■ 馬町十三重塔
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馬町十三重塔
馬町十三重塔

 京都国立博物館の前庭には「馬町十三重塔」と呼ばれる二基の石塔が移築されています。もとは京都から山科へ通じる渋谷通(渋谷越)沿いの露地の奥に建っていました。
 昭和15(1940)解体修理が行われ、くずれていた上部が復元されました。その際、塔の内部から金銅仏をはじめ多数の納入物が見つかりました。北塔は無銘ですが、南塔の基礎には、「永仁三年(1295)二月廿日之立 願主法西」の銘文が刻まれています。
 ではこの塔は何の目的のために建てられたのでしょうか。高橋慎一朗氏は、「渋谷越の脇、六波羅からの出口に建立されていたことを重視すれば、東国への道中の安全を願う供養塔であった」(「洛中と六波羅」『中世の都市と武士』吉川弘文館 1996)という説をとっています。また山田邦和氏は、「この馬町十三重石塔は、少なくともその性格のひとつの側面として、鳥部野の総祭祀施設としての役割をもっていた」(「京都の都市空間と墓地」『日本史研究』409 1996)として鳥部野葬地の総供養塔として建立されたという説をとっています。いずれにせよ約6メートルもある巨大な2基の塔が街道沿いにそびえ立つ姿は、目をみはるものであったのではないかと思います。

馬町十三重塔旧所在地

 「馬町十三重塔」は、江戸時代、源義経の家臣佐藤継信・忠信兄弟の墓と伝えられていました。旧所在地には、「佐藤継信忠信之墓」という石碑が残されています。(写真左)。この石碑の前の土盛りに十三重塔が建っていました。佐藤継信・忠信兄弟は、謡曲や歌舞伎に取り上げられ、武士の鑑としてたいへん人気がありました。その人気が、伝説を生む土壌になったのではないでしょうか。

【アクセス】
京都国立博物館へは市バス博物館・三十三間堂前、東山七条下車、京阪電車七条駅下車東へ
旧所在地へは市バス馬町下車

【参考文献】川勝政太郎『京都の石造美術』(木耳社 1972)



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