ボイジー滞在日記 第1集
日本脱出まで
伊丹空港からリムジンバスに乗ること1時間、2時ごろに関西空港に到着。
搭乗手続きを無事に済ませ、あとは5時の搭乗開始までのんびり空港内を物色。
ついでに、銀行で米ドルの現金を50ドルだけ買っておきました。
セキュリティチェック、出国審査を通り抜け、北ウィングの16番ゲートへ。
私の搭乗するユナイテッド航空810便サンフランシスコ行は、ここからの出発です。
まだまだ搭乗開始までは時間があるので、ラウンジ「六甲」にて、しばらくくつろぐことにします。
その間に、ノートパソコンを立ち上げて、HTML文書作成の練習がてら、この文書を作成しています。
アメリカ上陸、そしてボイジーへ
17時30分、UA810便は関西空港を出発。一路サンフランシスコへ。
今回のフライトは、揺れも少なく快適でした。
3月にフランクフルトに飛んだ時には、12時間以上のフライトは苦痛そのものでしたが、今回は所要時間がやや短いという安心感のせいか、それとも「旅慣れた」ためか、ほとんど苦痛は感じませんでした。
断続的ながら、睡眠もとることができました。
ただ、機内食の味はいまひとつでした。
サンフランシスコ国際空港へは、40分ほど遅れて(出発日と同日の)12時ごろに到着。
ここで荷物を受け取って、入国審査と税関検査を受け、晴れてアメリカ入国を果たします。
最終目的地のボイジーへは、同じユナイテッド航空のシャトル便に乗り継いで行きます。
税関検査を抜けたところで、再び荷物を預け、シャトル便の乗り場のあたりで、軽い昼食をとったり、絵葉書を買ったりしながら、4時の搭乗開始を待ちます。
ところが、フライトスケジュールがかなり乱れているようで、機内持ち込み手荷物の検査を通って、ゲート前の待合室に入ってから、ゲート変更の案内放送。
あわてて待合室を出て、かなり遠くの別の乗り場に向かい、再び手荷物検査を受ける羽目になりました。
こんどは100人乗り程度の小さな飛行機で、1時間半のフライトです。
定刻より30分ほど遅れて、5時過ぎの出発となり、ボイジーには午後7時半頃の到着となりました(注: カリフォルニア州とアイダホ州の間には1時間の時差があります。→アメリカのタイムゾーン)。
アメリカでは夏時間実施中のため、午後7時半といってもまだまだ明るいです。
ボイジーでの最初の夜
ボーディングブリッジを渡ってターミナルに着くと、すぐそこにTomek Bartoszynski氏が迎えに来てくれていました。
まずは "Nice to meet you!" と、笑顔で握手を交わします。
荷物を受け取った後、車で彼の家へ連れて行ってもらいました。
ここで彼の奥さん、Joannaと対面。
住居が見つかるまでは、この家に泊めてもらうことになっています。
Bartoszynski夫妻とともに、夕食をいただいたり歓談したりするうちに、アイダホの夜は更けてゆきます。
私を快く迎えてくれた夫妻の厚意には、ただただ感謝するばかりです。
あまりにも長かった(←時差の関係で)アメリカ渡航の日が、ようやく終わりました。
いよいよこれからが、私のアメリカでのサバイバル(?)の始まりです。
ボイジー到着から一夜明けました。
心配していた「時差ぼけ」(jet lag)の影響はほとんどなく、ふつうの時間に目が覚めました。
今日は、Bartoszynski夫妻の協力を得て、私の住むアパートを探しました。
Joannaが新聞広告をたよりに、あちこちの物件所有者に電話で問い合わせ、手ごろな物件をいくつか見つけてくれました。
次にTomekが車で現地へ連れていってくれて、管理者に部屋を見せてもらいました。
ボイジーのアパート事情
こうして見て回った物件は、午前中に3つ、午後に2つ。
最初は、1 bedroom(居室と寝室の2室)でfurnished(家具付き)、大学へは徒歩20分、スーパーマーケットの近くという理想的な物件。
室内は広く、きれいでした。これで家賃は415ドル。
日本の相場から見ると、とても安いという印象を受けました。
次の物件は、studio(ワンルーム)のタイプでfurnished。
家賃は325ドルと安いですが、部屋が狭くて汚かったのでパス。
3つめは、大学のすぐそばにある学生アパート。
ここは4人1室の構造で、寝室は各々独立しているものの、バスルームは2人、リビングとキッチンは4人で共有するシステムです。
家賃は295ドル。
建物や家具がとても新しいのは魅力的なのですが、「相部屋」というのがちょっと引っかかり、パスしました。
4つめは、1 bedroomで家賃365ドルの手ごろな物件なのですが、欠点はunfurnished(家具なし)であること。
ベッドなど大きな家具を買い揃える手間とお金を考えて、パスしました。
5つめ。
「これが気に入らなければ最初の物件を契約する」
というつもりで見に行きました。
1階の住人の一人が今日退去するということで、部屋の掃除をしているところを見せてもらいました。
studioタイプでそれほど広くはないものの、必要な家具は揃っていて、室内もきれいです。家賃は365ドル。
3階にも空室があるというので、見せてもらうと、こちらはロフトが寝室になっている1 bedroomタイプで、家賃は425ドルと、やや高め。
立地条件は、大学からも遠くなく、スーパーマーケットのすぐ近くと、きわめて良好です。
結局、家賃の安さと立地のよさから、1階のほうを契約することにしました。
前の住人が退去してから、部屋の掃除を行うため、入居は3日後の火曜日になるとのこと。
それまではBartoszynski家に居候、もとい、お世話になることが確定しました。
火曜日の夕方に契約書にサインし、Tomekにも保証人としてサイン(co-sign)してもらい、最初の月の家賃と、家賃の半額の敷金(deposit)を支払えばよいとのことです。
昨日は友人の家に泊まっていたという、Tomekのお嬢さんのKasiaが、今日帰ってきて、めでたく家族全員とご対面とあいなりました。
到着した一昨日は金曜日でした。
だから、昨日と今日はウィークエンド。
さらに明日は9月第1月曜で、この日は労働祭(Labor day)のナショナル・ホリデー。
つまり3連休です。
連休明けまで大学に出入りできないのは、もどかしくも思えますが、アメリカでの生活に慣れるという意味では、Bartoszynski一家とともにのんびり過ごせるのは、かえってよいことかもしれません。
この日の朝食は、10時ごろに
家族とともに市街地のカフェテラスで食べました。
午後は、家族揃って郊外のショッピングセンターへ買い物に出かけました。
私も連れていってもらい、アパート入居に必要な寝具、バスルーム用品、それにFAX電話を買いました。
夕方には、Bartoszynski家で、Tomekの研究仲間のMarion Scheepers夫妻、Andrzej Roslanowski夫妻を招いての
バーベキューパーティが開かれました。
バーベキューといっても、肉や野菜を串に刺して焼くのではなく、単にステーキ肉を庭先のバーベキューグリルで焼くというもの。
同時に、別のグリルでは、アルミホイルで包んだ大きな
ジャガイモを焼きます。
庭の芝生で、MarionやAndrzejらとクローケ(croquet/ゲートボールに似たゲーム)に興じるうちに、ステーキも焼ジャガイモも出来上がり。
屋内の食卓に運び、赤ワインを酌み交わし、宴が始まります。
食事が進むにつれて、さまざまな話題で盛り上がりますが、いかんせん、英語の苦手な私はなかなか話についていけません。
社交術とともに、英語力も早く身につけないといけないと感じました。
多くの国の人が集まった(でも実はアメリカ人はいない!)席だけあって、各国の事情についての話も飛び出します。
するとTomekは世界統計要覧を書棚から取り出し、日本はアイダホの1.5倍ほどの面積だが、人口は100倍もいる、などと調べて話してくれました。
3時間ほど延々と語り合い、11時ごろにお開きとなりました。
今日は労働祭(Labor day)の祝日。
Tomek、Joannaと一緒にアイダホシティへドライブしました。
アイダホシティはボイジーの北東の山間の町で、ボイジーから車で1時間ほどの距離です。
道中は、枯れ草と低木に覆われた、なだらかな山々の間をひたすら行くのですが、その風景の雄大さは、とても文章には表せません。
「これが典型的なアイダホの風景だ」と、Tomekが教えてくれます。
やっぱりアメリカは広い、あらためてそう感じました。
こんな道をドライブできるなら、滞在中に運転免許を取得して車を手に入れるのも悪くない、そんな気もします。
(注: 私は、ボイジー渡航前には、日本の運転免許も持っていませんでした。)
アイダホシティでは、歴史的町並みの保存地区を散歩しました。
まさに、西部劇に出てくるような風景です。
アイダホシティは、かつてゴールドラッシュで栄えた町。
保存地区には、当時をしのばせる展示もありました。
帰りは別のルートをとったのですが、1時間もかからずに町に出るべきところが、どういうわけか山奥の険しい道に迷い込み、ついには道が流失しているところで立ち往生。
どうやら道を間違えたようだ、とアイダホシティに引き返し、こんどは正しい道を見つけて、ボイジーへ帰っていきました。
ふつうの海外旅行では得がたい、貴重なドライブ体験でした。
Bartoszynski一家とともに過ごした3連休。
TomekもJoannaもKasiaも、とても親切に世話をしてくれました。
おかげで、まるで私も家族の一員になったような気分で、思い出深いホームステイ(?)となりました。
ようやく平日がめぐってきて、いよいよ本格的に活動開始です。
まずは、Tomekに大学の数学科の建物に連れていってもらい、数学科のchairmanのSteveに紹介してもらいました。
それから、数学科の建物の中や図書館などを案内してもらいました。
Tomekはそのあと午前中の授業があるというので、その間はひとりで大学内をうろうろしていました。
3時からはセミナーを行う予定ですが、それまでの時間に、Tomekとともに銀行に行ってchecking account(当座預金口座)を開設、次にアパートの契約をして部屋の鍵を受け取りました。
電話と電力の使用開始届は入居者自身がしないといけないとのことで、Tomekがオフィスから電話をかけて、必要な手配をしてくれました。
それにしても、家探しをはじめとして、生活を始めるにあたっての手続きは、みんなTomekとJoannaが面倒をみてくれたおかげでスムーズに進んだのですが、自分一人ではとてもここまでできなかったでしょう。
何しろ、アパートの契約も、銀行口座の開設も、私が自分で交渉したのでは、まず相手の英語が理解できなくて、まともに交渉できなかったでしょう。
Tomekが間に入って「通訳」(同じ英語ではありますが)してくれたおかげで、やっとできたようなものです。
これだけ走り回ったおかげで、3時のセミナーが始まるころには、もうくたくた。
Andrzejが1時間ほど講演したのですが、全く内容が頭に入ってきませんでした。
セミナーが終わると、いよいよ引っ越し。
Tomekの家からアパートへ、車で荷物を運んでもらいました。
いったんTomekの家に戻り、夕食をいただいた後、こんどは自転車でアパートに向かいます。
というのは、車を持っていない私のために、Tomekが自転車を貸してくれるというからです。
JoannaとKasiaに、お世話になったお礼を言って、Tomekとともに自転車で家を出ました。
アパートと大学の間の道を案内してもらうため、いったん大学に行ってから、川沿いの自転車道(bike path)を通って、アパートまで走りました。
ここでTomekと別れ、自分の部屋に落ち着くと、いよいよ一人暮らしの始まりです。
今日のところは、とにかく疲れていたので、まずシャワーカーテンを吊って入浴、次にスーパーで明日の朝食などを買い込み、最後にベッドメイキングをして、あとは寝るだけ。
明日から本格的に、自分の生活を軌道に乗せなければなりません。
この期に及んでも、「アメリカに来た」というこの現実が、時として、まるで夢であるかのような錯覚に陥ってしまいます。
一日も早く、この「夢」からさめて、着実に研究訪問の成果をあげなければならない、そう自分に言い聞かせています。
アパートと大学の間の距離は2マイル弱(およそ3km)、自転車で10分から15分ぐらいです。
ボイジー川に沿った自転車道を通って行くのが、いちばん走りやすく、また緑地の中を通るので気分がよいのですが、それ以外にも、何度も通ううちに、市街地を通る道など、いろいろなルートを開拓していきました。
大学の中も、図書館やStudent UnionはいちおうTomekに案内してもらいましたが、自分ひとりでも探検してみました(→ボイジー州立大学)。
また、Tomekから借りている自転車にはカゴも荷台もないので、荷物を運ぶにはバックパックが必須です。
日本から持ってきたデイパックは、小さいうえに作りもしっかりしていないので、Student Unionの売店で、BSU(Boise State University)のロゴの入ったバックパックを買いました。
滞在中は、数学科のビジターとして、私のオフィスを用意してもらえることになっているのですが、新学期に伴う移動などで、オフィスが空くのが来週になるとのこと。
それまではTomekのオフィスに居候です。
Tomekのオフィスでは、Tomekの仕事中以外は、私の研究課題についてのディスカッションとなりました。
とはいえ、私のほうは、日本出国前は渡航準備などで研究どころではなく、ディスカッションといっても、問題を思い出して整理するので精一杯です。
