三守皇山大聖寺4

 左 (三体の中央) は新羅三郎義光公。皆さま御存知の通り甲斐源氏武田、常陸源氏佐竹の祖です。後三年の役のとき、兄八幡太郎義家公苦戦を聞き、居ても立ってもいられなくなり、本来の職務である甲斐守 (介という説も) をなげうって奥州に駆けつけた話は有名であります。義に厚い名将!音楽の才もあったそうです。私の祖先も公に従い奥州征伐に参加したことが「続峡中家歴鑑」に記されております(藤原為光の子孫で武田時代は穴山氏に仕えた幡野頼延・・・)。

 右は加賀美遠光公。県外の方には非常にマイナーに感じるかもしれませんが、県内ではメジャーです。甲斐国河内地方 (北巨摩、中巨摩、南巨摩郡、山梨の1/3) を統治し、頼朝挙兵に参加して手柄を立て、源氏六受領の一人に数えられます。信濃守 (守護ではないか?と私は思うのだが、手元にこれ以外の資料がないため調べれません) に任じられ、奥州藤原征伐のときには北陸道の総大将を命じられています。あれほど身内を信じなかった頼朝からこれほどまで信頼されていた公はすごい。また、富士川の合戦で平家側が水鳥の音を聞いて逃げ帰ったとの話は、御公によるものと思われます。子孫は、秋山 (信友系)、小笠原 (徳川譜代に発展)、南部氏 (奥州) に分かれていきます。

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 新羅三郎義光公像 (兄義家に従い奥州征伐では官名をなげうって駆けつけた!)

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 加賀美遠光公像 (甲斐源氏武田、一条、小笠原、常陸佐竹氏の祖、源氏六受領の一人)

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