■ 藤原氏の墓所を訪ねて |
宇治陵 京都の南郊、宇治の木幡の地には、代々藤原氏摂関家の墓地が営まれていました。 しかし平安時代の陵墓として治定されている「宇治陵」は、すべてがその時代のものではありません。陵墓であるために内部へ立ち入るわけにはいきませんが、柵越しにのぞくと、直径10〜20メートル・高さ1〜3メート ルの大きな盛り土と、直径1メートル前後・高さ0,5メートル程度の小さな盛り土があることがわかります。大きい方の盛り土は平安時代の墳墓ではなく、古墳時代の古墳で、小さい方の盛り土が、平安時代の墳墓であるということです。つまり「宇治陵」と総称しているものは実は、古墳群と平安時代墳墓群というふたつの要素からなる複合遺跡なのです。 浄妙寺跡 藤原道長は、寛弘2年(1005)木幡に浄妙寺を建立し、一族の菩提を弔いました。浄妙寺は室町時代には廃絶し、その位置はわからなくなっていましたが、昭和42年木幡小学校建設にともなう発掘調査により、三昧堂跡と推定されました。 |
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