でも、この期に及んで、そんなことは言っていられません。
とにかく「問題を解こうと考えること」に集中して、少しでも研究を進めていかなければなりません。
その意味では、Tomekのそばで仕事ができるのは、とてもよい刺激になります。
今日(金曜日)の夜は、郊外のAndrzej夫妻のアパートでホームパーティが行われ、Tomekたちとともに私も参加しました。
日本と違って、アメリカではこのようなホームパーティが、ごく日常的に、気軽に行われているようです。
大学に通い始めて最初の1週間が終わり、週末を迎えました。
今朝になって、ようやくアパートの電話が開通したので、自宅にFAXを送りました。日本時間では深夜12時少し前でした。
ボイジー川上流へサイクリング
今日、明日は大学が休みです。
研究のことばかり考えていては気が滅入るし、気分転換も必要と思い、今日はサイクリングに出かけることにしました。
遅めの朝食を済ませ、洗濯などをしたのち、お弁当(サンドイッチとリンゴ)と水(1リットル)をデイパックに詰めて、12時少し前に出発。
まずは近くの自転車屋でタイヤの空気を入れてもらい、ふだん通勤に使っている自転車道に向かいました。
ボイジー川右岸に沿って伸びる自転車道を、上流に向かって走っていきます。
大学のそばを通り抜けると、郊外ののどかな住宅地へ、さらにゴルフ場の横に出ます。
このあたりは、町に近いこともあって、サイクリングの人のほか、歩行者や、ローラーブレードを楽しむ人も多く行き交います。
ゴルフ場の近くでは、2人の女の子がレモネードを25セントで売っていて、思わず止まって買ってしまいました。
ゴルフ場の横を抜けると、こんどは一面の牧草地。
左には枯れ草に覆われた山々、右には河岸段丘の高い崖を見ながら、ひたすら川沿いを走ります。
そのうちに左手の山々が迫ってきて、谷が狭まってきます。
こうして走ること1時間、距離にして8マイルほどで、ダムの直下の公園に着きました。
ここが自転車道の終点です。
公園には、砂浜のある遊水池がつくられていて、多くの人が泳いだりボートを浮かべたりしています。
また、まわりの芝生では、家族連れなどがお弁当を広げたり、バーベキューを楽しんだりしています。
天気は快晴。
気温は86度F(およそ30度C)ほどですが、空気が乾燥しているので、木陰で風に吹かれるととても爽やかです。
ただ、のどが渇きやすく、1リットルの水もどんどん減ってしまいます。
(→気候)
持参のお弁当を食べて、しばらく休んでから、帰路につきました。
往復2時間で16マイル、ほどよい運動量だし、ほかにこれといった趣味を持てそうにもないので、エクササイズを兼ねて、これからは週末ごとにサイクリングに出ようかと思いました。
自転車道の案内図によると、左岸にも上流に向かう道があり、また、右岸の道は町から下流のほうへも伸びているようなので、交互に3方向へ行くことにすれば、飽きることもないでしょう。
帰り道、大学のそばのJulia Davis Parkで「Art in the Park」という催しが行われていたので、立ち寄ってみました。
催しの内容は、美術品や工芸品の青空市場。
会場内にはたくさんのテントが立ち並び、それぞれ絵画、写真、木工品、ガラス細工、アクセサリー、衣類、食器などを飾って売っています。
スナックや飲み物の屋台も出ています。
週末とあって訪れる人も多く、大賑わいです。
驚いたのは、こんな露店でさえ、小切手はもちろん、一部の店ではクレジットカード(Master/VISA)を受け付けるということです。
おまけに、会場の一角には、仮設のキャッシングマシンまで備え付けられていました。
キャッシュレスの思想がここまで行き届いているとは思いませんでした。
おかげで、30ドルしか現金を持っていなかった私でも、ちゃんと買い物ができたのです。
アパートの窓辺に絵か花を飾りたいと思い、多くのテントをひやかすうち、バラの造花のついた電気スタンドを見つけました(56ドル)。
アメリカの住居は基本的に間接照明のため、夜のアパートの室内は、備え付けの照明だけではとても暗く、新しい電気スタンドが欲しいと思っていたところでした。
それで、これはちょうどよい、と思い、窓辺に飾る造花とともに買いました。
さて困った。
買ったはいいが、こんな大きい荷物を持って自転車には乗れないではないですか。
でも、まあいいや、と開き直って、20分ほどの道のりを歩いて持って帰り、少し休んでから、また公園へ歩いて行きました。
さらに公園内を歩き回り、リンゴやヒマワリが描かれた食器と、ブドウの絵のテーブルマットを買ってから、こんどは自転車で帰りました。
さっき買った造花とあわせて、これで殺風景な部屋が、少しは明るい雰囲気になりそうです。
昨日電話が開通して、FAXも使えるようになったので、日本との連絡手段がひとつ確保できたのですが、もうひとつ問題なのが、「インターネットメール」です。
研究者の間では、インターネットの利用は、世間でインターネットがもてはやされるよりずっと前から広く行われていて、研究者同士の連絡はメール利用が一般的です。
私がボイジーを訪れるにあたり、Tomekは数学科のコンピュータに私のアカウントを設けてくれたので、とりあえずメールの送受信はできるのですが、ここにひとつの大きな壁があるのです。
「日本語」の問題です。
英語が共通語のアメリカでは、当然コンピュータも英語使用が前提。
日本語を使用できる環境は整っていません。
日本語環境のソフトウェアを導入して、日本語を使えるようにするのは不可能ではありませんが、それにはコンピュータの管理者の協力が不可欠で、また私自身コンピュータの知識が十分ではないので、かなり苦労しそうです。
あと、どうしても実現したいのが、ノートパソコンと大学のコンピュータの間でのデータ転送です。
これができないと、せっかくこうしてHTML形式で日記をつけていても、大学のコンピュータにWebページを設けて公開することができません。
それに、論文の原稿など、ノートパソコンのハードディスクに入れて持ってきたデータを、大学のコンピュータに送り込んで利用したり、逆に、大学のコンピュータに到着したメールをノートパソコンに持ってきたり、そういった利用もできないと、何かと不便です。
Tomekに相談すると、「そのためには、大学のネットワークに接続されたパソコンを使って、フロッピーディスクを介してやりとりするか、あるいはインターネットプロバイダに加入して、電話回線を通して通信するか、その2通りの手段がある」との答え。
ネットワークに接続されたパソコンは、大学内の限られた人しか持っていないようなので、思い切ってインターネットプロバイダと契約することにしました。
最初は、電話帳などでプロバイダの所在を確かめないといけないのかと思っていましたが、Windows95の画面を見ると、ちゃんと「The Microsoft Network」というアイコンがあり、これをクリックすると、自動的にMicrosoft Network(以下MSN)
にサインアップできるようになっているではありませんか。
しかも、パソコンの地域設定をアメリカにしていると、ちゃんとアメリカのサインアップホストに接続してくれます。
これは便利、とばかりに、画面の指示に従って操作していくと、(何度かエラーが出てやり直しましたが)
無事にサインアップが終了し、アカウントが取得できました。
最初の1ヶ月は使用料無料とのことなので、さっそくいろいろと試してみます。
ネットワークに接続した状態で、インターネットエクスプローラを立ち上げ、インターネット上のURLを指定すると、ちゃんとWebページを表示してくれます。
モデムの速度は33.6Kbpsですが、転送の速さにはほとんどストレスを感じず、いたって快適です。
肝心のメールの送受信ですが、これはつまずきました。
Microsoft Exchangeのメール配信機能を使っても、ぜんぜんMSNに届いたメールを取り出してくれないのです。
ああでもない、こうでもない、といろいろ設定をいじった末、「受信トレイ」の初期設定が正しくなされていなかったということがわかり、適切に設定したら、やっとメールを取り出せました。
なんだかんだと試すうち、ずいぶん時間が経ってしまいました。
昼の2時ごろから始めたのですが、もう夕方6時近く、お腹が空いてしまいました。
やむなく今夜は外食。
近くのBURGER KINGのテイクアウトで簡単に済ませました。
このほか、telnetやftpの方法も、試行錯誤の末にマスターしました。
これで、大阪府大のコンピュータに届いた私あてのメールを読み出すこともできるし、当初の目的であった、大学のコンピュータとの間のファイル転送もできます。
こうなると、私のWebページも公開に一歩近づいたわけで、このHTML日記も、書き続ける甲斐があるというものです。
ともあれ、これでやっと、日本の人たちと日本語でメールのやりとりができるようになったので、さっそく何人かの人に日本語でメールを送信しました。
なお、WWWについては、大学のコンピュータ上のNetscapeを使って、日本語のページも含めて閲覧することができます。
(これも、最初は日本語の表示が乱れてしまっていたのですが、フォントの設定を試行錯誤でいじるうちに、ちゃんと表示できるようになりました。)
WWWの閲覧については、なるべく大学のコンピュータを使うようにすれば、MSNの課金が膨れ上がることもないでしょう。
未明の3時ごろだったか、激しい雨と雷の音に目を覚ましました。
窓の外が突然稲光で明るくなり、すぐさま、大きな雷の音が鳴り響きます。
一瞬停電したようで、FAXがリセット動作(ロール紙の端を引き出してオートカッターで切る)をしたのに気づきました。
落雷の影響が最も恐いのがパソコンなので、ベッドから起き出して、ACアダプタを外しておきました。
雨はかなり激しく降っているようです。
再びベッドに戻り、不安な一夜を過ごしました。
初めてのバス乗車
朝になると、雨は止んでいましたが、空には雲が低く垂れ込めて、薄暗いです。
自転車で大学に行って雨に降られてはかなわないので、今日は歩いて大学に行くことにします。
町の中心部からはバスが出ていて、大学を通る路線もあるとのことなので、バス停を探してみました。
アパートから町の中心部に向かう道にも、いくつかバス停はありますが、時刻表や路線図はなく、どうしようもありません。
中心街までくると、こんどはバスシェルターがいくつか並んでいます。
どうやら、路線ごとに異なるシェルターに発着するようで、それぞれの路線の路線図と時刻表が掲げてあります。
ところが、どのバスに乗ってどこで降りていいのやら、案内を見てもさっぱりわかりません。
それに、どうやらバスはどの系統も
30分毎か1時間毎の運転(系統によっては朝夕のみ)らしく、結局、「歩いた方が早そうだ」と思い、大学まで歩いて行きました。
アパートからの所要時間は、30分強でした。
大学内にバスの案内パンフレットが置いてあったので、全体の路線図と、大学を通る系統の時刻表、それと乗車案内をもらいました。
帰りは、今度こそバスに乗ってみようと思い、大学のバス停に行ってみました。
こんどは、バス停に表示された路線図と時刻表から、何番か何番のバスに乗れば中心街に行ける、との情報を読み取れました。
5分ほどすると、お目当てのバスが到着。
数人の学生といっしょに乗り込みます。
バスはまっすぐ市街地に向かい、5分ほどで中心街のバスシェルターに到着。
ここが終点らしいので、そのままバスを降りました。
中心街からアパートに向かう途中、別のバスが通り過ぎていきました。
大学でもらった乗車案内によると、乗り継ぎはあらかじめ申し出れば無料のようなので、うまくいけば同じ運賃でアパートの近くまでバスで来られたようです。
バスを使いこなすには、少し研究が必要だと思いました。
(→路線バス)
翌12日の夕方、Student Union内で地元の新聞 The Idaho Statesman を読んで、昨夜の大雨で、実はたいへんなことが起こっていたことを知りました。
1面トップで、「ボイジーで洪水、北部の山麓に自主避難勧告」
と報じられていたのです。
写真を見ると、暗闇の中、膝まで泥まみれになって土嚢を積んでいる親子の姿が写っています。
また、被害状況の図を見ると、私のアパートのあたりも「避難待機地域」に指定されていて、近くの市街地でも洪水の被害が確認されたとのことです。
自分の住んでいる所のすぐ近くで、知らない間にこんな災害が起きたということで、少し恐くなりました。
Microsoft Networkのアカウントを得て、ノートパソコンと大学のコンピュータとの間のファイル転送が可能になったことで、私の個人Webページ公開が実現できる環境が整ってきました。
それで、毎日ひまを見つけては、WebページのHTMLファイル作成を進めています。
HTML作成に使っているのは、秀丸エディタだけ。
(確認用のブラウザとして、Internet Explorerを使っていますが。)
ページ作成支援ツールの類は一切持っていないので、すべてテキストファイルに直接HTMLタグを書き込んで作っています。
(秀丸用のHTML編集支援マクロもあるようですが、今のところ使っていません。)
Microsoft Wordを使えば、HTML文書の編集が見たままのイメージで行えるようですが、かえって面倒なように思えます。
HTMLの基本的な文法は、日本から持ってきた下記の本を見ながら、実際にHTML文書を作ることで、覚えていきました。
Dean Scharf著, 間宮あきら訳, HTMLビジュアルクイックリファレンス,
アスキー出版局, 1996.
