■ 平安京の人口

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平安京の人口

 都市の規模をはかる指標としてまず第1にあげられるのは、その都市にどれくらいの数の人間が住んでいるかということであろう。それでは、平安京はどれくらいの人口をもつ都市だったのかということが問題となる。ただし、統計も戸籍も残っていない都市の人口を知るのは至難の技である。いきおい、推測に推測を重ねることにならざるをえないのはやむをえない。
 かつては平城京の人口を20万人とする試算があり、それを引き移して平安京の人口もまたそれくらいだろうとする考えがあった。しかしこれは、明治時代の金沢市の人口などからの類推であっていかにも根拠が薄弱だ。
 最近、京都産業大学の井上満郎教授がこの困難な課題に挑戦した(『京都市歴史資料館研究紀要』第10号)。井上氏は平安京を構成する1136町(「町」は京を構成する単位である40丈[約120メートル]四方の区画)のうちわけは、貴族・官人居住区600町、諸国から上京してきた職人たちが住む諸司厨町四一町、一般市民居住区452・5町、東西両寺などの「特別区」42・5町だと考えた。そして、平安時代前期には平安京のほぼ全域に人間が居住していたという仮定にもとづき、貴族・官人12273人、諸司厨町の人口15033人、一般市民90066人と算出したのである。それに実数の不明確な天皇・皇族・奴婢などを加えると、合計12万人前後〜13万人というのが井上氏の算定による前期平安京の人口であることになる。
 ただ、考古学的発掘調査の成果によると、平安京のほぼ全体に人家が存在していたというのは、少し無理のようだ。平安京右京の西南隅のあたりではまったく平安時代の遺物が発見されないし、またそれ以外の場所でも湿地や自然流路があって居住に不適格なところがたくさんあった。こうした無居住地がどれほどあったかはむつかしいところであるが、井上氏の推定された一般市民居住区の面積のうち三割程度がそうであったと仮定してみよう。そうすると、不確実な推定にすぎないが、ほぼ10万人前後というのが初期の平安京の人口だということになる。
 当時世界最大の都市であった唐の長安は、百万人の人口を数える巨大都市であったという。それにははるかにおよばないが、平安京もまた、わが国唯一にして最大の巨大都市であった。そして、平安京=京都は、江戸時代中期にいたるまでその地位を譲ることはなかったのである。

(朝日選書『平安の都』所収)

※このコンテンツでは、平安京探偵団団長・山田邦和の過去に発表した文章を掲載しています。


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