火おんどり

 8/15 はお盆です。私は自分のご先祖様のお墓参りそっちのけで、新城市設楽原竹広で行われる、「火おんどり」に行って参りました。

 設楽原ご存じの通り、徳川・織田連合軍 vs 武田の合戦が有ったところとして知られていますね。それも、武田氏の勢力が急激に低下するきっかけとなり、また信長公の歴史的な鉄砲活用法が見事に成功した戦いとしても知られています。中世の古い戦い方から、近世の戦術重視の戦い方へ移っていったきっかけとなる重要な戦でした。

 火おんどりは、その設楽原の合戦で亡くなった戦死者を慰めるための供養であると言われています。しかし、由来は二つあります。一つは、右上の写真 (閻魔大王) の近くにある小塚に由来します。設楽原の合戦後、織田・徳川側は、武田の戦死者を集めた塚と、織田・徳川方の戦死者を集めた塚を作りました。前者を大塚と言い、後者を小塚として供養しました。甲陽軍艦にも「甲州の能き士の死骸を一穴に埋めてその上に塚を築き信玄塚と名付けた・・・」と有るように手厚く供養させてきたようです。現在でも信玄塚と言い、かなり古くからこの呼び名が付いていることが分かります。

 ← 開帳されていた閻魔大王蔵!火おんどりの由来をしたためた表札が閻魔堂の前にあります。

 合戦の翌年六月、小塚から蜂の大群が発生しました。そのころの伊那街道は、丁度信玄塚付近を通っていたため、通行人にかなりの被害者が出ました。人々は蜂の大群が武田軍の戦死者の亡霊であろうと言うので、領主に訴え出ました。そこで、川路村勝楽寺の三祖玄賀和尚を招き、大施餓鬼を営み、火を焚いて法要を行いました。そうすると、蜂は出なくなったそうです。この噂を耳にした家康は、大恩寺の演誉上人 (大沢山龍渓院輪住華雲和尚?) に依頼して、七月二十一日に多数の僧侶を招いて盛大の法要を営ませました。これか今日まで伝わる火おんどりの起源であると言われています。

↑ 火おんどりの元火。峰田家。
 また説によっては、もう一つあります。南設楽郡誌では、山県昌景の霊を慰めることを起源としています。設楽原の合戦で昌景は、体中蜂のように銃弾を浴びて、落馬してしまいました。彼の従者、志村又右衛門光家は、胴切山の中腹にある百姓の家 (峰田家) に主人を背負い込みました。しかしすでに事切れており、敵の喚声は潮の様に迫ってくるので、今はこれまでと、主人の首を落として腹巻きに包み、腰にゆわえ付け甲州に帰りました。昌景の死体には、くれぐれも甲州勢の供養を頼むと書き残し、短刀「小烏丸」を添えて落ち延びて行ったのです。

 元火から、松明に点火する瞬間!峰田家にて御当主が点火するところです。

 戦いが終わり、竹広の里人は昌景の遺体を懇ろに葬り、その塚の上に松を植えて「胴切りの松」と名付けたそうですが、今は名前だけでその松はありません。また、短刀「小烏丸」も長らく峰田家に所蔵されていましたが、第二次世界大戦後、軍に接収されたままであるそうです。決戦後、このあたりの地名を「山形 (県?)」と呼ぶようになりました。また信玄塚の火踊りの行事は、志村又右衛門が竹広の民に頼んでおいた遺書によって行われているというのでああります。山県公の盆供養で、大松明を振って踊るのは、山県公が苦戦の修羅場を現し、その霊を慰めるためのものであるという説です。一時火踊りを止めたことはあったが、そのときも峰田家の方は、一人で松明を飛ばし、念仏を唱え塚の付近を踊り歩いたという話が伝わっております。

↑こちらは、火おんどり坂を進むときのお囃子隊です。本番に向けて練習中! ↑峰田家の裏山にある、昌景公のお墓を通るために、火おんどり坂を進んでいるところ!真っ暗闇のなかを、松明だけが光を放つ!幽玄とはまさにこのことよ!と思いました。

 火おんどり坂を越えて、大塚、小塚に向かうところ!先頭が火元峰田家御当主。以前は、大塚・小塚を三周まわった後、両塚に松明を奉納してから、大きな松明に点灯していたようだが、両塚への奉納は見れませんでした。そして「ヤーレ モッセ モッセモセ・・・・」というかけ声と共に、大松明を飛ばすのです・・・

← こちらが、松明を飛ばしているところです。観衆がかけ声を掛けると、それに合わせて松明を飛ばしてくれます〜。この松明はかなり重たいようで、10 kg 程度はありそうです。みんな休み休み回していました。

← わたしも回してみたい・・・・という衝動に駆られながら、シャッターを押していました。

 二つの説が有ると先ほど言いましたが、火おんどり坂を通ると言うことから、昌景の鎮魂のために始めた説の方が、個人的には有力のような気がします。しかし、鎮魂・・・という意味では前者 (蜂説) も同じです。

 今回の火おんどりは、個人的には非常に見応えがあり、満足いたしました。珍しいお祭り、昌景公に関わるお祭りでもあると言うこともあり、100 点満点です。みなさまも是非 8/15 日にご都合が付けば、行かれてみてください!

参考; 二木謙一・「長篠の戦い」、長篠城址保存館・「長篠合戦余話」、設楽原をまもる会・設楽原戦場考、三州長篠合戦記。

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