この本はとてもよくできていて、HTML文書作成に必要な最小限の情報、特にタグの使い方に絞って、簡潔にまとめられています。
この本とテキストエディタ、それに確認用のブラウザがあれば、ページ作成に不足はありません。
HTMLタグを直接文書に埋め込むスタイル(マークアップ方式)は、ふだん論文執筆に使っている「LaTeX」という文書処理システムと基本的に同じで、しかも、LaTeXよりもずっと覚えるべきことが少ないので、難なくマスターできました。
ページを設計するうえでの最大のポイントは、各ページのリンクの構造です。
これがお粗末で、好き勝手にリンクを張りまくっていると、見に来た人がリンクの迷路で迷子になってしまいます。
この「リンク構造の設計」というのは、ページ作成者のセンスが最も要求されるポイントだと思います。
それだけに、私もその点には十分配慮したつもりです。
私のWebページを作るにあたって、構想段階から決めていたのは、
研究情報とプライベート情報を分離する
ということです。
研究関係のつてで私のページを見つけて訪れた人には、研究情報だけを見てもらえばよいですし、それ以外の友人、知人であれば、研究情報は見てもさっぱりわからないでしょう。
そこで、研究情報、プライベート情報のそれぞれについて、別のトップページを作ることにして、それぞれ「オフィス」「リビングルーム」と名づけました。
そのうえで、オフィス内のページとリビングルーム内のページの相互のリンクは極力避けて、オフィスとリビングルームの独立性を高めています。
「オフィス」「リビングルーム」のネーミングは少し悩みました。
「オフィス」は「研究室」でもよかったのですが、なんとなく堅苦しいので、横文字を採用しました。
問題は、プライベート情報のほうです。
「オフィス」に対応する言葉として、「ホーム」では、「ホームページ」という用語と紛らわしいし、「プライベートルーム」「アパート」とか、いろいろ考えましたが、どうもしっくりきません。
結局、「自分自身の生活に関する情報」ということから、「リビングルーム」という名前に落ち着きました。
今日までの作業で、オフィスもリビングルームも、だいぶ形が整ってきました。
HTML日記も溜まってきています。
もう少ししたら、大学のコンピュータにのせて、試験公開しようと思っています。
早ければ、来月初めにも正式公開できるでしょう。
笑い話のような失敗談です。
先週末に、銀行からATMカードと小切手帳が送られてきました。
ATMカードのほうの封筒を開けて、中の説明を読むと、「このカードをATMに入れ、Personal Identification Number(PIN)を入力することにより、引き出しや入金などの取り引きが可能です」とあり、なるほど、PINってのは暗証番号のことか、と納得しました。
そういえば、口座を開設したとき、行員の説明をTomekが「通訳」してくれていた中に、確かそんなのがあったな、というのは覚えていますが、果たしてそれで私がどんな番号を登録したか、となると、自信がありません。
その時は、とにかく行員とTomekの英語を理解するのに必死だったのです。
しかし、暗証番号を自分で決めるとすると、そんなに自分にとって意味不明の数字にするはずはないので、「????に決めたに違いない」と思い、実際にATMに行って確かめてみました。
ATMにカードを入れると、すぐに「PINを入力せよ」との指示。
ここで、心当たりの「????」を入力します。
ところが、結果は「PINが正しくない。再度入力せよ」との表示。
そんなはずはない、と思いつつも、ほかに思い当たる数字をいくつか試してみましたが、どれも違います。
暗証番号を忘れるなんて、日本では一度もしたことのない失敗です。
でも、こうなった以上、恥を忍んで銀行の窓口に申し出るしかありません。
週が明けた月曜日の今日、朝9時半の開店を待って、銀行に行きました。
窓口で「すみません、PINを忘れました」と申し出ると、ロビーのカウンターに案内され、「写真入りの身分証明書はあるか」と問われました。
身分証明は当然要求されると思っていたので、ちゃんとパスポートを持ってきていました。
それを示すと、行員は「PIN変更台帳」にパスポート番号を控え、私のサインを求めました。
本人確認が済んだら、あとは簡単。
ロビーの奥のカード処理機に案内され、行員がカードを通した後、新しい番号を2回入力すればおしまいです。
ここで、今度こそ間違えないように、「????」を入力しました。
めでたくPINが再登録されたところで、さっそくATMで残高照会をしてみました。
すると、口座を開いてからたったの2週間で、もう利息がついていました。
夕方、大学から帰ってくると、銀行から薄い封書が届いていました。
開いてみると、なんと中身は
あなたのPINは **** です。
という通知だったのです。
その「****」という数字には、まったく心当たりはありません。
つまり、最初のPINは本来銀行側が決定するもので、私が口座を開くときにあまりに慌てていて、PINを自分で決めたかどうかさえ覚えていなかったのです。
あーあ、慌ててPIN変更することはなかった、口座を開くときにもっと落ち着いていれば、と反省しきりです。
まあ、ここで恥をかいたおかげで、今後は同じような失敗をすることはないでしょう。
9月も半ばになり、ずいぶん涼しく、というより寒くなってきました。
朝方の気温は50度F(およそ10度C)近くまで下がり、日中の気温も、70〜80度F(およそ21〜27度C)ぐらいまでしか上がりません。
日本でいうと、北海道か東北地方ぐらいの気候でしょうか。
毎週火曜日は、Tomek、Marion、Andrzejらと集合論のセミナーを行う日です。
今日は私が発表する番で、ボイジーに来て以来初めての研究発表となります。
英語で研究発表を行うのは、これまでにも3年前の松山の国際会議や、今年3月のベルリンの学会で経験済みですが、こんどは黒板に書きながら話す
(今までの英語での発表では、OHPを使っていました)
ということで、少々勝手が違います。
話す内容は、私の博士論文にまとめたことの一部なので、私にとっては難しくありませんが、念のため、あらためてノートにまとめておきました。
午後3時、教室にメンバーが集まったところで、セミナー開始です。
日本人相手に日本語で話すのなら、流暢に話せる自信があるのですが、英語だとどうしても、つっかえつっかえになってしまいます。
それに、途中で質問されても即答できず、Tomekにかなり助けてもらいました。
英語で話してはいても、やはり私の頭の中ではまだ日本語で考えているようで、言葉に詰まると、思わず「えーっと」とか「だから」とか、日本語でつぶやいてしまいます。
ともあれ、1時間の発表はほどなく終了。
お世辞でしょうが、Tomekが「That was a good talk.」とほめてくれました。
そのあとは、Tomekのオフィスで、私の研究テーマについてのディスカッション。
ここでも、Tomekは私のたどたどしい英語に、辛抱強く耳を傾けてくれます。
英語のフレーズが頭に浮かばないときは、とにかくホワイトボードに言いたいことを数式や短い英文で書いて、それを指差してTomekの表情をうかがう、そんな調子です。
でも、このあたりはきっと「慣れ」の問題で、しばらくして慣れてくれば、もっと自由に思い通りに話せるようになるのでしょう。
朝、大学に行ってみると、Tomekが
「今日、きみのオフィスが空くから、移動できるよ」と知らせてくれました。
これで、大学に通い始めて3週間目にして、ようやく自分の「居場所」ができました。
今までは、Tomekのオフィスに居たり、引越し途中の空き部屋を仮のオフィスとして与えられたりしていたのでした。
私のオフィスは、今までAndrzejが仮のオフィスとして使っていた部屋で、窓がないため少々圧迫感がありますが、居心地は悪くなさそうです。
部屋には電話回線とデータ回線が届いていて、コンピュータの端末を設置すれば、部屋に居ながら大学のコンピュータにアクセスできます。
端末は、そのうちTomekが手配してくれるでしょう。
今までは「仮住まい」だったため、本や論文はいちいちアパートから持ってきていましたが、これからは、オフィスに置いておくことができます。
Tomekがノートパソコン用のネットワークカードを貸してくれるというので、それを使えば、ノートパソコンを持ってきて、直接ネットワークに接続することもできそうです。
ボイジー州立大学には、日本人の学生も少なからずいるようで、ときどき大学内で数人の日本人が固まって日本語で談笑しているのを見かけます。
今日も、新聞を読もうとStudent Unionのロビーに行ってみると、4人の日本人の女子学生がお茶を飲みながら声高に日本語で話していました。
こういう光景を目にすると、ああ、自分以外にもこの地に日本人がいるんだ、と、なんとなく安心できます。
私自身は、ボイジーに来て以来、国際電話以外で日本語を話したことはまだないので、そろそろ、日本語に飢えてきています。
ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きに行く
という石川啄木の歌は、こういう心境をうたったものなのでしょうか。
そんなことを考えていると、夜になって、長距離電話会社から日本語で電話がかかってきました。
日本人の私が最近電話を開設したということで、長距離電話会社の登録変更をすすめる電話を、ちゃんと日本人のオペレータがかけてきたのです。
話を聞くと、すでに登録されている会社より料金が安いようなので、「日本語で話せる」という安心感も手伝って、その場で登録変更を頼んでしまいました。
毎週土曜日はサイクリングの日。
今日も、サンドイッチとリンゴをデイパックに詰めて、ボイジー川の上流に自転車で出かけました。
5マイルほど先の公園まで行って、大学の近くまで帰ってきたのは午後1時過ぎ。
大学の近くのJulia Davis Parkでは、「Gospel Fest」という催しが行われていました。
野外ステージの上では、バンドによるゴスペル(宗教音楽)演奏が行われ、家族連れなどが芝生に腰を下ろして聴いています。
私も、休憩がてら、しばらく聴いていました。
そのあと、公園内を自転車でうろうろしていると、おもちゃの汽車のような観光バス(?)が止っているのを見かけました。
機関車には、「Boise Tour Train」と書かれています。
近くの売店が切符売場になっていて、時刻表を見ると、あと10分ほどで出発するようです。
このツアートレインは、以前にも街中を走っているのを見たことがあるのですが、乗り場などの情報がわからず、乗る機会がありませんでした。
それで、これはちょうどいい、と思い、その場に自転車を置き、切符を買って客車に乗り込みました。
ほどなく出発時刻となり、運転手の女性が改札をした後、機関車(実際は電気自動車)に乗り込み、出発しました。
運転手さんは、機関車を運転しながら、マイクを通して観光案内をしてくれます。
まずは公園内の歴史博物館、美術館などの前を通って、公園内の道路を1周。
汽車が通ると、道行く人たちはみな手を振ってくれます。
公園を出ると東に進み、かつての富豪の邸宅が建ち並ぶ通りを抜けて、町外れの刑務所博物館、植物園の前へ。
ここで西に戻って再び市街地に入り、Capitol(州議事堂)をはじめとする中心街の数々の建物をめぐっていきます。
1時間ほどで、公園の乗り場に戻ってきました。
ちょっと観光客の気分になった、楽しいツアーでした。
Julia Davis Parkには、歴史博物館、美術館のほかに、動物園、バラ園などもあり、また、市内にはほかにもいろいろな見どころがあるようです。
そのうち、これらの見どころを順に訪れて、それらの情報を
『地球の歩き方』にも載っていない、ボイジー観光ガイド
とでも銘打って、このWebページに載せるのも、面白いかもしれません。
(注: 「地球の歩き方・アメリカ」には、ボイジーはおろか、アイダホ州そのものが載っていません。)
昨夜はどういうわけか寝つきが悪く、夜の1時頃になってもなかなか眠れませんでした。
しかたなく、ノートパソコンに向かって、MSNに届いたメールの返信を書いたりしながら過ごすうち、2時をまわってしまいました。
