■和泉式部に会いたい |
和泉式部和泉式部は、越前守大江雅致の娘で、平安時代中期を代表する歌人です。生没年は不明です。はじめ和泉守橘道貞と結婚し、夫の官名により和泉式部と呼ばれました。その後、道貞と別れ、冷泉天皇の皇子為尊親王、敦道親王と恋愛し、そのときの情熱的な恋愛体験を物語ったのが『和泉式部集』『和泉式部日記』などです。両親王が亡くなった後、藤原道長の娘、一条天皇中宮彰子に仕えました。その中で藤原道長の家司である藤原保昌と再婚しました。晩年についてはわかっていません。 和泉式部と貴船
京都の北、貴船神社は、夫婦の仲を守る神、縁切りの神ともいわれていました。和泉式部も夫・藤原保昌との仲を修復するために参詣し、貴船川の蛍をを見て和歌を詠みました。貴船神社への参道には蛍岩と、歌碑があります。 和泉式部と東北院
謡曲『東北院』は、旅の僧が東北院をたずね、梅の精から和泉式部の軒端の梅の由来を聞き、式部のために読経するという話しです。 和泉式部の墓 和泉式部寺という通称で呼ばれている誠心院(じょうしんいん)は、東北院の中に藤原道長が和泉式部のめに小御堂を与えたのがはじまりであるという伝承を持っています。同寺には、道長像、和泉式部像、和泉式部絵巻などの寺宝を有しています。また境内には和式部の墓と伝える宝篋印塔があります(写真左)。 |
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