないそうです
mb.infoweb.ne.jpはどこにいったのでしょうか?というわけでメールが使えません
2001年4月29日 江戸屋式現況への問い合わせありがとうございます
地域別、たとえば区単位などへのご要望も頂戴しています
そのためには、サイト検索や、DBをやりたいのですが、なかなか
それにしても、江戸ファンの方が大勢いらっしゃるので感激しています
2001年3月18日 幕臣辞典作業から
相当な数の「家」が登場しますが、陪臣の問題、本性の問題をどうするか迷います
家格や名乗り(極位、極官)への問い合わせをいただき家格の充実もしています
江戸時代までは、名乗り(○○のカミなど)官名は古例、由緒などから大変な意味を込めていたようです
制度的には平安時代の制度を逸脱することなく江戸政府はあくまで庶民政治に徹したようです
庶民とはすなわち、武家、町民、農民、そのほか有象無象のことで、
平安の身分呼称は初位以上の朝廷官員対象で、戸主を支配する側の物のようですね
2001年3月4日 今日から幕臣辞典に着手しました
「家」に重点を置き、より多くの家が登場するようにしていきたい。
本家筋の別と一族の由来、出自を一覧にする予定です
2001年2月10日 今日武州川越に行きました
川越藩の記載漏れのお詫びをこめて。しかし、人が多いのに驚きました
念願の御殿を訪れ、幕末の質素で地味なつくりに感動しました
2001年2月4日 深溝松平家忠の日記から
一枚岩と思えた徳川家臣団体が結構堂々と不満を訴えているのが面白い
娘の死を悲しみ出陣しなかった人も、伏見城であっけなく戦死してしまう
2001年1月14日 テレビの北条時宗が始まりました
北条といえば実時と泰時が有名ですが、泰時が出てこないのが残念
日本人はいまでも貞永式目で生活しているのだと思います
2001年1月3日 ついに新世紀
このページも3年目に入りました
2000年12月16日 またまた赤穂の討ち入り
来年、2001年はいよいよ討ち入り300周年ではありませんか
日本人がそれほどかわっていないのが、うれしいですね
また、来年の12月8日(現地7日)は日米開戦60周年でもあります
こちらは、もうそろそろ「歴史」にして、冷静に研究したいですね
2000年12月3日 またまた師走になりました
2001年の私の年賀状は蒙古襲来にちなんだ家紋にしました
印刷のあとになって菊池一族の紋が抜けていることに気が付きました
2000年11月18日 家格を充実させています
称松平、葵紋使用を追加する予定です
なお、佐賀藩が抜けているという恥ずかしい仕儀となりました
2000年11月11日 家格に親疎関係と大名になった旗本を追加しました
その過程で志筑藩の抜けが見つかりました
目立たないところでちょっとずつ直しています
2000年11月5日 椿山荘を見ました
元は久留里藩、黒田豊前守下屋敷と旗本1223石黒田五左衛門屋敷だったようです
ただ、隣接する細川越中守下屋敷あと(今は新江戸川公園)のほうが当時の面影が偲べます
2000年10月16日 非常に恥ずかしいミスがありました
武蔵川越藩が抜けているのを、みすごしていました
リンクが広がったこともあり、とても詳しい方からメールをいただいています
2000年10月9日 旗本調査を本格化
幕臣辞典、旗本調査を再開しました
実高調査もいよいよ佳境で、3000石以下に入ります
2000年9月15日 江戸屋敷現況完成しました
旗本編、建物編、明治以来の変遷を調査中です
そろそろ、本来の旗本実高、幕臣辞典に戻ります
2000年8月20日 江戸屋敷現況あとわずか
実高調査に登場しない(つまり実高のない)藩がありました
今日の地名に江戸屋敷の影響が結構のこっています。
2000年7月30日 お詫びです
実高、領地すべての中から伊豫小松藩が抜けていました
いただいたメールの問い合わせで、判明しました
今後とも不明な点やおかしなデータがあったら教えてください
近く江戸屋敷現況を公開できそうです
2000年6月18日 新企画準備中です
メールの問い合わせがきっかけで、大名・旗本の江戸屋敷現況を調べています
ただ、支配関係を調べるのが目的なので深入りしないように注意します
これは幕臣辞典に反映させます
2000年6月4日 領地名一覧(暫定版)追加しました
私の私的歴史研究は武家の支配状況を調べることでしたからやっと始まりです
実高調べで判明した詳細を、領地名、家名の両方からリンクさせます
それから、次は幕臣辞典です
2000年5月19日 領地名一覧難航してます
旧藩名、領地名、在所地名、代官所名の現在地名との同定が大変です
実高、旗本(幕臣)の検証も並行して作業中です
大河ドラマの影響か、幕臣への関心が高まっているようですね
2000年4月23日 領地名一覧を作成中です
地名から探したいとの要望が多いので藩名、領地名、在所地名を一覧にします
2000年4月9日 元禄・天保・明治 遠州石高表を取り寄せました
”さかい”さんのご紹介でこの本を取り寄せました。ご紹介に感謝します
遠州には磐田郡という1郡1カ村の郡があります
美濃にも席田郡という同様に1郡1カ村の郡があります