床に就くのが遅いと、寝起きも悪くなります。
いつもなら、8時頃には起きて、9時半頃には家を出るのですが、今朝はすっきりと目が覚めません。
無理に早起きして大学に行っても、オフィスで昼寝していたのでは意味がないので、このさい朝寝坊を決め込むことにして、9時半頃までベッドにもぐっていました。
今日は、3時からのセミナーにさえ間に合えばよいので、午後から大学に行くことにしました。
そうと決めると、午前中はアパートでのんびりできます。
まずは、シャワーを浴びて、それから朝食の支度にかかります。
ふだんの朝食はシリアルとヨーグルトだけで済ませているのですが、今日はベーコンと冷凍のハッシュポテトを炒めて、さらにベーコンから出た油でフライドエッグを作ります。
それに生野菜を少々添えて、いつもよりちょっと贅沢な朝ご飯にしてみました。
MSNにアクセスして、深夜に書いたメールを送信してから、ノートパソコンをバックパックに詰めて、自転車で大学に向かいました。
1週間ほど前は、少々肌寒い日が続いたのですが、近頃はよい天気が続き、昼の気温は80度F(およそ27度C)以上に上がります。
バックパックを背負って自転車をこいでいると、背中に汗をかいてしまいます。
オフィスでネットワーキング
セミナーの後、Tomekがノートパソコン用のネットワークカードとケーブルを持ってきてくれたので、ノートパソコンのネットワークへの接続を試みました。
ネットワークカードは、ノートパソコンのカードスロットに差し込める仕様で、Plug-n-Playにも対応しているので、差し込むだけで自動的に適当な設定がなされます。
ケーブルをつないで、インターネット関係の設定を施し、telnetで大学のコンピュータに接続を試みると...
見事にログインできました!
このほか、インターネットエクスプローラによるWWW閲覧や、ftpによるファイル転送もうまくいき、また、MSN経由のメールの送受信もできることがわかりました。
これで、オフィスにノートパソコンを置いておけば、自由自在にインターネットへアクセスできます。
もっとも、近いうちにTomekが専用のUNIX端末を手配してくれるでしょうから、そうなると、そちらのほうが便利になるとは思いますが。
...といっても、安易に外食で済ませたわけではありません。
大学からの帰り道、「夕食は何にしようか」と、いつも迷います。
特に、お腹が空いているときなど、外食で済ませてしまいたくなることもありますが、外食というと、どうしてもハンバーガーとかピザになってしまうので、なるべく、何でもよいから自炊するようにしています。
今日は、夕食に適当な材料が残っていないので、まずスーパーに買い物に行かなければなりません。
スーパーの向かいにはBURGER KINGがあるので、ついつい入って夕食を済ませてしまいたくなりますが、まずは買い物、と思い、スーパーに入ります。
肉類の売り場を物色するうち、牛挽肉のパティが目につきました。
4枚入りで1.3ポンド(600グラム弱)、値段は3ドルほどです。
そうだ、これとバンズを買って帰れば...
そうです、今日の夕食は、「自家製ハンバーガー」に決まりです。
150グラム近くある分厚いパティに塩、胡椒をふって、フライパンでじっくり焼きます。
その間に、バンズを切ってオーブンで温めておきます。
パティが焼けたら、バンズの下半分の上に、野菜、パティ、スライスチーズ、それにバンズの上半分をのせて、特製チーズバーガーの出来上がりです。
これに、ハッシュポテトと生野菜、買い置きしてあったアップルジュースを添えて、いかにもアメリカ的な食卓となりました。
お味のほうは、ケチャップも何もなかったので、あまりおいしくありませんが、さすがにパティがボリュームたっぷりで、お腹いっぱいになりました。
何より、「自家製」ということで、BURGER KINGでは味わえない満足感がありました。
アメリカには、1/2ポンド(およそ225グラム)のパティ入りのハンバーガーとか、12インチのホットドッグもあると聞いていますが、そういうものも、一度は「夕食として」食べてみたい気もします。
大学に来る日はたいてい、お弁当として、家でサンドイッチを作って持ってきます。
お昼になったら、キャンパス内の芝生か、ボイジー川の対岸のJulia Davis Parkで、ひなたぼっこをしながら食べるのが日課です。
また、昼食後か、帰る前には、Student Unionのラウンジに行って、地元の新聞 The Idaho Statesman を読むようにしています。
大部分は読んでもさっぱりわかりませんが、少なくとも、天気予報、為替相場情報、それと「ピーナッツ」(スヌーピーの漫画)だけは目を通します。
(漫画は毎日20本ほど載るので、全部は読みません。)
今日は、2時ごろにJulia Davis Parkでお弁当を食べて、そのあと、Student Unionに行きました。
新聞を読もうとラウンジに行くと、なにやら人だかりができています。
見ると、ソファのかわりにビリヤード台が置かれ、一人の紳士がデモンストレーションをしています。
ちょうど、ビリヤードの達人、Paul Gerni氏をゲストに迎えての、エキシビションが始まるところだったのです。
まもなく、司会の女性が「達人」の経歴を紹介し、そのあと、エキシビションが始まりました。
彼は、巧みなキューさばきで次々と見事なプレイを披露し、そのたびに、ギャラリーから大きな拍手が湧き起こります。
さすがに、テレビのショーと違って、たまには失敗もしますが、それさえ、パフォーマンスの一部として利用し、ウケをとってしまいます。
結局、新聞を読みに来たということを忘れて、1時間にわたるエキシビションに見入ってしまいました。
私自身は、ビリヤードは筑波大の院生時代に覚えて、下手の横好きながら、ときどき相手を見つけては遊んでいました。
だから、このようなパフォーマンスを見ると、またビリヤードをしたくなってしまいます。
Student Union内のレクリエーションセンターにはビリヤード台があるし、お金もある、時間もある、でも悲しいかな、相手がいません。
パフォーマンスの最中に、レクリエーションセンターの割引券が配られたのですが、これを使うのは、いつになることやら。
今日も、帰りがけに夕食の献立を考えながら、新聞を読みにStudent Unionに向かいました。
ラウンジのテーブルに陣取り、今日付けのThe Idaho Statesmanを持ってきて、目を通します。
The Idaho Statesmanは、総合、ローカル及びビジネス、スポーツ、生活、Classified Ad(分類整理された広告)の分冊になっているのですが
(土曜、日曜はさらに多い)、そのうち「生活」の冊子、1面左端のコラムに、「James E. Barrettによるオルガンコンサート」の記事を見つけました。
今日の7時半から、大学内のHemingway Centerで行われ、しかも「無料」とのこと。
これはぜひ行かねばなるまい、と思い、時計を見ると6時半。
今夜は自炊をあきらめ、ラウンジ内のPizza Hutで軽い食事を済ませます。
Hemingway Centerのホールは、教会のような三角屋根で、パイプオルガンが備わっています。
観客用の椅子が並べられ、ステージ上にはオルガンのコンソールが据え付けられています。
お客はたいてい地元のおじさんおばさんたちという感じで、あまり多くなく、こじんまりとしたコンサートです。
まもなく、奏者のJames氏が登場。コンサートの始まりです。
曲目は、17〜18世紀のバロックと、現代曲の組み合わせで、バラエティに富んだプログラムでした。
氏は、曲ごとに解説をまじえながら、すばらしい演奏を披露してくれます。
演奏そのものを堪能したのはもちろんですが、前のほうの席にすわったので、奏者の足元のペダル、足鍵盤、ストップなどの操作もじっくり観察できて、目と耳の両方で楽しめました。
途中に休憩を挟んで、2時間ほどのプログラムでした。
すべての曲目を終え、アンコールも弾き終えると、客席から大きな拍手が沸き起こりました。
アメリカに来て以来初めての、生演奏の音楽の心地よさに身を委ねたひとときでした。
新聞というのは、やはり読むべきものですね。
これからも、このようなコンサートの情報などを積極的に探して、足を運びたいと思います。
2週間ほど前から、このWebページのファイルを大学のUNIXサーバにアップロードして、自分でリンクのテストなどをしていました。
さらに、「試験公開」と称して、一部の人にURLを知らせて、見てもらいました。
その結果、特に不具合は報告されなかったので、今日から、このページを正式公開することにしました。
まあ、正式公開といっても、単にメールアドレスを知っている人たちに、ページ開設のあいさつメールを送っただけですが、これを機会に、メールの自動署名に、WebページのURLを入れることにしました。
続・Webページ作成裏話
「裏話」というほどのものでもありませんが、ここで、このページを作成するにあたって、私が意識したことを書いてみます。
私のWebページ作成に対する考え方を、少しでも理解していただければと思います。
- 研究情報とプライベート情報を分離する。
- これについては、9月14日の日記
「Webページ作成裏話」に書いた通りです。
- リンク構造は、基本的に「ツリー構造」とする。
- ツリーの階層を見失わせるようなリンクは極力避ける。
- これは、「メニューの加除がしやすい」という作成者側の都合もありますが、読む人にとっても、「自分の現在位置を把握しやすい」というメリットがあると考えるからです。
- 日記には「前ページ」「次ページ」のリンクはつけない。
- これは大いに迷ったところです。
日記をいっぺんに読もうとする人にとっては、これがあれば、1ページ読むごとに目次に戻る必要がなくなるので、「つけるべき」という考え方もあるでしょう。
しかし、これは作成者にとっては、1日分日記を書くごとに前回分を修正する必要が生じ、煩雑であるうえに「間違える可能性が高くなる」ということで、私が最も「やりたくない」ことなのです。
それに、目次のページはきっと読み手のブラウザのキャッシュに残るでしょうから、続けて読む人にとっても、(クリックの回数は増えますが)
ストレスはそれほど大きくないと考え、あえて省くことにしました。
- 文字サイズや文字色を変更するタグは使わない。
- これは、そのような部分に必要以上に凝るよりも、ページの論理的構成に集中するほうが有益だという考えによります。
- 「中央揃え」「右揃え」のタグは使わない。
- 表示される結果が、ブラウザの種類、画面の大きさ、フォントの設定などに依存するからです。
「中央揃え」の行が行末近くの変な場所で改行されて、2〜3文字だけ次の行の中央に表示されるのは、見苦しいものです。
- 基本的に画像は使わない。
- 今のところ、画像を取り込む手段も、素材ファイル集の類も持っていないので、画像を使わないのは当然なのですが、もし、画像を使える環境にあっても、画像を多用した派手なページは作らないと思います。
大きな画像や、多数の小さな画像を含んだページは、どうしてもロードに時間がかかるからです。
- ページの背景色はなるべくつける。
- かといって、テキストオンリーで、文字サイズも文字色も凝らないのでは、あまりにも「色気がない」ので、ページの背景色だけはつけることにしました。
文字色は常にデフォルトの黒にしておいて、背景色は明るめの色にしています。
そのほうが、背景が暗くて文字が白いよりも読みやすいと思うからです。
また、ページごとに背景色を変えることで、読み手に「ページの移動」を意識させる、という効果も狙っています。
すでにお気づきかと思いますが、日記の背景色は月ごとに変えています。
- CGIスクリプトやJAVAは使わない。したがってカウンタも設けない。
- 単に、私にそれらの知識がないだけです。
- フレーム機能は使わない。
- ページの設計が煩雑だというのが最大の理由ですが、それ以前に、そもそも私には、「フレーム機能」がそれほど便利なものとは思えないのです。
- ページのタイトルは英語でつける。
- UNIXのネットスケープでは、日本語のタイトルは正しく表示されないのです。
いかがでしょうか?
