■待賢門院璋子をたずねて
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法金剛院庭園

 先日、法金剛院と待賢門院璋子の御陵をたずねました。法金剛院では桜花が盛りを過ぎ、花びらが園池に浮かび、青女の滝の水は枯れていましたが花びらがまるで滝の水のようで、目を楽しませてくれました。

待賢門院璋子(1101〜1145)

 鳥羽天皇の中宮。崇徳天皇・後白河天皇の母。
 御園女御の猶子となりましたが、のち白河法皇の猶子となり、院御所で育てられました。白河法皇に寵愛されますが、法皇の孫の鳥羽天皇の後宮に入り、皇后の宣旨を受けます。入内以降も白河法皇との関係は続き、第1皇子(崇徳天皇)は法皇の子であり、鳥羽天皇は「叔父子」と呼んで冷遇し、それが保元の乱の遠因ともなりました。

法金剛院

 右京区花園扇野町にある法金剛院は、平安時代前期の学者・文人として知られる清原夏野の山荘があったところに、待賢門院璋子が建立したものです。今では寺域が狭くなりましたが、下の地図の赤い線に囲んだ範囲におよぶ広大なものでした。
 境内にある「青女の滝」は、1970年に埋没していた滝の石組みを掘り起こし復元されたものです。滝水を引いて遣水をつくり池にそそぐようになっています(上段写真左)。
 五位山の麓には待賢門院璋子の陵が営まれています(上段写真右)。
 JR線を渡ったところにある墓地は、一段周囲から高くなっています。これはかつての法金剛院の園池の築山の跡であるそうです(下段写真左)。
 下の図の▲地点から北を見た風景が下段写真下右ですが、西京極大路がわずかながら残っていることがわかります。左に上西門院陵(鳥羽天皇の第2皇女・璋子の娘)、右に今宮神社があります。この西京極大路を境に左が京外で、右が平安京内ということです。

待賢門院璋子の陵  西京極大路

待賢門院璋子関連地図

青女の滝  法金剛院の園池の築山の跡

【アクセス】JR花園駅下車すぐ
【参考文献】角田文衞『待賢門院璋子の生涯』(朝日選書)


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