
衣懸塚(鏡塚) 『文化山陵図』
衣懸塚
旧大宮通北大路下ル三筋目を西に入った北側の民家の路地の奥に、瓦礫が積み上げられた小さな塚があります。「衣懸塚」と呼ばれる塚です。鏡塚ともいわれていました。
この塚は、江戸時代、文化年間に行われた山陵調査の際、後朱雀天皇・堀河天皇・二条天皇各陵のいずれかひとつの候補とされました。山陵調査の記録である『文化山陵図』を見ると、塚は小さいながらも盛り上がった墳丘を持ち、周囲には水をたたえた溝がまわっていたことがわかります。その後、この塚はいずれの山陵からもはずされ、忘れ去られてしまいます。
しかし、上の写真のような現状であっても、現在まで残っているのは奇跡に近い気がします。船岡山の東麓、蓮台野葬地の貴重な遺構かもしれません。
※衣懸塚のそばには、常盤御前が用いた井水と伝える「常盤井」があります。
【アクセス】北区紫野南築山町 市バス大徳寺前下車
【参考文献】
山田邦和「天皇陵への招待」(『図説天皇陵』別冊歴史読本52 新人物往来社 2003)
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