総合すると、私のWebページ作りの基本は、「シンプルで読みやすく」「見栄えよりも内容重視」
ということになるかと思います。
ともかく、これからは私のページが「人目に触れる」ことになるので、少しずつでも、読む価値のある「情報」を増やしていこうと思っています。
特に、「リビングルーム」のほうは、自分の趣味を生かしつつ、かといって自己満足に終わらないように、皆さんに楽しく読んでいただける内容にしていきたいと思います。
メニュー項目も少しずつ増やしていくつもりです。
今日は、午後3時頃にTomekのオフィスに顔を出し、私が今考えている問題について、ディスカッションをしました。
ふだんは、大学に来ても自分のオフィスで研究を進めるだけですが、何か興味深い結果が得られたときや、逆に、研究がなかなか進展しないときは、Tomekに研究経過を話して、アドバイスを求めています。
今日のディスカッションは、後者のケースです。
ディスカッション自体は、30分ほどで終わったのですが、そのあと、Tomekがアトランタの学会について話してくれました。
10月17日から19日まで、アメリカ数学会(AMS/American Mathematical Society)の集会がアトランタで開かれるということです。
TomekもMarionもAndrzejも、講演者として出席するとのこと。
ほかにも、講演プログラムには有名な集合論研究者が名を連ねています。
この学会の話は、前にもMarionからちらほら聞いていたのですが、あまり詳しい話を聞いたわけではなく、私自身も行くかどうかの意思表示をしていませんでした。
Tomekは私に、「大勢の集合論研究者に会えるチャンスだから、旅費さえまかなえるなら、君も来るといい。
もし来るのなら、当日まであまり日がないから、早く航空券やホテルの手配をしないと。」
と、参加を勧めてくれました。
そう言われたら、黙っているわけにはいきますまい。
二つ返事で「行きます」と答え、WWW上の学会に関する情報ページのURLを教えてもらいました。
航空券は、Tomek自身は500ドル弱で買ったから、今すぐ買えばその程度の値段で買えるだろう、ということで、市街地にある旅行代理店を教えてくれました。
そのあと、学会に関する情報を聞くために、Tomekとともに、隣のMarionのオフィスに行きました。
ここで、学会の日程や空港、ホテルなどに関する情報を聞きました。
さらに、学会初日の夜には、集合論セッションの夕食会が開かれるということで、これにも「参加したい」という意思を伝えておきました。
そのあとは、Marionと雑談。
公開したばかりの私のWebページ(「オフィス」の英語版ページ)を起点に、数学関係のサイトをネットサーフィンしたりしました。
そんなわけで、アメリカ渡航後初めての国内旅行は、アトランタ行きに決まりました。
そうと決まれば、さっそく明日にでも旅行代理店に行って、航空券とホテルの予約をしなければなりません。
それで、さっそく次の日の午前、Tomekに紹介してもらった旅行代理店に行きました。
受付の女性に「アトランタへの航空券を買いたい」と告げると、すぐ奥のカウンターに案内されました。
出発日(学会前日の16日)を告げると、コンピュータの画面上にフライトスケジュールを表示して、いろいろ教えてくれますが、最初はよくわかりませんでした。
どうも、ボイジーからアトランタへは直行では行けず、便によって何通りかの乗り継ぎ行程があるようです。
結局、カウンター嬢と相談のうえ、午前8時台出発で1回乗り継ぎの便を選びました。
復路についても同様にして、学会最終日(19日)の午後3時台発の便を選びました。
これで、予約はうまくいきましたが、画面に表示された運賃を見てびっくり。
Tomekから聞いた「500ドル」どころではなく、税込みで1100ドル近いではありませんか。
カウンター嬢も「ずいぶん高くなりますよ。7日前予約の運賃が適用されますから。」と説明してくれました。
どうも、アメリカの航空運賃というのは、こういうもののようで(事前予約運賃を大幅に割り引いているため、出発直前になると極端に高くなる→航空自由化先進国の運賃事情)、時機を逸してしまった以上、しかたありません。
それにしても、ずいぶん高い買い物になってしまいました。
航空券はその場では発行されず、領収書と旅程表だけが渡されました。
搭乗手続きは、空港のカウンターで名前を告げるだけでよいようです。
ついでに、ホテルの予約もその場でお願いしました。
カウンター嬢に、ロケーションや値段の希望を告げると、適当なホテルを選んで予約してくれました。
値段は1泊79ドル。ちょっと高めかもしれませんが、まあいいでしょう。
ところで、アトランタってどこ?
オリンピックで有名になったにもかかわらず、実は正確な位置までは知りませんでした。
これは「ボイジーってどこ?」よりもずっと恥ずかしいですね。
まあ、だいたい「南のほう」だとは知っていましたが。
そんな状態で、アトランタへの航空券を買いに行ったのですから、我ながら大胆なものです。
英和辞典の巻頭についているアメリカの地図を見てみると、アトランタは東海岸に面したジョージア州の州都で、ボイジーからの距離は3000kmほど。
思っていたよりもかなり遠いです。
日本でいうと、たぶん沖縄から北海道に行くよりも遠いでしょう。
あらためて旅程表を見ると、往路は午前8時台にボイジーを出発して、ソルトレークシティで乗り継いで、アトランタに着くのは午後4時台。
ずいぶん時間がかかるものだと思ったら、アイダホ州とジョージア州の間には2時間の時差があるのでした(→アメリカのタイムゾーン)。
おかげで、復路はアトランタを午後3時台に出発して、やはりソルトレークシティ乗り継ぎで、午後7時台にボイジーに到着できます。
ともあれ、こうして私の初めてのアメリカ国内旅行は、実現に向けて動き出しました。
でも、いろいろな意味で、アトランタへの道のりは、私にとってはずいぶん遠そうです。
アメリカといえば、「車社会」かつ「航空先進国」。
大都市圏以外では、ふつうの人は鉄道には見向きもしないようです。
特に、アイダホはアメリカの中でも「田舎」なので、なおさらその傾向は強いでしょう。
ボイジー市内にはUnion Pacific鉄道の線路が通っていて(単線非電化)、線路を見たことはありますが、列車が走っているのを見たことはありませんし、駅がどこにあるのかも知りません。
ところが、そんなボイジーでも、「都市開発に鉄道を活かそう」という動きがあるようです。
今日は日曜日ですが、サイクリングがてら大学のStudent Unionの建物に行きました。
ラウンジでThe Idaho Statesmanを手に取ると、総合の1面に興味深い記事が載っていました。
ボイジーの市街地と郊外を、The RegioSprinterというコミュータトレインで結び、都市開発に活用するという構想があるというのです。
この記事は、辞書を使ってでもじっくり読みたいと思い、帰りがけにアパートの近くの新聞販売機で1部買いました。
記事によると、この構想の目的は、従来の車社会を前提とした離散的な都市開発を改め、鉄道を整備すると同時に、駅を中心にした商業・居住の複合的かつ高度な土地利用を図る「公共交通指向の開発」(transit-oriented development)を行うことにある、とのことです。
記事には、駅の周りにオフィス、商店、集合住宅が集中しているようすを描いた想像図が添えられています。
さらに、10月13日から2週間にわたって、地元自治体が出資して「The RegioSprinterの試運転(デモンストレーション)を行う」という、気合いの入りようです。
記事には、3両編成のディーゼルカーの絵が載っていて、性能上の最高速度は60マイル/時、定員は座席74人、立席100人と説明されています。
この試運転は、既存のUnion Pacificの線路を使って、ボイジーの市街地と、西方の町ナンパとの間で行われ、週末には一般客も先着順で試乗できるようです(平日の試乗は学校などの団体見学のみ)。
18〜19日の週末はアトランタに行ってしまいますが、その次の25〜26日には、試乗に行ってみようと思います。
「公共交通優先の街づくり」という考え方は、ヨーロッパの国々の都市にはかなり浸透していて、私も、ドイツを旅行したときに、都市交通の便利さに感銘を受けました。
日本でも、熊本や岡山などの地方都市で、都市交通としての路面電車の長所を見直す動きがあるようです。
しかし、人口がそれほど多くないうえ(想定される沿線人口は約30万人、鉄道システムが機能している他の都市圏の人口は概ね50万人以上)、すでに車社会が浸透して離散的な都市開発が進んでしまったボイジーにおいて、「公共交通指向の開発」という構想がほんとうに実現するのか、という疑問の声もあるようです。
そのうえで、記事は、「未知の領域に興味を向けるのはたやすいが、問題は、果たしてボイジーの人々が都市開発に『集積』を求めているのか、ということだ」と結んでいました。
それにしても、日曜版の新聞はとても分厚いです。
総合、ローカル、ビジネス、スポーツ、生活、Classified Ad、それに「漫画」(カラーで4ページ)の7分冊で、そのうえ、新聞自体よりも分厚い折り込み広告の束が挟まっています。
1部売りの値段も、平日は50セントですが、日曜は1ドル50セントです。
アメリカでは今、フットボールのシーズンです。
ボイジー州立大学には大きなスタジアムがあり、「BSU Broncos」というフットボールチームが活躍しています。
このチームは、大学だけでなく、地域全体で人気を集めているようで、新聞にもよく載っています。
Student Union内には、「Bronco Shop」というキャラクターグッズの店まであります。
今週は、そのBSU Broncosのホームゲームがあるということで、大学じゅうが盛り上がっています。
Broncosのシンボルカラーは「オレンジと青」。
Student Unionの建物の中は、いたるところオレンジと青の風船やリボンで飾られています。
昼頃、Student Unionのほうに歩いていくと、なにやら賑わっています。
青いヘルメットの形の宣伝カーが、何か大声で宣伝しながら、キャンパス内を走っていくので、追っていくと、Student Unionの前の芝生に、おおぜいの人が集まっています。
そこには、ステージが設営され、さらに、ケータリングによって軽食が振る舞われています。
どうやら、ホームゲームの「前祝い」のイベントが行われるようです。
そうこうするうちに、マーチングバンドがStudent Unionの建物の中を行進し、芝生にやって来ました。
いよいよセレモニーの始まりです。