こうしたはどういう理由で作られたのでしょう、ふと疑問に思いました
2000年4月1日 旗本調査の反響に感謝2
旗本について反響があり、メールをいただいたかたがたに感謝します
本多、山村など、知らなかった情報をいただきました
2000年3月11日 旗本調査の反響に感謝
旗本について反響があり、メールをいただいたかたがたに感謝します
森川、駒井、松平、小笠原など、知らなかった情報もいただきました
今年5月に、大規模なリニューアルを予定していますが、
その時に追加予定の幕臣家名辞典に反映・補足する予定です
2000年2月6日 旗本調査100家突破
旗本調査はどんどん深みにはまっています
大久保、酒井、戸田、松平諸流、本多、石川など家がいくつもあります
2000年1月29日 旗本調べ再開
松平太郎左衛門(松平本家440石、松平村在)について質問いただき勉強になりました
酒井壱岐守忠重(備中守家5千石)について質問いただきました
酒井家については興味深い結果となりました
左衛門尉酒井家の忠勝に弟忠重(長門守、出羽白岩8千石)があり
雅楽頭系讃岐守(小浜)流酒井家の忠勝にも弟忠重(壱岐守5千石)がある
同時期に両酒井家に忠勝・忠重の同名兄弟がいたことを知りました、ビックリ
2000年1月11日 辞書を追加しました
御質問を中心に用語を選んでいます、未熟ですが充実させていきます
また旗本実高調査のため、幕臣(譜代大名、旗本)辞典も作成中です
形になり次第、幕臣辞書も追加、旗本実高調査を再開します
2000年1月1日 一層充実させていきますよろしく
正月うちに辞書をアップしたいと思っています
1999年12月23日 このところ作業を休止しています
いつも、メールでの御質問をいただきありがとうございます
できるだけお答えしていきたいと思います
御質問により新たな疑問が沸いたりヒントが浮かんだりして幅が広がっています
作成中の辞書や今後のコンテンツに反映していくつもりです
引き続き内容の充実を図っていきますのでよろしく
1999年11月27日 収入計算をまとめ、辞書作りを開始、お楽しみに
今回、知行と切米取りと扶持の相関をまとめてみました
つまり、目安として100石知行=100俵切米=20人扶持とします
100石知行は、享保7年以降3つ半(35%)として35石の収入となる
100俵取りは、1俵を3斗5升として35石の収入となる
20人扶持は、1人1日5合、1年350日として35石の支給となる
ただし知行に比べ切米、扶持は卑しいとされ、知行には小物成り(運上、米以外の実物)もあった
年貢の運搬負担は、5里まで村持ち、それ以上給人持ちとされ遠隔地や分散知行所はコスト割れする
切米、扶持は玄米ではなく白米なので、一概にどちらが余裕があったかはいえない
1999年11月21日 懸案の公家実高を並行調査
御料(天皇領)は別として、表高どおりなのが目立つ
決められた高だけを宛がわれていたのかもしれない(調査)
なお、寺社除け地の調査は外様大藩での記載なく一覧を断念

修正記録


ご指摘いただきました修正の記録をお詫びもこめてこちらに・・・
2005年3月20日 国別石高表の美濃国府は垂井町でした
斎藤様からご指摘をいただきました
飛騨と同じ高山市になっていました
2002年7月27日 小田原藩大久保加賀守所領精査しました
河内国内で漏れがあり再計算、訂正しました
また、旗本で上田家の知行高に疑問がよせられています
2001年12月16日 前橋、請西領に抜けがありました
前橋藩、請西藩領に計上抜けが見つかり加算、訂正しました
請西領は「林昌之助知行」の表記が新たにみつかったものです
2001年12月13日 阿波の別名抜けと日向の桁間違いがありました
阿波は別名「阿州」といいました、抜けていましたのでお詫びします
日向の国の石高の桁が違っていました
2000年11月18日 肥前佐賀が抜けていました
大名実高24番目になる佐賀藩のような大藩が抜けていました
秋津さまからありがたいご指摘をいただきました
計算をしていたのに、単純に記載漏れをしていました
なお、表高は35.7万ではなく23.2万石を取りました
小城7.3万、蓮池5.2万への分地知形式によるものです
2000年11月11日 志筑が抜けていました
大名で263番目の常陸志筑藩が抜けていました
大名でもなく旗本でもなくと作業中両方から抜けました
2000年10月15日 武蔵川越が抜けていました
大名実高72番目になる武蔵川越藩が抜けていました
白坂さまからありがたいご指摘をいただきました
計算をしていたのに、単純に記載漏れをしていました
なお、表高は8万ではなく6万石を取りました
家格についても、松平での周防守独占の家です
譜代家臣への戦功による松平称と官名独占です
2000年10月10日 伊勢神戸に抜けがありました
大名実高216番目の神戸藩から河内領が抜けていました
その結果、神戸藩は197番目になりました
2000年9月18日 古河は下総でした
大名実高60番目の古河藩(現茨城県)が下野になっていました
お詫びして訂正します。今後は訂正があった都度、ここでご報告します
(表紙へもどる)