■ 奨学院の石碑
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奨学院の石碑

京都の町を何気なしに歩いていたら、ふっと意外なモノにぶつかることがあります。
今回の『奨学院址』の石碑もそのひとつです。

千本通りと三条通りの交差点。
団長と探偵犬マックとランの2人と1匹で、三条通りを西向きに車で走っていました。ちょっど千本通りの交差点で停止しました。

団長>あれ、何? 石碑みたい。あんあとこにあったかいなあ?

ラン>え? どこ? 見覚えないよ。建物があったんちゃう? 空地やったかなあ?

団長>車止めるから見てきてよ。

マック>ワンワン、ワンワン(お母ちゃん ボクも連れてって)

ランと探偵犬マック、車から降りて探偵しに行く。

ラン>これより西北奨学院って書いてあった。横には大正六年三月建立 京都。反対には昭和三年 京都史蹟会引までやね。石碑は途中で切れているみたい。

団長>奨学院の石碑???そんなんあったやろか。忽然と現れてへんかあ。

ラン>うん。この道、何百回も通っているけど、気がつけへんかったわ。奨学院って平安時代の学校やねえ。

団長>そのとおり。在原行平が藤原氏の勧学院にならってつくったものや。それにしても今まで気がつかへんというのはやっはりおかしい。帰ったら竹村さんの一覧表を見てみよう。ひょっとして京都歴史案内に載ってるかなあ。

マック>クンクン、クンクン(早くお家に帰って調べようよう)

家に帰って調べたところ意外なことがわかりました。
まず平安京探偵団が一押しの京都のガイドブック『京都歴史案内』(矢野寛一著 講談社昭和49年 現在絶版)を見ると「朱雀大路の東、三条大路の北一町がその地だ。千本三条東北角に石標があったが、今はみあたらぬ」とありました。
また戦前の京都市教育委員会が設置した石標を中心に網羅した竹村俊則さんの「京都史跡石標一覧表」(『京の史跡めぐり』竹村俊則著 京都新聞社)を見ると、やはり現在不明となっています。
どういう経緯で行方不明になっていたのか、なぜ突然に現れたのか、改めて探偵しに行きたいと思っています。
どなたかご存じの方がいらっしゃいましたら、教えてください。

【アクセス】千本通と三条通の交差点の東北角。パチンコ店の駐車場。

追記
この石碑には後日談があります。
2001年の9月、友人の小池笑芭さんから電話がありました。たまたま京都に用事で来ていた笑芭さんが、奨学院の石碑を見ようと立ち寄った所、パチンコ店が改装工事中で、石碑が動かされるとの緊急連絡です。連絡を受け団長が駆けつけました。工事関係者の方に話を聞くと、場所は少し移動するするが、石碑は残すとのこと。ひとまず安心しました。その後、どうなったかと訪ねて、びっくりしました。たしかに石碑は残りました。しかし石碑の正面は壁を向き、駐車場の柱と柱の間にはさまれ、いったい何ために建っているのか分からない状態(下写真)。世にもかわいそうな石碑となってしまいました。

現在の奨学院石碑



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