セレモニーの内容は、応援団やダンシングチームのパフォーマンス、マーチングバンドの演奏、BSUの女子バレーボールチームのメンバーによる応援、ぬいぐるみのマスコットキャラクターのダンスなど、とにかくどれも「派手」で、たいへんな盛り上がりです。
このあたり、お祭り好きのアメリカ人の「陽気さ」を思い知らされます。
最後は、マーチングバンドの演奏に合わせて「応援歌」を合唱。
集まった人たちみな、「Go, Orange! Go, Big Blue! Fight! Fight! BSU!」と、声をそろえて叫んでいました。
アメリカ人にとって、というか、アメリカの大学にとって、フットボールの試合というのは「お祭り」なんですね。
このイベントのようすは、翌日の新聞でも報じられていて、宙に舞い上がったチアガールの写真が、1面を飾っていました。
このごろ、急に寒くなってきました。
昼の気温が60度(約16度C)に達しない日が多くなり、朝方の気温は40度(約5度C)ぐらいまで下がります。
木々の葉も、赤や黄に色づき始めました。
土曜日恒例のサイクリングの帰り、Student Unionに立ち寄って、新聞を手に取ると、前に紹介した「RegioSprinterのデモンストレーション」(→日記97/10/05「ボイジーに鉄道復権の兆し?」参照)に関する続報が載っています。
金曜日にRegioSprinterの車両が搬入され、ボイジーとナンパの間で試運転が行われたということです。
デモンストレーションに備えて、今まで駅がなかった場所には仮設のプラットフォームが設けられ、隣町のメリディアンの駅では、デモンストレーションに合わせて、鉄道の歴史に関する展示会も行われるようです。
また、運転計画にも触れられていて、Union Pacificの線路はもともと貨物用のため、乗り心地はあまりよくないかもしれない、また、今のところ踏切に遮断機が設けられていないので、デモンストレーション中は踏切付近で減速を余儀なくされる、しかし、本格運転の際にはこれらの欠点は解消されるだろう、などと書かれています。
RegioSprinterという名前には、なんとなく聞き覚えがあると思っていたら、やはりドイツのSiemensというメーカーの車両につけられた愛称で、以前にドイツを鉄道で旅行したときに、どこかで聞いていたのでした。
ドイツ語読みだと「レギオシュプリンター」ですが、こちらでは、やはり英語風に「リージョスプリンター」と呼ばれるのでしょうか。
デモンストレーションの起点となるBoise Depotは、大学からそれほど遠くないようなので、自転車で行ってみることにしました。
depot(ディーポ)とは、フランス語由来の語で、「停車場」という意味。
地図を見た限りでは、「線路」は書かれているものの「駅」はどこにも見つからないので、ほんとうに「停車場」などあるのだろうか、と思いつつ、自転車のペダルを踏みました。

大学の南の小高い丘を登りきると、教会のような白い建物が現れました。
そこには確かに「DEPOT」と書かれています。
建物の中では、キルトの展示会が行われているようで、おおぜいの人がいます。
自転車に乗ったまま、建物の裏側にまわってみると... 確かにそこは「停車場」でした。
まっすぐな単線の線路に沿って、300メートルはある長大なプラットフォームが設けられています。
でも、ここに列車がやってくる気配は、少しもありません。
きっと、かつてはこの「停車場」が、ボイジーの人と物資の玄関口として、大いに賑わっていたのでしょう。
今となっては、「車社会」が浸透し、そんな往時の「停車場」の機能は失ってしまいました。
でも、近い将来、本格的にRegioSprinterがここからナンパへ向かって走り始め、往時とは違った形で「駅」としての機能を取り戻すことでしょう。
それにしても、これだけ長大なプラットフォームと、短編成のRegioSprinterの組み合わせは、さぞかし「不似合い」でしょうね。
何はともあれ、来週からのデモンストレーションが楽しみです。
今日は、夕方4時ごろにMarionの研究室を訪ね、ディスカッションをしました。
そこにTomekも入ってきて、私の考えている問題のひとつについて、3人で議論しました。
ディスカッションのあとは、明日からのアトランタ行きの話になりました。
研究集会の集合論セッションでは、Tomek、Marion、Andrzejの3人とも、講演者としてプログラムに組み込まれています。
でも、私はあとから急に参加することになったので、ただ人の話を聞いているだけ、と思っていたら、Tomekが急に次のようなことを言うのです。
「研究集会のプログラムに変更はつきもの。
オープニングトークが追加されるかもしれないし、キャンセルが出るかもしれない。
だから、君にその気があるのなら、講演できるチャンスがあるかもしれない。
チャンスさえあれば、講演するつもりはあるか?」
この話には驚きました。
アトランタに行くことを決めたのも、研究集会の2週間前を過ぎていて、かなり急な話だったというのに、こんどは2日前になって、「飛び入り講演」という話です。
でも、ほんとうにそれが可能なら、チャンスをみすみす逃すわけにはいきません。
すかさず「講演したい」と答えると、「それなら事務室でOHPフィルムをもらって、当日までに講演の準備をしておきなさい。」との返事。
あれよあれよという間に、話がどんどん大きくなってしまいました。
その話がすんだ後、さっそくMarionはコンピュータに向かい、集合論セッションの座長のGary Gruenhage氏に、「追加講演の希望者がいるから、当日配慮してほしい」
という内容のe-mailを出してくれました。
研究集会直前になって、降って湧いた「飛び入り講演」の話。
私にとっては、大きなチャンスであることには間違いありませんが、あまりに突然の話で、戸惑いを感じるのも事実です。
ともかく、「講演したい」と答えた以上、明後日までに講演内容を考えてOHPフィルムを書かなければなりません。
しかし、今夜は明日からの旅行のための荷造りをしなければならず、それに、明日の早朝の出発に備えて早く寝たいので、講演準備どころではありません。
そうなると、ブランクのOHPフィルムだけ持って行って、準備はホテルでするしかありません。
こんな状態で、ほんとうにまともな講演ができるのでしょうか...
アトランタへ出発する日がやって来ました。
早朝の飛行機で出発するので、今朝は早起き。
朝6時半に家を出て、中心街のバスシェルターからバスで空港に向かいました。
夏時間実施中なので、この時間はまだ真っ暗です。
空港に着き、チェックインを済ませて搭乗口へ。
ゲート前で搭乗開始を待つうちに、ようやく空が明るくなってきました。
Marionも同じ便でアトランタに向かうということで、出発直前にゲート前で顔を合わせました。
8時20分、デルタ航空628便でボイジーを出発。
まずはソルトレークシティまで、1時間弱のフライトです。
天気は快晴。
赤茶けたアイダホの大地が窓外に広がります。
機種はB727、定員200人ほどの小さな飛行機です。
揺れはほとんどなく、いたって快適な空の旅です。
右手眼下にグレートソルトレークが見えてくると、ソルトレークシティはすぐそこです。
9時20分頃、ソルトレークシティに到着。
Marionが同じ便に乗っていたのですが、席が離れていたこともあって、はぐれてしまいました。
ここで、アトランタ行きのデルタ航空454便に乗り継ぎます。
定刻より30分ほど遅れて、11時ごろに出発。
さっそく、アトランタの時間(アメリカ東部夏時間→アメリカのタイムゾーン)に合わせて、時計を2時間進めておきます。
こんどは大きい飛行機で、3時間半ほどのフライトです。
国土の広いアメリカだけあって、「国内線」といえども、これだけ長時間のフライトとなり、機内食まで出てきます。
メニューは、鶏の照焼きとピラフ。
ユナイテッド航空の国際線の機内食よりおいしかったです。
定刻より40分ほど遅れて、5時ごろにアトランタのハーツフィールド国際空港に到着。
長い空の旅でした。
(→航空交通)
空港から市街地へは、MARTA(Metropolitan Atlanta Rapid Transit Authority)と呼ばれる地下鉄で移動。
研究集会の会場であるGeorgia Tech(ジョージア工科大学)の最寄り駅、North Avenueで電車を降りました。
駅からGeorgia Techまでは、歩いて数分の距離。
予約してあったホテルは、ちょうどGeorgia Techの道路を隔てた向かい側で、絶好のロケーションです。
ホテルのチェックインを済ませて、部屋に落ち着くと、長旅の疲れが一気に噴き出しました。
なにしろ、家を出てからここに着くまでに、9時間以上かかったのですから。
とにかく、まずはシャワーを浴びて、疲れを癒します。
今夜は「講演準備」という大事な仕事が残っているので、のんびりとしてはいられません。
近くのKFC(ケンタッキーフライドチキン)で簡単に夕食を済ませ、机に向かってOHPフィルム書きにとりかかります。
こんなことなら、過去の講演で使ったOHPフィルムを日本から持ってきておけばよかったと、後悔しきりです。
研究集会が始まりました
翌17日はいよいよ研究集会の初日。
12時ごろにGeorgia Tech内の会場で、ボイジーから来たTomek、Marion、Andrzejの3人と顔を合わせました。
昨日、ソルトレークシティでMarionとはぐれた理由がわかりました。
Marionは私に会うなり、「昨日ソルトレークシティで何があったんだ?」と私に問うのです。
それで、よくよく話を聞いてみると、私がソルトレークシティで降りた飛行機というのは、実は、そのまま乗っていると、(同じ便名のまま)オクラホマシティとタルサを経由して、アトランタに到着したのです。
私は、ソルトレークシティで別の便に乗り継いで、アトランタに早く到着する行程だったのですが、Marionは最初の飛行機に乗り続けるフライトを予約していたわけです。
それなのに、お互いに「自分と同じ行程」だと早合点していたのです。
この4人に、集合論研究者のStephen Watson氏とAndreas Blass氏も加わって、6人で市街地のレストランに向かい、昼食をとりました。
会場に戻ると、集会参加者がたくさん集まっています。
集合論研究者に会うたびに、Marionが私を紹介してくれました。
今まで名前しか知らなかった多くの有名な研究者に、こうして顔を合わせられただけでも、私にとっては大きな収穫です。
今日の集合論セッションは、3時から6時半まで。
7人の講演者が20分ずつ講演しました。
私の講演の件は、Marionが座長のGary Gruenhage氏に頼んでくれたおかげで、最終日の最後の講演のあとに追加してもらえることになりました。
はるばるアトランタまで来た甲斐がありました。
Gary氏の計らいには大感謝!
