「巨鷹山天澤寺中興開基 飯富兵部少輔虎昌公、山県三郎兵衛尉昌景公 顕彰碑」
と書いてあるではありませんか。両公のお父上道悦公のお墓もある!
石碑に記されている文、山梨県文化財保護審議会副会長、佐藤八郎氏の文が載っていますので要約しますと、
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天沢寺裏にあった、道悦、虎昌、昌景公の顕彰碑。隣にあるふるい お墓が元にあったものと思われる。平成元年に新しいお墓にしたらしい。 |
「飯富氏は武田の重臣で亀沢、西八幡等数村を領していた。飯富道悦公は虎昌、昌景の二人の優秀な息子を育てるが、主君信虎公の失行を諌め永正十二年に誅殺され、長子虎昌公は、板垣、甘利とはかり信玄公を擁立して甲斐の国主に擁立する。虎昌は知謀に優れ、信州経略に大功を立てる。誠実な人物であったこと、武勇に優れていたことより、信玄公より世継ぎ太郎義信公の守役となった。永禄八年、忠誠むなしく潔く自刃した。法名笑岳悦公大居士
。
昌景公は天文二十一年三郎兵衛尉となり、侍大将となり、資性豪毅、しかも温厚にして歴戦で抜群の働きのため主命により山県姓を賜る。永禄十二年駿河侵攻に従い江尻城代となった。天正三年、勝頼公にしたがって三河長篠に出陣し、五月二十一日設楽原の戦いにて壮絶な戦死を遂げた。法名妙雲善公大禅定門。
飯富家は天澤寺開創以来、その寄与が大きかった。虎昌、昌景両公は特に当寺の発展にご助力くだされたので、ここに両将の顕彰碑をたて遺徳を記す」とあります。
山県のお墓は、先に訪れました恵林寺境内にもあります。
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