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■2005.03.29 鹿ヶ谷事件


鹿ヶ谷事件の舞台である俊寛僧都山荘跡は、哲学の道から霊鑑寺の横のなだらかな坂を山の方へと進みます。山道を入って渓谷沿いに15分ほど歩くと、右手に滝が見えてきます。その滝の上に俊寛僧都顕彰碑が建っています。

治承元年(1177)、法勝寺の執行であった俊寛の鹿ヶ谷の山荘で、俊寛、西光、藤原成親・成経父子、平康頼らが平家打倒の談合をしていたことが発覚します。西光は惨殺され、俊寛、平康頼、藤原成経の3人は鬼界ヶ島に流されます。のちに俊寛を除く2人は赦されて都へ帰りますが、俊寛は赦されずに島に残されその地で亡くなります。

鹿ヶ谷とは、京都市左京区の東南部、如意ヶ嶽西麓一帯の地名です。俊寛の山荘の場所は不詳ですが、近世の京都の地誌類に「談合谷」と呼ばれている所がそうだと伝えられており、左京区鹿ヶ谷御所ノ段町の北部の台地付近と推定されています。
上の写真は「俊寛僧都忠誠之碑」と刻まれた石碑です。この横には「俊寛僧都鹿谷山荘遺址記」の石碑も建てられています。ただし山荘跡と推定される地よりも山中に入った所にあります。かつて山中にあった如意寺の跡、楼門の滝のそばにあります。

【参考文献】
村井康彦『平家物語の世界』
『史料京都の歴史 左京区』平凡社


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