セッション終了後は、Gary氏のとりまとめによる夕食会です。
会場は、郊外の中国人街にある中華料理店(四川料理)。
30人以上の集合論セッションのメンバーが参加し、3つの大円卓を囲んでの賑やかなディナーとなりました。
ベルリンの学会のときに行ったチャイニーズレストランの料理は、あまりおいしくありませんでしたが、こちらは質、量ともに大満足。
渡米以来初めて、中華料理を堪能しました。
記憶をたよりに、メニューを記しておきましょう。
- 前菜(カブの漬物、小魚の唐辛子炒め、モヤシの炒めもの)
- スープ
- 揚げ餃子と春巻
- エビの炒めもの(辛い味付けと淡泊な味付けの2種類)
- 細切り豚肉と豆腐の牡蠣油炒め
- 細切り鶏肉とネギの炒めもの
- 麻婆茄子
- 大きな鯛を丸ごと香草とともに煮たもの
- ご飯(長粒米)
- デザート(オレンジ)
セッションや夕食会を通じて、相変わらずの片言の英語ながら、多くの集合論研究者と話すことができました。
こうして人脈が広がっていくことは、私のこれからの研究活動に、大いに役立つに違いありません。
18日のセッションでは、午前に6人、午後に7人の講演がありました。
午前の講演の後は、10人ほどで近くのグリルで昼食。
その後、午後の講演までに少し時間があったので、私は皆と別れて、一人で近くのCentenial Olympic Park(100周年オリンピック公園)まで散歩しました。
午後の講演の後は、やはり10人ほどでピザスタンドで夕食。
数学者の集まりだけあって、食事の席でも、数学のディスカッションが始まることはよくあります。
それで、私も翌日に発表するつもりの、ある問題に対する私の予想について話したのですが、Tomekはしばらく考えて、「それは正しくない」と言うではありませんか。
言われてみればその通り、実にかんたんな理由で、私の予想が間違っていたことに気づきました。
さあ困った。
発表するつもりだったトピックを一つ失ってしまったので、講演の内容について、少し考え直さなければなりません。
そんなわけで、結局今夜もホテルで落ち着いている暇はありませんでした。
研究集会の講演は無事終了!
19日は研究集会の最終日、そして私の追加講演の日です。
今日のセッションは朝8時から、「夜明けとともに」始まります。
7時に目を覚ますと、まだ外は真っ暗。
あわただしく荷物をまとめ、ロビーで朝食をとり、チェックアウトを済ませて、会場に向かいました。
予定されていた6つの講演は、11時に終わりました。
次はいよいよ私の講演です。
飛行機の時間の関係などで帰ってしまう人もいましたが、多くの人が残ってくれています。
アメリカ人はジョークが好きで、あらたまった講演でも、最初にジョークを話してウケをとることはよくあります。
それで、私もウケを狙って、
Thank you very much for staying here.
I'm very glad to have a talk today.
I'll try to make my talk as short as possible so that you'll have enough time to have your lunch, o you won't be late for your flight.
(残っていてくださってありがとうございます。
今日は講演ができてとてもうれしいです。
私の講演は、皆さんがゆっくり昼食をとれるように、あるいは、飛行機に乗り遅れないように、できるだけ短くするつもりです。)
という話し始めのネタを用意していたのですが、結局、「as short as possible」まで言ったところでウケてしまったので、続きは言えませんでした。
それはさておき、4年前の松山、半年前のベルリンに続いて3回目の英語での講演となった今回の発表は、思いのほかうまくいきました。
ときどき、口が回らなくて「どもる」ことはあったものの、話したいことは概ねスムーズに話せたのではないかと思います。
もっとも、聞いていた人たちが、ちゃんと聞き取れたかどうかはわかりませんが。
ともかく、こうして講演は無事に終了。
時間も予定通りの20分弱で、バッチリです。
ようやく肩の荷が下りました。
3日間にわたった研究集会は、これでお開き。
お昼は、例によってセッションのメンバー20人ほどで昼食会です。
帰りのフライトは、再びデルタ航空でソルトレークシティ乗り継ぎ。
Tomek、Marionの2人と同じ行程で、さらに、ソルトレークシティまでは、カルガリーから来ているClaude Laflamme氏、Jinyuan Zhou氏とも同じ便です。
3時45分、アトランタ・ハーツフィールド国際空港を出発。
離陸後、水平飛行に入るとすぐにディナーが出てきました。
といっても、山地夏時間(→アメリカのタイムゾーン)ではまだ2時半ごろ。
いくらなんでも「夕食」には早すぎるので、今日は1日4食になりそうです。
ソルトレークシティまで、3時間半の長いフライトです。
ときどき窓の外に目をやると、どこまでも続く平原が広がっています。
アメリカ西部のボイジーから東部のアトランタまで、北アメリカ大陸をほぼ横断する形になった今回の「大旅行」。
アメリカの国土の広さをあらためて実感しました。
ソルトレークシティで別の便に乗り継いで、7時過ぎにボイジーに到着。
空港には、JoannaとKasiaがTomekを迎えに来ていました。
Tomekと同じ便で到着したおかげで、Joannaにアパートまで車で送ってもらうことができました。
こうして、アトランタ旅行は無事に終了しました。
すっかり疲れてしまいましたが、とても充実した、楽しい旅行でした。
先週までのあらすじ
私がボイジーに来て1週間ほどした頃、Marionの奥さんから、次のような話を聞きました。
「私の知り合いに、Asia何とかというグループの世話人がいる。
彼女は日本人の学生をたくさん知っているから、彼女に頼めば、あなたを日本人の学生たちに紹介してくれるだろう。
あなたが望むなら、私が彼女にあなたを紹介するけれど、どうか?」
この時は、私の英語力が乏しかったこともあって、いまひとつ詳しい事情が飲み込めなかったのですが、ともかく、日本人の学生に会えるチャンスがあるのだな、と納得して、「紹介してほしい」と頼んでおきました。
その後1ヶ月ほど、Marionの奥さんが多忙だったのか、その「世話人」の方が多忙だったのかのどちらかで、この件については、進展がありませんでした。
その間に、9月18日の日記でもふれたように、かなり多くの日本人学生がBSUで学んでいるらしい、ということに気づいてきました。
これだけ多くの日本人が同じ大学に集まっているというのは、きっと何かの形で「留学プログラム」のようなものに参加して来ているのだろうな、とは思いましたが、詳しいことはわからないままでした。
先週の火曜日、Marionが件の「世話人」の女性、Molly O'Sheaさんを連れてきて、私を紹介してくれました。
彼女は、「ぜひあなたを日本人の学生たちに紹介したい。
毎週金曜日の午後に、日本人学生が集まるミーティングを開いているから、いつでも来てみなさい。」と、ミーティングへの出席をすすめてくれました。
さらには、「木曜日の午後にはfield trip(見学旅行)も行っている。
これに来てくれても歓迎する。」とまで誘ってくれたのです。
とりあえず、その週の木〜金曜日はアトランタに行くことになっていたので、次の週の金曜日(24日)にはミーティングに出席する、と約束しました。
Mollyからもらった名刺には、「Director, Asia University America Program」と肩書きが記されています。
たぶん、このAsia University America Programというのが、その「日本人学生のグループ」のことなのだろうとは思いましたが、それがどのような趣旨のものなのかは、結局わからずじまいでした。
いざ、ミーティングへ
今日はそのミーティングの日。
いまひとつ勝手が分からないまま、Mollyに教えてもらったミーティングの会場に出向きました。
確かに、会場には多くの日本人学生が集まっていて、あちこちでたむろしています。
アシスタントとおぼしきアメリカ人と談笑している人たちもいます。
でも、会場を見渡しても、肝心のMollyがいません。
どうしてよいかわからないまま立っていると、ミーティングのコーディネーターのDan Ray氏が「新顔」の私に気づいて、話しかけてくれました。
彼に、「今日はMollyが私を皆に紹介してくれることになっている。」と話すと、「彼女は今日はここに来ない。
代わりに私があなたを紹介しよう。」と言ってくれました。
Mollyがいないということで、一時はどうなることかと思いましたが、これで安心しました。
ほどなく、彼が演台に立ち、ミーティングを始めました。
最初に、「今日はまず、皆さんに日本からBSUを訪れている研究員の方を紹介します」と、私を紹介してくれました。
続いて、私も英語で
「8月末から1年間の予定で、研究員としてBSUを訪問中です。
今日は多くの日本人の学生の方々に会えてうれしいです。
ボイジーには日本人の友人がいませんから。」
などと自己紹介しました。
そのあとは、会場内の大きなテレビモニタにWWWブラウザの画面を映し出して、マウスを操りながら、日曜日の午前2時でdaylight saving time(夏時間)が終わるから時計を1時間戻しなさい、とか、火曜日にハロウィンパーティがあるから仮装して来なさい、などと、近日中に行われるイベントについて説明していました。
次に、別のアシスタントの男性が演台に立ち、こんどは過去のfield tripの写真を披露してくれます。
URLを見ると、「〜.idbsu.edu/auap/〜」となっているので、なるほど、この学生グループの活動に関するページを見ているのだな、と納得しました。
さらに、彼は別のフロッピーディスクをコンピュータに入れたと思うと、こんどは、ヤクルトスワローズが日本シリーズで勝った、とか、安室奈美恵が結婚した(しかも、She is pregnant(妊娠している)!)、などと、日本の最近のニュースを、写真を画面に映し出しながら紹介していました。
1時間ほどでミーティングは終了。
最後に、日本語の新聞が配られました。
見ると、「広報アジア」と題された、亜細亜大学発行の新聞です。
多くの学生はそのまま帰っていきましたが、私に話しかけてくれる人もいました。
そのうち、2人の女子学生の話を聞いて、今までの疑問がすべて氷解しました。
ここに集まった人たちは、みな亜細亜大学の学生で、カリキュラムの一環として行われている留学プログラムの参加者だったのです。
Asia University America Program(AUAP)というのは、このプログラムの名称(亜細亜大学アメリカプログラム)
だったわけです。
学生の皆さんは、9月上旬にボイジーに来て、5ヶ月滞在した後、来年1月末に帰国するとのこと。
ボイジーに来たのは私と同じ頃、そして、滞在期間は私よりずいぶん短いわけです。
後で聞いたところによると、「ミーティング」と称していたこの集まりは、正しくは、「American experience」という授業なのだそうです。
また、Mollyがそこに来るものだと思っていたのも、私の勘違いでした。
そのあと、2番目に演台に立っていたアシスタントのDean Staackさんが、「どぞ、よろしくおねがいします」と日本語で話しかけてくれました。
数人の学生がDeanと何やら相談しているので、聞いてみると、どうやら今夜Deanの家で「食事会」をするようで、どんな料理を作ろうか、という相談です。
Deanが「あなたも来ますか?」と私にたずねてくれたので、これは学生さんたちと仲良くなるチャンスだと思い、「Oh, can I join you? Thank you!」と答え、仲間入りしました。
メニューは、相談の結果「鍋」に決まりました。
学生さんたちの「鍋会」に参加
午後5時に、Dean、学生の一人、それに私の3人で買い出しに出かけました。
鍋の材料なんて手に入るんだろうか、と思いつつ、郊外のオリエンタルフードショップと、市街地のスーパーマーケットをまわったのですが、意外にこちらでもいろいろな食材が手に入るもので、粉末だし、醤油、鶏肉、白菜、大根、ねぎ、えのき、しいたけ、うどん... など、鍋をつくるのに十分な材料があっさり揃いました。
午後7時、学生寮の前であと4人の学生が加わり、7人でDeanの家に向かいました。
Deanの家の中を案内してもらったあと、台所で料理にとりかかります。
肝心の「鍋」ですが、Deanが貸してくれた鍋は、鍋は鍋でも大きくて深いずん胴のポット。
しかも、テーブルクッキングができないので、鍋というより「ごった煮」という感じです。
鍋の用意と同時に、炊飯器でご飯を炊いて、味噌汁(豆腐とわかめ)も作ります。
Deanはその間に、デザートのパンプキンケーキを作っています。
それにしても、Dean以外はみな日本人、当然お互い日本語で話していますし、おまけに、作っている料理も料理。
アメリカにいることを忘れてしまいそうです。
鍋が出来上がったところで、テーブルに運び、「いただきます!」。
鍋には、買ってきた材料のほかに、学生の一人が持ってきた「お餅」が入っていますし、テーブルには、別の学生が持ってきた「ふりかけ」まで出されています。
学生さんたちも私も、やっぱり日本人。
「日本の味」はおいしいです。
おなかいっぱい食べたあとは、Deanの「英会話講座」やら、過去のAUAPの記録ビデオの鑑賞会やらで、夜遅くまでDeanの家で過ごしました。
Deanの手作りのパンプキンケーキは、とてもおいしかったです。
ボイジーに来て以来初めて、日本人と日本語で話せて、しかも日本食まで食べることができて、とても楽しかったです。
それと同時に、AUAPのさまざまな活動や、AUAPの学生の皆さんの生活にも、大いに興味を持ちました。
立場や目的は違っても、同じ時期に日本からBSUを訪れたということで、AUAPの学生の皆さんとは、何かの「縁」を感じます。
(年齢はそれほど離れていないと、私は思っていますし...)
