戦国時代の「武田二十四将」といえば無敵の甲州軍団というイメージがある。幾多の合戦で勇猛果敢な戦いぶりを見せた武将二十四人!しかし、実際的に考えてみると、二十四人が同時期にいたことはない (たとえば板垣公と土屋公)。また、二十四将に匹敵する活躍をしていた武将も存在するが、選考に選ばれていない武将も数多い。その例として現在伝わっている「武田二十四将図の当選表」を示した。皆さんどのような印象を持たれましたでしょうか?私が驚いたことは、「真田」氏の入選率の高さである。さすが真田氏と言わざるを得ない。
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歴史博物館信玄公宝物館館長、野澤公次郎氏の説を引用させていたくと、「江戸中期以降、庶民に流行した錦絵、武者絵、などの売れ行きいかんが二十四将に選ばれるもの、落選したもの?というように、描かれた当時の人気のバロメーターを反映していた」という説をおしゃっている。二十四将の書かれた年代と当選した武将の関係を物語る非常に興味深い説である。
そして続けて、「甲州では主家滅亡の直前に裏切り行動をとったとして人気が低い穴山信君と小山田信茂はほとんど、どの絵図にも載っていることである。また、信州の真田家は幸隆、信綱、幸連 (昌輝)、昌幸の四人もエントリーされている」。
「真田氏は関ヶ原のとき、信州上田で徳川軍を破っており、幸村は大坂の役の時大いに働いたという武勇が判官びいきにつながった。」
と言っている。真田氏は間違えなく優秀な武将集団であったことは否定できない。また、栗原、小原の両マイナー武将は、恵林寺贓品のみで描かれていて、両氏が恵林寺領出身ということを考えると納得できる。甲州での売れ行きなら、穴山、小山田は決して二十四将に入ることはなかったものと思われる。