平安京探偵団へ戻る 安倍晴明邸宅跡周辺マップ  (C)平安京探偵団  

安倍晴明邸宅跡周辺マップ

【安倍晴明邸宅跡・左京北辺三坊二町】
 晴明の邸宅を推定できる信頼できる史料は『今昔物語集』『大鏡』の2点あります。『今昔物語集』巻24には「晴明の家は、土御門大路(現在の上長者町通)からは北、西洞院大路(現在の西洞院通)から東にあった」とあり、『大鏡』巻1には「晴明の家は、土御門大路と町口小路(現在の新町通)の交差するあたり」としています。これにしたがうと、晴明の邸宅は現在の上京区上長者町通西洞院東入ル(新町通西入ル)北側の土御門町の付近だということになります。
 これまでは安倍晴明の邸宅址は、左京北辺三坊二町だということしかわかりませんでした。それが山下克明氏の研究により、同町の西南角の6戸主(東西60メートル 南北45メートル)だったことが論証されました。
 藤原兼家の正妻・藤原時姫も同じ左京北辺三坊二町に居住しています。

【一条戻り橋】
 橋というのは、ムラ境・峠・辻などと同様に、境界の象徴です。戻橋は、平安京の北端・一条大路を南北に流れる堀川にかかる橋ですし、平安京に入ってくる疫神をさえぎる、特別な祭祀空間でした。死んだ三善清行が子の浄蔵の祈りによって蘇生した話、渡辺綱が美女に化けた鬼に会う話など、数多くの不思議な伝説があります。安倍晴明はこの橋の下に式神を隠し、用のあるときに呼び出していたそうです(『源平盛衰記』巻10)。橋の下に降りてみると、暗渠から吹いてくるひんやりした風のせいか、いまにも式神が現れるんじゃなかと、ドキッとします。

【左京北辺二坊五町】
 平安時代中期、藤原倫寧(ふじわらともやす)の邸宅となり、その娘がその邸宅を伝領しました。倫寧の娘とはすなわち、『蜻蛉日記』の作者として有名な藤原道綱の母のことです。道綱はこの邸宅で育ったということになります。彼女は後に左京北辺三坊一町の邸宅に移り、それにともなって二坊五町の屋敷は父の従兄弟で武将として名高い源頼光に譲ります。さらに彼女の子の道綱は頼光の婿となったため、この邸宅に再度道綱が居住することになります。

【左京北辺三坊一町】
 康保4年(967)、藤原道綱の母は、左京北辺二坊五町の父の邸宅から、夫・藤原兼家が用意した一条の新邸に移りました。この一条新邸は左京北辺三坊一町の北半分を占めていたと考察されています。道綱の母はこの邸宅で夫を待ち続けたが、その期待がしばしば裏切られたことは『蜻蛉日記』からよく知られるところです。

※参考 一町=約119メートル 一条大路(10丈)=約30メートル