■ 平安京の化物屋敷

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平安京の化物屋敷

百鬼夜行絵巻
百鬼夜行絵巻

 平安京は魑魅魍魎たちの都でもあった。まだこの当時は、人智を超えた奇怪な存在が世の中のあちこちにひそんでいたのである。羅城門や一条戻り橋は怪異の名所であった。大内裏の中さえも油断はできなかった。『今昔物語集』には、大内裏の中を通っていた若い美女が、貴公子に化けた鬼に食い殺された話がでてくる。友達が心配になって見に行くと、木の下に女のバラバラ死体がころがっていたというから恐ろしい。
 もっとも、妖怪変化といっても悪さをするものばかりではない。人を驚かすだけが趣味のような、変な鬼もいた。一条にあったあばら屋で遊女を抱いていたある男、夜中に目覚めてふと外に目をやると、なんと、噂に聞く百鬼夜行を見てしまう。こうなるとただではすむまい。鬼は恐ろしい声でどなる。「見たなァ!」。万事休す、刀をにぎりしめてガタガタ震える男に、鬼はニヤリと笑ってつけくわえる。「よーく見とけよ!」。
 平安京の中には、『鬼殿』とか『悪所』とかいわれる不吉な場所がいくつもあった。一番有名だったのは、三条西洞院にあった中納言藤原朝成邸である。朝成は摂政藤原伊尹と仲違いし、みすみす出世を棒にふってしまった。恨み骨髄に達した彼は、ついに生霊となって伊尹をとり殺してしまう。これ以降、朝成の邸宅は『鬼殿』と呼ばれ、伊尹の子孫は決してここに近づかないことになった。ただ、子孫まで祟るというすさまじい怨念のわりに、その場所さえ避ければどうということはないのは変な感じがする。
 怪異に対応するやりかたのひとつは、強行手段に訴えることだ。学者として有名な三善清行が購入した五条堀川の古屋敷には、妖怪が住みついていた。しかし、豪胆な彼は手を変え品を変えての怪異にまったく動ぜず、逆に妖怪を叱りつけて追い払ってしまった。またある時、五条天神社の木に仏が現れて大評判となった。皆これを伏し拝んだが、右大臣源光が矢を射かけると、その正体は大きなクソトビ(ノスリ)だった。ただ、強行手段が裏目にでることもある。悪所として知られる冷泉東洞院の『僧都殿』では、赤い単衣が勝手に飛びまわっていた。何のつもりか知らないが、妙な化物だ。これを射落とそうとした恐いもの知らずの武士は、まもなく頓死してしまうことになる。
 平安京をわがもの顔に跋扈していた妖怪たち。彼らは今はどこに消えてしまったのだろうか。なんとなく、彼らはどこかでじっと復権の機会をうかがっているような気がする。

(朝日選書『平安の都』所収)

※このコンテンツでは、平安京探偵団団長・山田邦和の過去に発表した文章を掲載しています。


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