■山田邦和著作目録(2014年12月現在)

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犬もひそかに勉強しているらしい。

本を読むマック

著書(単著および共著) ▼著書(分担執筆)
論 文 ▼調査報告 ▼展覧会図録 ▼解説記事、エッセイ、その他

■著書(単著)

『京都』(カラーブックスNo.857、大阪、保育社、1993年12月)
『須恵器生産の研究』(東京、学生社、1998年1月)
『京都都市史の研究』(東京、吉川弘文館、2009年6月)
■『日本中世の首都と王権都市—京都・嵯峨・福原—』(京都、文理閣、2012年3月30日)、全409頁。)


■著書(共著、編著、監修など)

■山中章・山田邦和『日本の古代遺跡』28「京都II」(大阪、保育社、1992年10月)
■日本史研究会編(仁木宏・百瀬正恒・山田邦和・藤井穣治編集担当)『豊臣秀吉と京都—聚楽第・御土居と伏見城—』(文理閣、京都、2001年12月)
山田邦和「伏見城とその城下町の復元」、山田邦和作図「第3・4期伏見城(豊臣期〜 徳川期木幡山城)城下町推定復元図」
■山田邦和監修、京都新聞出版センター編、横山建蔵写真『京都で学ぶ日本の歴史と文化』(京都、京都市産業観光局観光部観光振興課、2002年3月) 山田邦和「京都修学旅行への誘い」
■山田邦和監修『とらべる京都 虎の巻—ツアーリーダーうんちくブック—』(〈東京〉、〈JR東海「そうだ京都、行こう」〉、〈2006年〉)山田邦和「京都 歴史のおさらい」
■山田邦和監修『とらべる京都 虎の巻—ツアーリーダーうんちくブック—』(改訂版)(〈東京〉、〈JR東海「そうだ京都、行こう」〉、〈2007年〉)山田邦和「京都 歴史のおさらい」」
■高木博志・山田邦和編『歴史のなかの天皇陵』(京都、思文閣出版、2010年10月15日)、278+52頁。
 〜山田邦和「平安時代の天皇陵」(91〜130頁)。上田長生・北康宏・高木博志・菱田哲郎・山田邦和「座談会 歴史のなかの天皇陵」(212〜273頁)。山田邦和編「陵墓一覧表」(〈13〉〜〈49〉頁)。山田邦和作「天皇陵分布図」(〈50〉〜〈52〉頁))
■古代学協会編(鈴木忠司・寺升初代・山田邦和編集担当)『古代学協会60年史』(京都、古代学協会、2011年10月1日)、全388頁。
 ・角田文衞(山田邦和編)「第1部古代学協会の沿革〜第1章古代学協会の創立、第2章財団法人古代学協会の誕生と発展、第3章平安博物館の開設と発展、第4章古代学研究所の活動」(3〜46頁)
 ・山田邦和「第1部古代学協会の沿革〜第5章古代学協会の新生」(47〜51頁)
 ・山田邦和「第2部古代学協会の研究事業 第1章国内の発掘調査〜第1節古代学協会の考古学的調査の歩み」(55〜61頁)
 ・山田邦和「第2部古代学協会の研究事業 第1章国内の発掘調査〜第3節古拙時代遺跡の発掘調査」(80〜85頁)
 ・山田邦和「第2部古代学協会の研究事業 第1章国内の発掘調査〜第4節古典時代とそれ以降の遺跡の調査」(85〜89頁)
 ・山田邦和「第2部古代学協会の研究事業 第1章国内の発掘調査〜第5節平安京跡の考古学的調査」(89〜104頁)
 ・山田邦和「第2部古代学協会の研究事業 第4章共同研究事業 第1節平安建都1200年記念事業〜1『平安京提要』の刊行」(143〜144頁)
 ・山田邦和「第3部資料編〜第2表古代学協会組織図」(224・225頁)
 ・麻森敦子・古藤真平・山田邦和「第3部資料編〜第4表研究員一覧」(234〜239頁)
 ・鈴木忠司・山田邦和「第3部資料編〜第7表発掘調査一覧」(257〜272頁)。
■京都市都市計画局歩くまち京都推進室編、山田邦和(歴史監修)『京都 フリーパス—電車・バスでまわる「歩くまち・京都」—』(京都、同推進室、2012年12月〈発行日不記載〉)、全31頁)。
■山田邦和(監修)『事前学習に役立つ みんなの修学旅行』1巻「京都」(東京、小峰書店、2014年2月7日)、全44頁。
 — 山田邦和「修学旅行に行かれるみなさんへ」(同書表紙カバー折り返し)。
■山田邦和(監修)『事前学習に役立つ みんなの修学旅行』2巻「奈良・大阪」(東京、小峰書店、2014年2月7日)、全44頁。
 — 山田邦和「修学旅行に行かれるみなさんへ」(同書表紙カバー折り返し)。
■山田邦和・河内将芳(監修)『ビジュアル版 京都1000年地図帳』(別冊宝島2272、東京、宝島社、2015年1月11日)、全112頁。
 —作図:古代の京都MAP(15頁)、平安時代の京都MAP(23頁)、都の移り変わり(24頁)、平安京条坊復元図(31頁)、大内裏(平安宮)復元図(32頁)、平安時代後期—鎌倉時代の京都MAP(45頁)、戦国時代の京都MAP(59頁)、応仁の乱による焼失地域(66頁)、戦国期の京都の城(73頁)、秀吉時代の京都MAP(77頁)、秀吉による京都の都市改造(85頁)、平安京以来の「碁盤の目」町割り・豊臣秀吉による「短冊形の町割り(85頁)、聚楽第復元図(87頁)、江戸時代の京都MAP(95頁)。
 —土台作図:現代の京都MAP(20頁)、名僧にちなんだ京都の寺院(51頁)。


