おしえて№631 投稿者 Tsuneさん
 地方から東京に出てくることを「上京する」といいますよね。なぜ二文字目の「京」が使われているのでしょうか?(京都でないのに・・・)なぜ「上東」とか「上都」にならなかったんでしょうね。語源を含めておしえてください。
 
浜ちゃん投稿者ご推薦

  「京」というのは天皇が住んでいるところ、という意味です。
 そして、天皇が住んでいる都、京、に近づく方向を上り、遠ざかる方向を下り、といいます。 だから、天皇が住んでいる場所に行くのは、常に上京なのです。
都(京)の場所については、現在の京都(平城京)までは、ちゃんと天皇の遷都の詔(首都移転宣言書)が出ているのですが、明治維新の時に天皇が江戸に移動したときには詔が出ていません。
(だから西暦794年、1207年ばかり前の平城京遷都のやつが最新の詔)

 それで京都は形式的には、いまだに京であるという解釈が可能なのです。 また、東京は実質的な天皇の住まうところなわけですから、実質的な京なわけですね。それで、「上京」という言葉が使われるのです。
 江戸時代だと、 近畿地方から関東地方へ向かうのを「東下り(あずまくだり)」と読んでいました。 畿内が「上方(かみがた)」と呼ばれるのも、京に近いからですね。

 また、文化は京からというので、京に源を発しない流行ものは馬鹿にされたのです。京から伝わってきたものが「下り物(くだりもの)」で、そうでないものが「くだらない」。現在でも「くだらない」という語は使われていますが、語源はこのあたりにあります。
まなぶ@名古屋さん

  この場合、「京」は東京都の京ではなく「みやこ」の意味で、具体的には天皇の所在地を示します。
 注)通常、首都は国家元首が在する都市を示しますが、日本では法律上、明確に元首を定めていないので、東京が「首都」なのか「首都機能のある都市」なのかは実は疑問です。

 また、日本では明治維新に東京遷都をしたとされる時にも正式な「首都移転」宣言はなされなかったので、その意味でも明確に東京を首都と言えるかどうかは疑問ですね。
 したがって、この場合は「都(京)に上る」から上京であって、例えば現在、大阪が首都だったとしたら、大阪に行くことを「上京」と言う訳です。実際、明治以前には東京に行くことは(例えそこに徳川将軍がいて、実質的に江戸が首都機能を果たしていても)「東下り(あずまくだり)」と呼んでいました。 今でも、京都の人はそういうかも知れません。
らいこうさん

 上京の上というのは、「のぼる」という意味があります。一般国民が天皇陛下の住んでいる方向へ向かう場合、これを「のぼる」と表現します。高速道路や電車路線の「上り線」「下り線」もこれが基準です。
 で、東京というのは、「東の京都」という意味で、現在でも正式には「とうけい」と読むそうです。

 明治時代直前に・・・名前は忘れたのですが、まあ何たらという学者(佐藤某だったと記憶している)が言い出したものです。  さて、何故「上京」かということですが、江戸時代までは上京というと京都のことを言いました。しかし、明治時代に御所移転があってからは、東京へ行くことを上京というようになったわけです。なぜ「上都」と言わないのかというと、京という文字自体に「天皇のおわす、びくびく震え立つような繁栄する都」という意味が込められているので、都という文字よりも雄弁に語っているわけです。それで、「上京」という文字が使われているのです。
TAKEさん

 元々は天皇陛下のおわすところを「みやこ=京」と言いました。
 ですから古くは京都にはあらずとも過去天皇のおわした都の跡をさして奈良地方にある遺跡でも「平城京」とか「○○京」と言い表すのです。
 ところで、倭の国において最高であらせられる天皇陛下の御座所が他のどこより低いなどと言うことはあってはならぬしあるはずがないので、天皇陛下の御座所のある場所へ参る場合はそれは「上る」と申し上げます。 そして明治維新により天皇陛下の御座所がそれまでの「みやこ=京」より動かされ「あずま=東」に移されたことにより「東にある京(みやこ)」という意味合いで江戸は東京と改名されました。そして天皇陛下のおわす東京へ上るのですから東京行きを上京というわけです。 古くは京都が天皇の御座所であった時代は上京と言えば京都を目指すことでした。

