■ 藤原頼長の桜塚 |
京都の町を歩いていると、偶然の出会いというのがよくあります。こんな由緒があるんだとか、石碑を見つけたとか・・・先日も足利義政の墓におまいりするため相国寺(上京区)の墓地を訪ねた際、ふっと横を見ると藤原頼長の桜塚の碑と石塔に出会いました。桜塚の石塔が相国寺の墓地へ移されているのは知っていましたが、義政の墓と隣接しているとは思いませんでした。 藤原頼長の桜塚桜塚とは、保元の乱で敗れた左大臣(悪左府)藤原頼長の墓あるいは首塚と伝えられる塚です。もともと左京区の熊野神社の西南、東竹屋町東部の地にありました。明治40年(1907)絹糸紡績会社の工場増築にともない、塚は壊され石塔が相国寺に移されました。塚の上には桜の木が植えられていたことから桜塚といったといいます。また左府塚がなまったという説もあります。 熊野神社より西の地は白河法皇が造営した御所・白河北殿(左写真)の跡で、保元の乱には崇徳院側の本拠地となった場所です。この地にあった塚が、頼長の墓そのものである可能性は無いとは思いますが、保元の乱で敗れて敗走の途中亡くなった頼長のなんらかの記念碑であったのではないでしょうか。 【アクセス】 |
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