■分担執筆の書物(単なる寄稿ではなく、それ以上に関わった書物)

■角田文衞総監修、古代学協会・古代学研究所編『平安京提要』(東京、角川書店、1994年6月)
 〜「京都の曙〜始原時代の京都盆地・古拙時代の京都」「平安京の構成〜左京と右京」 「平安京の近郊〜墓地と葬送」「平安京の近郊〜窯業遺跡」「平安京内の邸宅および施設索 引」、古代学研究所第三研究室(山田邦和・寺升初代)考証・作図「平安京大内裏(平安宮) 復元図」「平安宮内裏復元図」「平安宮朝堂院・豊楽院復元図」
■京都市編『甦る平安京』(京都、京都市、1994年9月)
 〜「都市景観の復元〜甦る平安京・平安京市街地の変遷」
■角田文衞編『平安の都』(朝日選書515、東京、朝日新聞社、1994年11月)
 〜「都の象徴—朝堂院と大極殿」「都市の条件—都城」「巨大都市平安京—人 口」「舗装された道路—交通と道路」「舟の浮かばない池—高陽院」「平安京の繁華街 —東西市」「平安京のシンボルタワー—白河」「南郊の水閣—鳥羽殿」「遷都はなかっ た—福原」「清きもの、それは流れ—トイレと泉」「京のはずれ—人形」「人生の終わ り方—淳和天皇」「帝王失格—花山天皇」
■京都市企画、村井康彦編『よみがえる平安京』(京都、淡交社、1995年5月)
 〜「図版解説/兜跋琵沙門天立像」「都のメインストリート 朱雀大路」「東寺 と西寺」「上皇の御後院」「京中の大規模邸宅」「京中の院御所 六条院」「鴨東 の離宮 白河殿」「鴨東の寺々」「京郊の社寺」
『歴史検証 天皇陵』(別冊歴史読本78[第26巻第17号]、東京、新人物往来社、2001年7月)
 〜「神代三陵」「神武天皇陵」「元明天皇陵」「桓武天皇陵」「淳和天皇陵と 嵯峨天皇陵」「天皇陵史料コレクション」「『天皇陵史料コレクション』について」
『図説天皇陵』(別冊歴史読本52〈第28巻第21号〉、東京、新人物往来社、2003年7月)
 〜「天皇陵への招待」、「天智天皇陵」「桓武天皇陵」「嵯峨天皇陵」「淳和天皇陵」「仁明天皇陵」「文徳天皇陵」「醍醐天皇陵」「白河天皇陵」「鳥羽天皇陵」「崇徳天皇陵」「近衛天皇陵」「後白河天皇陵」「高倉天皇陵」各探訪ノート
■外池昇編、外池昇・西田孝司・山田邦和解説『文久山陵図』(東京、新人物往来社、2005年2月)
■五島邦治監修、風俗博物館編『六條院へ出かけよう—源氏物語と京都』(京都、〈財〉宗教文化研究所、2005年10月)
 〜「平安京を歩く」
■京都新聞出版センター編、井上由理子・熊谷栄三郎・黒田正子・高野澄・中村武生・永守淳爾・西村彰朗・藤慶之・山田邦和・山中英之執筆『第3回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2007年4月20日)
■京都新聞出版センター編、井上由理子・今西健二・河村吉宏・熊谷栄三郎・黒田正子・高野澄・中村武生・中村勝・永守淳爾・西村彰朗・藤慶之・山田邦和執筆『第4回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2008年4月)
■Nicolas FIE´VE´ ed., ATLAS HISTORIQUE DE KYOTO, Analyse spatiale des syste`mes de me´moire d'une ville, de son architecture et de son paysage urbain (Paris, 2008)
