■ 厳島への旅
▲home 

生まれて初めての一人旅は厳島神社でした。
小学生のころからあこがれていた安芸の宮島、厳島神社。
海に浮かぶ大鳥居にむかい『平家物語』を原文で朗読したり、鹿と遊んだり、ゆっくりと時間を過ごしました。朱塗りの廻廊を歩くとき、NHK大河ドラマ『新・平家物語』の、清盛が平家一門をひきつれて同じ廻廊を歩くシーンが、頭の中をリフレインしました。

厳島神社


社殿から舞台と大鳥居を見る(定番のアングル)

 厳島神社(広島県佐伯郡宮島町)は、日本三景の一つ「安芸の宮島」として知られています。社伝によると、593年に創設され、1168年に現在の姿に改められました。古くは「伊都伎嶋神社」と記し、また「厳島大明神」とも称されました。祭神は市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命の三女神で、古くから海上交通の守護神として信仰を集めてきました。何よりもすばらしいのは、平安時代の建築様式を伝える社殿です。 朱塗り、檜皮葺の寝殿造風の建築で、 満潮時には廻廊をめぐらした社殿が海に浮かんだように見えます。たびたびの火災に遭い、現在の本社本殿は1517年、客神社は1241年に再建されたものです。 海上にそびえ立つ大鳥居は自然木のクスノキです。現在のものは8代目で明治8年に建立されたものです。干潮時にはそばまで歩いて行くことができます。1996年、厳島神社は、背後にそびえる弥山とともに世界文化遺産に登録されました。

回廊から大鳥居を見る
回廊から大鳥居を見る
回廊と鹿と五重塔
回廊と鹿と五重塔

 清盛と厳島神社との関係は、久安2(1146)年、清盛が安芸守に任じられたときからはじまります。清盛は日宋貿易に力をそそぎ、九州・瀬戸内と京を結ぶ瀬戸内航路の整備につとめました。日宋貿易と瀬戸内海航路の基点として、大輪田泊の修復、経ヶ島(兵庫津)の築造を手がけました。厳島神社の神主・佐伯景弘の働きかけもあり、海上交通を守護するこの神社を深く信仰しました。
 厳島神社には平家一門によって奉納された数々の奉納品が残されています。その中でも国宝「平家納経」全33巻は、平安時代の技術の粋を尽くした豪華な装飾経で、平家一門の厳島神社への信仰の深さを知ることができます。

康頼灯籠 卒塔婆石



康頼灯籠  
康頼灯籠               卒塔婆石 左:干潮時 右:満潮時

 『平家物語』に「卒塔婆流」という話があります。鹿谷事件で鬼界島に流された平康頼が、故郷恋しさに、千本の卒塔婆に和歌を書いて海に流します。そのうちの1本が厳島に流れ着き、都に伝えられて後白河法皇や重盛をはじめ、清盛をも感動させたという内容です。
 厳島神社の社殿の裏には、康頼の卒塔婆が流れ着いたという伝説を持つ「卒塔婆石」があります。上の写真のように、満潮時には見えなくなってしまいますが、干潮時にはその姿を現します。中央の写真の右寄りの大きめの石がそうです。左の写真の「康頼灯籠」は、許されて帰京した康頼が神霊に感謝して奉納したと伝えられています。厳島神社の中でもっとも時代の古い灯籠ということです。
 「卒塔婆石」は、厳島神社背後の霊山、弥山に対する影向石であるとする考えもあります(牛尾三千夫「信仰」『宮島緊急民俗調査報告書』)。

三翁神社 清盛神社

三翁神社と清盛神社
左:三翁神社 右:清盛神社

 厳島神社の社務所の北隣に、摂社・三翁神社があります。三翁神社は近世までは「山王社」と呼ばれており、清盛が近江より山王権現を勧請したと伝えています。
 三翁神社の祭神は、立札によると中央に祀られているのが「大綿津見神 安徳天皇 佐伯鞍職 二位尼 所翁 岩木翁」としています。他にも右殿に2神、左殿に3神祀られています。厳島神社社務所が出している小冊子『伊都岐島』をみると、「維新後島内にあった末社をつぎつぎと、この三翁神社に合祀したので、現在は御祭神が甚だ増加している」とあります。明治時代の名所案内(『厳島名所しるべ』)によると安徳天皇、二位尼は「水天宮」に祀られており、三翁神社の祭神には入っていません。したがってこのふたりは、『伊都岐島』にいうように、後世に合祀されたことになります。

 安徳天皇と二位尼が厳島に祀られているのは、ちょっと奇妙に思えます。それを考えながら歩いていると、二位尼にまつわる伝説に出会いました。宮島桟橋から厳島神社へ向かう途中、浜沿いの「有の浦」(別名を「二位尼洲」と呼ばれていました)という場所には、壇ノ浦で身を投げた二位尼の屍が漂着したという伝承があります。土地の人々は、二位尼のために阿弥陀堂を建て、二位尼の木像と位牌を祀りました。二位尼の木像と位牌は、現在は光明院に祀られているそうですが、訪ねることができませんでした。また、もともと安徳天皇と二位尼が祀られていたという「水天宮」も、現在はどこにあったのか調べることができませんできませんでした。

 厳島神社の西の松原の先端に、清盛神社があります。1954年に清盛を祭神として創建されました。三翁神社から分祀されたものです。

 この他にも、厳島には、平家物語と関わる史跡があります。たとえば、経尾山の山上の清盛が建立したと伝えられる石塔もそのひとつです。しかし、一人旅では山登りをする勇気も無く、訪ねることができませんでした。いつかまた再訪しなければなりません。

【参考文献】
厳島神社社務所『伊都岐島』(1995)
冨倉徳次郎『平家物語全注釈』(角川書店) 
『広島県の地名』(平凡社)
広島県教育委員会『宮島緊急民俗調査報告書』(1972)
野坂元良編『厳島信仰事典』(戎光祥出版株式会社 2002)
及川大渓『芸備の伝承』(国書刊行会 1973)
松岡久人『安芸厳島神社』(法蔵館 1986)


▼平家物語歴史紀行index
(C)平安京探偵団