■ 鹿ヶ谷事件 |
鹿ヶ谷事件の舞台である俊寛僧都山荘跡をたずねてきました。哲学の道から霊鑑寺の横のなだらかな坂を山の方へと進みます。山道を入って渓谷沿いに15分ほど歩くと、右手に滝が見えてきます。その滝の上に写真の顕彰碑が建っています。 鹿ヶ谷事件 治承元年(1177)、法勝寺の執行であった俊寛の鹿ヶ谷の山荘で、俊寛、西光、藤原成親・成経父子、平康頼らが平家打倒の談合をしていたことが発覚します。西光は惨殺され、俊寛、平康頼、藤原成経の3人は鬼界ヶ島に流されます。のちに俊寛を除く2人は赦されて都へ帰りますが、俊寛は赦されずに島に残されその地で亡くなります。 【参考文献】 |
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