 〜“L'urbanisation de Shirakawa et de Toba a` la fin du XIe sie`cle”,“Kyo^to a` l'e´poque des luttes entre les provinces (1467-1573)”,“Les cha^teaux forts et les bastions me´die´vaux autour de Kyo^to”,“La re´sidence de Jurakudai et le cha^teau de Fushimi”,“Le cha^teau de Nijo^, le palais impe´rial et le quartier des nobles de Cour”,“Les groupes de quartiers a` l'e´poque d'Edo”
■国立歴史民俗博物館編『桓武と激動の長岡京時代』〈歴博フォーラム〉所収、東京、山川出版社、2009年1月)
 〜「長岡京・平安京と陵墓」、永井路子・朧谷寿(出席者)、山中章・山田邦和(司会)「座談会 長岡京から平安京へ—光仁・桓武・嵯峨朝の世相—」。清水みき・仁藤敦史(司会)、網伸也・榎村寛之・河角龍典・中島信親・三上喜孝・吉川真司(パネラー)、朧谷寿・永井路子・山田邦和・山中章(コメント)「討論 長岡京時代を考える」
■京都新聞出版センター編、井上由理子・太田垣實・河村吉宏・熊谷栄三郎・黒田正子・高野澄・中村武生・中村勝・永守淳爾・西村彰朗・前川佳代・山田邦和執筆『第5回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2009年4月)
■京都新聞出版センター編、池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・河村吉宏・熊谷栄三郎・黒田正子・小嶋一郎・高野澄・中村武生・中村勝・永守淳爾・西村彰朗・前川佳代・山田邦和執筆『第6回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2010年4月23日)本文256頁(分担頁不記載)
■京都新聞出版センター編、池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・黒田正子・小嶋一郎・茶道資料館・高野澄・中村武生・永守淳爾・西村彰朗・平井孝征・前川佳代・町田香・山田邦和執筆『第7回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2011年4月22日)本文254頁(分担頁不記載)
■京都新聞出版センター編、池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・黒田正子・小嶋一郎・高野澄・徳丸貴尋・中村武生・永守淳爾・西村彰朗・平井孝征・前川佳代・町田香・山田邦和執筆『第8回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2012年4月20日)、本文254頁(分担頁不記載)
■京都新聞出版センター編、池坊中央研究所・市川智也・井上由理子・太田垣實・黒田正子・高野澄・井堂恵子・徳丸貴尋・中村武生・西村彰朗・細田香織・前川佳代・町田香・山田邦和執筆『第10回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2014年4月25日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は8・21・38・68・79・85・111・112・116・136各頁)。