 反対に今の東京、江戸へ行くことは「東下り」と言いました。 要するに全ては天皇陛下の御座所がどこにあるか、に尽きるのです。ひょっとして将来的に天皇陛下の御所が北海道に移ったりしたら、北海道へ行くことを「上京」と言うようになるのです(北海道遷都があるとは歴史上の理由でも思いづらいですが(^-^;; )
のんきさん

 近世の後半期において、江戸と大坂と京都を比較する三都論があります。
 この三都論に共通しているのは、江戸は政治の都、大坂が経済の都、京都は天皇の居住地であり伝統と文化の都、江戸は公権力(幕府)の所在地であるということです。秀吉が京都に移って事実上の首都になり、秀吉没落後は江戸に首府が移って京都はさびれる一方となりました。江藤新平の東京遷都論といわれているものがありますが、ここで初めて「東京」という言葉が出てきます。よく「江戸」という地名を「東京」という地名に変えたといわれますが、これは間違いです、江戸城を中心とした江戸という空間を「東の京と定める」ということで改めたのではありません。

 さらに「東西両京」という表現をしていますが、西と東の都の両都論ということ。また文書の中に「東下(とうか)」という言葉が出てきますが、幕末の頃からこの言葉が盛んに使われるようになってきます。
 明らかに関東、江戸を下に見ているのです。下に見ている江戸を東の京に格上げしてやれということです。また西の京と東の京の間を天皇が動くという形を想定しています。それから幕末の大坂への遷都論は大阪城を使用することが前提としてあったのですが、大坂城が鳥羽伏見の戦いの後に焼けてしまったため大坂城が使えなくなり、しかも江戸開城がなされたことで,明治元年3月、江戸が首都としてクローズアップされ、遷都が江戸・東京へと動いていきました。

 一般には江戸を東京と改称したと浅くとられがちですが、勝海舟の日記にも天皇が来る場所だから東京と称することになった、との記述があります。万機を親政する天皇が居住する京都、つまり西の京と同格に列するという意味で東の京としたという意味なのです。江戸を東の京とするのにこれだけ重い意味や政治的な意味があったのです。
 
(ここまでが東京が日本の首都になった経緯で、「オンライン講演会、首都機能移転問題と東京遷都」より抜粋しました) http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/daishu/online/lec16.html#b

 東京に行くことを「上京」と呼ぶことについて、ここからは勝手な私見です。
 西の京と同格になったとはいえ、東の京(東京)には天皇が居住し、政治を動かすのは東京であることから、東側は西より優位にたっていることを誇示したかった、あるいは東京が日本国の京(みやこ)であることから京にのぼることを上京と言うのではないでしょうか。

 余談ですが、その後の京都に対して、政府は厚い配慮をしたようです。産業基立金という5万両のファンドを与えて、官民一体の京都復興策として琵琶湖疎水事業を行ったり、洛中の地子銭の免除や新規事業への資金援助なども行いました。京都は水資源のよくないところなので、琵琶湖疎水事業がなければ今日の京都の発展はなかったそうです。長くなってすみません。
そくらちゃん

  京は天皇のいる都、という意味でおましたんどすえ。
 けど、明治以降、そらもうえろう世の中変わってしもうて、わたしら公家はんですら、京の都を捨てねばならんかったんでおじゃる。そやかて、それまで、天皇はんがおらはったんで、わてらは、雅(みやび)に囲まれた京都におったんどすえでおじゃる丸。

 徳川はんにすら、京都の独立を守ったわたしらも、けど、内実は、形式的な貴族でしかおへんどした。それが、薩摩はんと長州はんのおかげで、再び「万世一系たる日本の天皇」として、君臨できることになったんどすから、文句は言えへんのやけど、やっぱり京都が、日本の、天皇のホンマの都どす。上京は、地方から京都へ行くことでおわす。
 だから、東に登っても、下ったりはしまへん。そやさかい東京と名付け、新しい東の都へ、天皇さんと旅立つことにしましたんや。 これから(明治以降)先、地方の方が、東京へ行くことを、天皇はんのいらっしゃる都へ上る、ということで上京、というようになったんどすえ。

乱気流さん

  国語辞典等で、上京とは「地方から東京に行くこと。昔、都・京都に行くこと。上洛。などと解説されていることからも、「上京」の「京」は「東京」の二文字目の「京」を取り入れたってことではないと思います。

