■ 源義朝の最期1
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源義朝の墓
源義朝の墓(大御堂寺境内)

 平家琵琶を聴く会に参加するため名古屋へ行きました。平家琵琶の会は夕方からでしたので、少し足を伸ばして知多半島の野間にある、源義朝の墓へお参りしてきました。

 平治の乱に敗れた源義朝は、東国を目指して落ち延びる途中、尾張国野間(愛知県知多郡美浜町)で、相伝の家人長田忠致・景致父子の奸計によって湯殿で命を落とします。長田忠致は、義朝の乳母子・鎌田正清(政家、政清とも)の舅でもありました。
 『平治物語』によって大筋を追ってみます。長田父子は、義朝に入浴をすすめて油断させたところを、だまし討ちします。平家の恩賞を受けるために義朝の首を都に持参し、忠致は壱岐守に、景致は左衛門尉に任じられます。しかし、それを不服として尾張国も賜りたいと繰り返し願ったため、平家からは相伝の主人と自分の婿を討った大罪人として、罪科に処すると脅されました。長田父子は恐れをなし、尾張国に逃げ帰ります。古活字本『平治物語』には、その時に長田が残した狂歌として、「落ち行けば命ばかりは壱岐守身のを終りこそきかまほしけれ」で結び、その狂歌の落ちとして次の話につなげます。長田父子は鎌倉に参上し、自らの罪過を訴えると、頼朝は勲功をあげれば罪を許し恩賞として美濃・尾張を宛がうと約束します。長田父子はこの約束に歓喜し、平氏追討に軍功をあげました。しかし平氏滅亡後、頼朝は約束通りに「美濃・尾張(身の終わり)」を賜うとして、長田父子を義朝の墓前において磔にします。長田の辞世の歌が、「ながらへて命ばかりはいきのかみ身のをはりをば今ぞ賜る」で、「身の終わり」は「美濃・尾張」にかけられ、「壱岐」は「呼吸(いき)」あるいは「生き」がかけられています。

 さて史実はどうであったのでしょうか。
 長田(平)忠致は、尾張国内海荘、駿河国長田荘を所領とし、その地方に勢力をはった在地武士です。東国を目指して落ち延びる途中に頼ってきた源義朝を討ちました。その後、反平氏の行動をおこした甲斐源氏の武田信義らの駿河侵入の記事に「長田入道」の名前が出てきます。「長田入道」は、目代橘遠茂とともに防戦しますが破れ、長田の子息2人は梟首されました(『吾妻鏡』治承4年10月13日14日条)。しかし、「長田入道」が忠致なのかどうかは研究者によって意見がわかれるところです。わたしは婿の鎌田正清が父の代から駿河国に住し鎌田を名のっていることことから推測して、「長田入道」が忠致であってもおかしくないのではと思います。また同日条からは、「長田入道」がどうなったかはうかがえません。『保暦間記』によると、忠致は鎌倉に捕えられており、建久元年(1190)10月頼朝の上洛に際し、青墓宿で斬首されたことがみえます。

■野間の大御堂寺(野間大坊)

 大御堂寺は、寺伝によると役行者の開創、行基の開山。白河天皇の承歴年間に勅願寺として大御堂寺と命名されたとしています。『吾妻鏡』文治2年(1186)閏7月22日条には、平康頼が尾張守であった時、源義朝の墓が荒廃していたので、水田三十町を寄進し小堂を建て6人の僧に不断念仏を修させたとあります。また建久元年(1190)、源頼朝が上洛の途中に源義朝の廟所に詣でています(『吾妻鏡』建久元年10月25日条)。寺伝によると、この時に鎌田正清、平康頼、池禅尼の塔を建て供養したのだと伝承されています。
 義朝は小太刀なりともと叫びつつ死んだという伝承から、義朝の墓にはたくさんの小太刀が供えられています(上の写真)。義朝の墓を中心に囲むように、鎌田正清の墓とその妻の碑、頼朝の命を助けた清盛の継母池禅尼の墓があります。境内には、平康頼の墓、義朝の首を洗い清めたたという首荒い池があります。
 大御堂寺では義朝の最期の絵解きが行われています。それについては次のページで書きます。

 大御堂寺 首荒い池
 左:大御堂寺 右:源義朝の首洗い池(大御堂寺境内)

 鎌田正清の墓 池の禅尼の供養塔
 左:鎌田正清とその妻の碑(大御堂寺境内) 右:池の禅尼の供養塔(大御堂寺境内)

※たくさん写真を撮ろうとはりきって行ったのですが、デジタルカメラのメモリカードが突然認識しなくなりました。野間駅周辺は店が無く、大御堂寺の門前の旅館で、使い捨て(思いっきり高かった)カメラをあわてて購入しました。あまりいい写真がありません。ぜひともリベンジしたいと思います。

【アクセス】
大御堂寺(愛知県知多郡美浜町野間)名鉄知多新線野間駅下車、徒歩約7分
周辺にはコンビニなどのお店が無いので、カメラのフィルムや、飲み物はしっかりと用意しましょう。

【参考文献】
角川源義「『義経記』の成立」(『角川源義全集』第1巻 角川書店 1988)
須田悦雄「鎌田」注釈(『幸若舞研究』第2巻 三弥井書店 1981)
日下力『平治物語の成立と展開』(汲古書店 1997)
日下力『平治物語』岩波セミナーブックス(1992)岩波書店
高橋昌明「伊勢平氏の成立」(『増補改訂 清盛以前』文理閣 2004)
野口実「平忠致」『平安時代史事典』
元木泰雄『保元・平治の乱お読みなおす』NHKブックス(NHK出版 2004)
新日本古典文学体系『保元物語 平治物語 承久記』(岩波書店 1992)本文および付録の人物一覧を参照


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