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■論 文

■「須恵器・その地域性」(同志社大学考古学シリーズI『考古学と古代史』所収、京都、同志社大学考古学シリーズ刊行会、1982年10月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「京都府下の須恵器窯」(同志社大学校地学術調査委員会調査資料No.14『マムシ谷窯址発掘調査報告書』所収、京都、同志社大学校地学術調査委員会、1983年3月)
■「須恵器生産系譜論の現状」(同志社大学考古学シリーズII『考古学と移住・移動』所収、京都、同志社大学考古学シリーズ刊行会、1985年3月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「北陸地方の須恵器—宿布古墳群出土須恵器の検討を通じて—」(『福井市宿布古墳群』所収、福井・京都、福井県教育委員会・古代学協会、1985年3月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「近畿地方北部の古式須恵器—奈具岡遺跡出土須恵器の検討を通じて—」(『奈具岡遺跡発掘調査報告書』所収、京都、古代学協会、1985年3月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■辰巳和弘・鋤柄俊夫・山田邦和「京都府下における横穴式石室の再利用」(同志社大学校地学術調査委員会調査資料No.19『下司古墳群』所収、京都、同志社大学校地学術調査委員会、1985年3月)
■「播磨の須恵器生産—鴨谷池遺跡出土須恵器の検討を通じて—」(『鴨谷池遺跡』所収、明石・京都、明石市教育委員会・同志社大学考古学研究室、1986年3月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「やがて帰らぬ君ぞ悲しき—白井光太郎博士の一書状—」(『古代文化』第38巻第12号掲載、京都、古代学協会、1986年12月)
■「山城の須恵器生産」(『(仮称)精華ニュータウン予定地内遺跡発掘調査報告書』所収、京都、古代学協会、1987年3月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「丹波の須恵器生産覚書—京都府園部窯址群の再検討—」(同志社大学考古学シリーズIII『考古学と地域文化』所収、京都、同志社大学考古学シリーズ刊行会、1987年7月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「寛政『古圖』所載の考古資料—美濃国野口村発見の古墳遺物など—」(京都文化博物館(仮称)研究紀要『朱雀』第1集所収、京都、京都文化財団、1988年3月)
■「飛鳥・白鳳時代須恵器研究の展望」(『古代文化』第40巻第6号掲載、京都、古代学協会、1988年6月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「山城の装飾付須恵器」(同志社大学考古学シリーズ IV『考古学と技術』所収、京都、同志社大学考古学シリーズ刊行会、1988年10月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「装飾付須恵器の分類と編年(上)(下)—装飾付須恵器の基礎的研究1・2—」(『古代文化』第41巻第8・9号掲載、京都、古代学協会、1989年8・9月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■堀内明博・山田邦和「平安京における北宋期の輸入陶磁器—その定量的分析—」(『貿易陶磁研究』No.9掲載、福岡、貿易陶磁研究会、1989年9月)
■「京都市深泥池東岸窯址の陶棺」(『古代文化』第42巻第5号掲載、京都、古代学協会、1990年5月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「須恵器の編年〜近畿(畿内とその周辺[大阪府以外])」「図版/近畿の須恵器」(『古墳時代の研究』第6巻「土師器と須恵器」所収、東京、雄山閣、1991年5月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「窯業製品」(『古墳時代の研究』第5巻「生産と流通・」所収、東京、雄山閣出版、1991年9月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「装飾付須恵器総覧—装飾付須恵器の基礎的研究3—」(『古代学研究所研究紀要』第2輯所収、京都、古代学協会、1992年3月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「須恵器特殊偏壺に関する覚書」(同志社大学考古学シリーズV『考古学と生活文化』所収、京都、同志社大学考古学シリーズ刊行会、1992年4月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「『福原京』に関する都城史的考察」(中山修一先生喜寿記念事業会編『長岡京古文化論叢』・所収、京都、三星出版、1992年7月)
