■西八条第跡 |
『平家物語』の主人公、平清盛。物語の中では徹底的に悪逆非道の人物として描かれています。はたして史実の中の清盛はどうだったのでしょうか。平家の史跡を歩きながらご一緒に考えていきましょう(^・^) 西八条第跡
平清盛の邸宅である西八条第は、八条亭とも呼ばれ、平安京左京一坊の八条大路(現在の八条通)以北、大宮大路(現在の大宮通)以西に位置します。6町以上を占めていましたが、広大な邸が存在していたのではなく、町単位で殿舎が独立していたようです。『平家物語』によると、清盛が蓬を愛し庭に植えていたことから「蓬壺」ともいわれていました。出家後の清盛は、摂津福原(神戸市兵庫区)にいることが多かったので、清盛の妻・時子が女主としてここを守りました。 若一神社
若一神社は、清盛によって勧請された西八条第内の鎮守社だと伝えられています。祭神は熊野大権現の第1王子。境内には平清盛の像が立っています(トップの写真)。境内前にある大クスノキは、さわると祟りがあるとして西大路通が迂回しています。境内の入り口には「平清盛公西八条殿跡」の石碑がたっていますが、場所的には少し離れています。竹村俊則先生の『昭和京都名所図絵 洛南』(駸々堂 1986)では、付近の勝明寺の鎮守社が明治の神仏分離によって独立し、「御所ノ内」という町名から起こった伝説であるとしています。 【アクセス】市バス西大路八条下車 |
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