 江戸時代の政治の中心が江戸であったのは確かですが、794年平安京に遷都以来1869(明治2)年東京に事実上の遷都が行われるまでの一千年余りの間は正に京(都)が都であった訳です。江戸が東京と改称されて130年余りに過ぎないことからも、「上京」「上洛」等の言葉は都・京都等に行くことを指していたと考えるのが妥当ではないでしょうか。

 但し、これは元々の語源・由来が京都という意味では有りません。 漢語辞典によれば、中国での意味として「上京」とは「(1)天子の都。帝京。京師。(2)都にのぼる」とあり、同様に「上洛」とは「都へのぼる。都へ行く。洛は、洛陽。」、「京都」とは「天子の都。京師(=天子の都。京は大、師は衆で、大衆の集まっている所の意)。」、「京洛」とは「(1)洛陽の別称。周の平王が初めて洛陽に都を定め、後漢の光武帝もここを都にしたのでいう。」などと解説されていることからすれば、「上京」に限らず「京都」「上洛」「京洛」等も含め嘗ての中国で遣われていた漢字を当時そのまま日本に導入したもののようです。

 それが主に京都に対して遣われていたのが、「上京」については現代の東京に対して遣う言葉に変化したってことではないでしょうか。 以上のことからも「上東」では妥当性を欠くことになるようですが、「上都」には中国での意味として「(1)天子の都(2)唐の代宗の時、長安(今の陜西省西安市)をいう。」等とあることからも、仮に都が京都の時代に「上都」なる漢字・言葉を遣っていたならば、もしかしてって可能性だけはあったかも知れませんね。
参考図書:『漢語新辞典(鎌田正・米山寅太郎著)大修館書店』
超な兄貴さん

 もともとは京都が首都の時代に使われていた言葉がそのまま首都が東京になってからも使われているから「上京」です。 従って,首都が福岡やら千葉に移っても「上京する」という言葉が使われるかと思います。
matsumotoさん

  「京」という字にはもともと「都(みやこ)」の意味があります。 そもそも「東京」というのは、明治維新において「京都」からかつての「江戸」に都を移す際に「東の京(都)」として名づけられたものです。 したがって「上京」とは「都に上る(のぼる)」という意味で、現在では「東京に行くこと」を指しますが、江戸時代以前だと文字通り「京(都)に上る」だった訳です。
ベリーさん

  日本の都は、昔、京都にあったのでございます。
 そのころ、参勤交代という制度がございまして、京の都に行くという大事業がありんした。
 それはそれは、その時代、本当に素敵な旅だったのでありんす。 このような幸運に恵まれた殿方たちは、「天にも上る思い」だったのでございます。そこで、都=天下 =お空の天 のように天と天をかけて、都へ向かうことを「上り」と表現なさったのですね。 そこから、京都に上る → 上京 という言葉ができたのでございましょう。
 ※この自説には何の根拠もございません。あしからず…。 _(^^;)ゞ
ぶひぃーさん

  「京」は首都という意味です。ですから事実上の首都が東京である今、東京に来ることが「上京」となるんだと思います。ちなみに、首都に行くことが「上り」でその逆が「下り」です。
ガウリィさん

  これはたしか語源は東京の事を指しているのではなくて京にのぼるつまり京にいって偉くなる事をのぼるといったからだと思います。
Tsuneさんからの感想メールです。

 皆さんたくさんの回答ありがとうございました。天皇の住んでいるところが「京」なんですね。またそこに近づくことを上り、遠ざかることを下りということも納得です。将来遷都されたら、(名古屋などに)新幹線などの「のぼり」、「くだり」も変わるんでしょうかね?
 東京をトウケイと読むなんてびっくりですね。これはチョッとメモしとかなきゃ!φ(‾∇‾o)ゞ
 唐突ですが、チョッと不思議なのは中国に東京ってのはなかったんでしょうか?なにしろ北京や南京があるんだから東京もあってもよさそうだけど。(西京もないか?(^^ゞ)
正答者の方々です。本当にありがとうございました。
浜ちゃん・浜ちゃん・浜ちゃん・まなぶ@名古屋さん・らいこうさん・TAKEさん・のんきさん・そくらちゃん・乱気流さん・超な兄貴さん・matsumotoさん・ベリーさん・ぶひぃーさん・ガウリィさん

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