■淳和天皇の離宮跡〜雲林院跡の発掘
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雲林院跡現地説明会
 雲林院跡現地説明会

 平安時代初期の淳和天皇の離宮、「雲林院(紫野院)」と見られる池や建物の遺構が見つかりました。場所は、京都市北区紫野雲林院町で、早くからこの地に雲林院関連の遺構が埋もれている可能性が指摘されていました。今回の発掘調査は、マンション建設にともなう事前調査で、京都府京都文化博物館によって調査がなされています。
 9月15日の現地説明会には、多くの考古学ファンが訪れました。

雲林院

 雲林院は、9世紀前半、淳和天皇(在位823〜833)が紫野に造営した離宮です。はじめは「紫野院」と称し、832年「雲林亭」と改称されました。その後仁明天皇の皇子常康親王に伝領され、雲林院と呼ばれるようになりました。
 869年、親王は出家し、雲林院を僧遍照に寄せ、寺院としました。平安時代の雲林院は、菩提講が有名で、歴史物語『大鏡』は、この菩提講で落ち合った老人の昔語りとして展開します。
 しかし鎌倉時代には雲林院の寺運は衰退し、室町時代には大徳寺の子院になってしまい、ついに応仁・文明の大乱で焼失してしまいます。現在大宮通に面して所在する雲林院は、寺名を継いで大徳寺の塔頭として江戸時代に再興されたものです(写真右)。

白磁碗  雲林院

 今回の発掘調査は、マンション建設に伴う事前調査として実施されました。9世紀代を中心とする、苑地跡、掘建柱建物、井戸、土器溜まりなどの遺構が検出されました。
 なかでも掘建柱建物は東西約8・4メートル、南北約6・5メートルあり、一部は池の水面に張り出す形であることから、「釣台」ではないかといわれています(『類聚国史』の中には「紫野院の釣台へ行き、遊魚を鑑賞する」「釣台で随従の文人に命じて漢詩を読ませる」といった記事がでてきます)。
 出土遺物の中で際だっていたのは、ケイ窯の白磁です(写真左)。平安時代初期においては希少な高級磁器で、平安京内でも出土例は少ないです。



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