今回のミーティング参加、そして「鍋会」をきっかけに、これからも何らかの形で、AUAPの学生やスタッフの方々との接点を見つけられたらいいな、と思いました。
10月5日と
10月11日の日記で紹介した、the RegioSprinter(リージオ・スプリンター)の試乗に行ってきました。
(写真: The RegioSprinterデモンストレーションのパンフレット表紙)
12時ごろ、試運転の起点のBoise Depotに自転車で行ってみました。
Depotの建物の中には、鉄道模型や、鉄道の歴史に関する写真パネルが展示されています。
プラットフォームのスタッフに話を聞くと、次の発車は1時30分ということで、次の列車の空席待ち整理券を受け取りました。
いったん大学のオフィスに立ち寄り、1時ごろに再びDepotへ。
こんどは、予約券を持っている人も、空席待ち乗車の人もたくさん集まっています。
1時10分頃、列車がやって来ました。
3両編成の小さなディーゼル列車です。
終点のナンパから乗ってきた人たちが降りた後、まず予約券を持っている人、次に空席待ちの人が次々に乗車します。
車内は立ち客が通路を埋める盛況ぶり。
特に、子供連れの家族客が多く見られます。
1時30分、列車はBoise Depotを出発。
ボイジーの市街地には踏切が多くあるので、列車は警笛を鳴らしながらゆっくり走ります。
遮断機のない踏切には、踏切番が立っていて、「STOP」の標識板を掲げて車を抑止しています。
10分ほどで、タウンスクエアモールの駅に到着。
ボイジー最大のショッピングセンターの中ほどです。
モールの駅を出ると、列車は市街地を離れ、広々とした畑や牧場の中を走ります。
踏切の間隔が長くなり、列車の速度も速くなります。
列車の窓はとても大きいので、雄大な景色を存分に楽しめます。
途中、隣町のメリディアンの駅に停車し、Depotから40分ほどで、終点のナンパ・アイダホセンターの駅に到着しました。
ここは市街地から大きく離れたところで、近くに「アイダホセンター」という施設が建っていますが、それ以外にはなにもないところです。
列車は20分ほどで折り返すのですが、この列車は予約券を持っている人と、到着前から空席待ちをしていた人、それにさっきの列車から降りてすぐ折り返す人の一部を乗せただけで、満員になってしまいました。
その次の発車は2時間後で、その列車に対する整理券が渡されました。
駅とナンパの市街地との間には、列車の時刻に合わせて、無料のシャトルバスが運転されているので、それに乗ってナンパの市街地へ行って、1時間ほど町を散歩しました。
ナンパはボイジーよりずっと小さな、静かな田舎町でした。
再びシャトルバスで駅に戻り、満員の列車に乗ってボイジーへ。
Depotへ戻ってくると、もう5時過ぎ。楽しい「鉄道散歩」でした。
車内では、試乗記念の乗車券と、さらに子供向けにthe RegioSprinterのペーパークラフトが配られました。
メリディアンの駅に着いたときには、町の歴史を記したリーフレットも配られました。
2週間にわたるデモンストレーションの運営にあたっていた人たちは、すべて自治体の担当者とボランティア。
「列車を走らせよう」という人たちの意気込みが感じられました。
タイトルの意味はもうおわかりですよね。
daylight saving time(夏時間)(以下、DSTと略記します)が終了したのです。
今日の午前2時をもって、アメリカじゅうの時計が1時間逆戻り。
アメリカにいる人はみな、旅行もしないのに「時差」を経験するわけです。
ついでに言うと、今朝はいつもより1時間余計に寝ることができます。
私は、昨夜寝る前に、ちゃんと目覚し時計と懐中時計を1時間戻しておきました。
日本ではDSTが実施されていないので、今日から日本との時差も1時間変わります。
(→アメリカのタイムゾーン)
日本との国際電話での連絡に関わるので、家族にはあらかじめその旨をFAXで伝えておいたのですが、それにもかかわらず、今日の早朝(6時半/日本時間では同日午後10時半)に、さっそくFAXの「朝がけ」を受けてしまいました。
たぶん、1時間ずれる「方向」を勘違いしたのでしょう。
すかさず「DST終了後の時差表」を作成して返信しました。
FAXを返信してから、FAX電話の時刻設定がDSTのままになっていることに気づきました。
「時計」というのは、気づかないところにもあるものなのですね。
さっそくマニュアルを見ながら調整しました。
パソコンの内蔵時計は、Windows95の設定で、「自動的に夏時間の調整をする」のチェックボックスをオンにしてあったので、今日最初に起動したときに、調整された旨のメッセージが表示され、切り替わりました。
制度上は「午前2時にDST終了」といっても、現実的には、国じゅうの時計が一夜にして切り替わるわけではなく、町のあちこちにある時計を見ると、まだDSTを指しているものが少なくありません。
モールの近くでは、車で買い物に来た人に、「間違って開店時刻より早く来てしまったようだ。今の時刻を教えてほしい。」と尋ねられました。
アメリカ人でさえ、切り替えを忘れることがあるのですね。
DSTの切り替え日は、春、秋とも日曜日に決まっているので、実際には「日曜日一日かかって調整される」ということなのでしょう。
午後に郊外の大型店に買い物に行った後、大学のオフィスで、しばらくパソコンを使った作業をしていました。
作業を終えて帰ろうとして、ふと時計を見ると6時少し前。
なんだ、まだ6時か、と思った次の瞬間、
「ちょっと待て! DST終了後の6時といったら...」
オフィスには窓がないので、あわてて廊下に出て窓の外を見ると、もう日が暮れかかっています。
そうです。昨日までは日没は午後7時ごろで、夕方6時はまだまだ明るかったのですが、今日から急に、日が落ちるのが1時間早まるのです。
つまり、「お日さま節約時間」(daylight saving timeの直訳!)から、「お日さま恋しい時間」に変わるわけです。
そのかわり、当然、夜明けも1時間早まり、昨日まで午前8時ごろだった日の出が、午前7時ごろになります。
理屈では分かっていても、やはりこの1時間の「時差」に、最初は違和感を覚えます。
これも「時差ぼけ」の一種でしょうか。
次にDSTが始まるのは、来年4月5日の日曜日。
こんどは逆に、1時間の「スキップ」を経験します。
最初は、26日日曜日。
夕方6時ごろに、大学の図書館に立ち寄って新聞に目を通すと、「生活」の冊子の1面左端のコラムに、「BSU Choral Concert」という合唱の演奏会の情報を見つけました。
7時半から、Student Unionに隣接するSpecial Events Centerにて。
学生時代に合唱活動をしていた私としては、これを見逃すわけにはいきません。
少し早めにSpecial Events Centerに行ってみると、すでに開場していて、お客の入りは上々です。
プログラムは4ステージ構成で、Women's Chorale(女声)、Men's Chorus(男声)、Meistersinges(混声)、University Singers(混声)の4つの合唱団が、それぞれ1ステージずつ演奏を披露します。
4団体とも、(たぶん)BSUの音楽科で組織している合唱団です。
どのステージもなかなかの演奏でしたが、とりわけ聞きごたえがあったのは、第3ステージ、Meistersingersの演奏による、ブラームスのレクイエムの1曲、「How Lovely Your Dwellings Are」です。
とにかく声が美しい、音楽表現もすばらしい、心地よい感動を覚えた演奏でした。
第4ステージの最後には、ポピュラーな曲を持ってきて、アンコールはなし。
休憩なしで1時間半ほどの、短いコンサートでしたが、久しぶりに合唱音楽に浸ることができ、満足するとともに、私も早く合唱の世界に戻りたい、と思いました。
次は28日火曜日、大学内のMorrison Centerで行われた「High School Fall Choral Concert」。
こんども合唱の演奏会です。
Morrison Centerのホールはとても大きいのですが、客席はほぼ満員の大盛況です。
参加団体は、ボイジーの3つのハイスクールからの9つの団体。
どの団体もかなりの大人数です。
第1部は、各団体単独、それに2〜3団体の合同で、1曲ずつ演奏。
曲目は、スペイン民謡あり、黒人霊歌あり、アフリカ民謡あり、フォスターありと、バラエティに富んでいました。
そして第2部は、4合唱団と室内オーケストラ合同による、シューベルトのミサ第2番。
ソリストも各団体から選ばれた団員が受け持ちます。
最後は、全団体合同によるClosing。
全員はステージに乗りきれず、あぶれた人たちは客席横に並んでの「大合唱」です。
この演奏会で目を引いたのは、合唱団員のステージ衣装。
日本ではあまり見かけない、聖歌隊のような装束の団体が多かったです。
3つめは、今夜Special Events Centerで行われた「Vocal Jazz Concert」。
こんどは、コーラスはコーラスでも「ジャズ」ということで、だいぶ趣が異なります。
これも、日曜日のChoral Concertと同じく、BSUの音楽科によるコンサートです。
オープニングは、パーカッションアンサンブルによる「剣の舞」。
ハロウィンとあって、メンバーはみな「仮装」で、お客を楽しませてくれました。
そのあと、BSUのVocal Jazz Ensemble I,IIの2グループと、ゲストのAlbertson College Vocal Jazz Ensembleによる演奏。
ほとんどの曲は、ジャズバンドの伴奏付きでしたが、BSUのEnsemble Iによるステージでは、1曲目はアカペラのジャズコーラス、そして2曲目は、マイクを置いて肉声での「コーラス」を披露してくれました。
これがまた美しいハーモニーで、「聴きに来てよかった」と感じました。
最後は、3グループ合同で、20人ほどのコーラスによる演奏。
コーラスのメンバー全員の「ソロ回し」までありました。
アンコールもなく、1時間強の短いコンサートでしたが、十分楽しめました。
このあと、8日土曜日には、Special Events Centerで、Student Union and Activities主催の
「American Brass Quintet」のコンサートがあり、これはすでにチケットを買ってあります。
その翌日の9日日曜日には、26日のコンサートで聴き惚れた「Meistersingers」が出演する、ブラームスのレクイエムのコンサートがMorrison Centerであり、これまた興味をそそります。
どうやら、もうしばらく、「コンサート三昧」の日々が続きそうです。
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