■「畿内からみた東海の窯」(第9回東海埋蔵文化財研究会岐阜大会『古代仏教東へ—寺と窯—』2「窯編」所収、岐阜、東海埋蔵文化財研究会岐阜大会実行委員会、1992年11月)
■「掘り出した遺跡〜中世・近世の京都」「掘り出した遺物〜窯業・須恵器」「図版解説/遺物詳覧〜須恵器」「図版解説/遺跡探索〜中世の京都」「図版解説/遺跡探索〜近世の京都」「近畿の考古博物館ガイド」「近畿の遺跡解説」(森浩一・佐原真監修『考古学の世界—古代を拡大する—』第3巻近畿所収、東京、ぎょうせい、1992年11月)
■「須恵器生産に関する諸問題」(森浩一編『考古学・その見方と解釈』下 所収、東京、筑摩書房、1993年3月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「京都府宇治市木幡古墳群の意義」(角田文衛先生傘寿記念『古代世界の諸相』所収、京都、晃洋書房、1993年9月)
■「須恵器動物形ハソウ考」(京都文化博物館研究紀要『朱雀』第6集所収、京都、京都文化博物館、1993年12月)(補訂の上、『須恵器生産の研究』に収載)
■「発掘に見る地下の平安京」「コラム(1)鳥羽離宮」「コラム(2)神泉苑」「コラム(3)桓武天皇陵」(森浩一編『平安京の不思議—古都に眠る歴史の謎を訪ねて—』所収、東京・京都、PHP研究所、1994年4月)
■「平安京の葬送地」(『季刊考古学』第49号「特集・平安京跡発掘」掲載、東京、雄山閣出版、1994年10月)
■「平安貴族葬送の地・深草」(同志社大学考古学シリーズVI『考古学と信仰』所収、京都、同志社大学考古学シリーズ刊行会、1994年10月)
■「京都における渡来系銭貨の生産と流通」(『日本考古学協会1994年度大会研究発表要旨』掲載、東京、日本考古学協会、1994年11月)
■「始祖王陵としての『神武陵』」(日本史研究会・京都民科歴史部会編『「陵墓」からみた日本史』所収、東京、青木書店、1995年11月)
■「各地域の須恵器生産〜近畿東北部(京都南部・滋賀)」「篠窯跡群編年案対照表」(中村浩・藤原学編『須恵器集成図録』第2巻「近畿編II」所収、1996年3月)
■「須恵器の地方展開」(平成5年度市民歴史講座講演記録集『須恵器でみる古代の日本』所収、枚方、枚方市教育委員会、1996年3月)
■「京都の都市空間と墓地」(『日本史研究』第409号掲載、京都、日本史研究会、1996年9月)
■「本文補遺〜近畿地方東北部の窯跡と須恵器」(中村浩編『須恵器集成図録』第6巻「補遺・索引編」所収、1997年2月)
■「古代社会の信仰—古代都京の信仰—」(『季刊考古学』第59号掲載、東京、雄山閣、1997年5月)
■(閔丙勳訳)「日本の裝飾付須惠器とその小像群(韓国語版)」(1997年度特別企劃『新羅土偶—新羅人* *、* 永遠* 現在—』所収、國立慶州博物館、慶州、1997年12月)
■「中世都市京都の成立—工人町の発達と中世都市—」(古代都制研究集会第3回報告集『古代都市の構造と展開』所収、奈良、古代都城制研究集会実行委員会、1998年2月)
■山田邦和・外池昇「『文化山陵図』の一写本—家蔵考古学史史料の紹介と検討—」(京都文化博物館研究紀要『朱雀』第10集所収、京都、京都府京都文化博物館、1998年3月)
■「桓武天皇陵はどこにあったか」(森浩一編『古代探求—森浩一70の疑問—』所収、東京、中央公論社、1998年7月)
■「京都府」(中村浩編『古墳出土須恵器集成』第2巻「近畿編II」所収、東京、雄山閣出版、1998年7月)
■「中世都市京都の変容」(中世都市研究5『都市をつくる』所収、東京、新人物往来社、1998年9月)
■「考古学からみた近世京都の墓地」(『関西近世考古学研究』VI「特集西日本近世墓の諸様相」所収、伊丹、関西近世考古学研究会、1998年12月)
■「桓武天皇柏原陵考」(『文化学年報』第48輯所収、京都、同志社大学文化学会、1999年3月)
■「元明天皇陵の意義」(同志社大学考古学シリーズVII『考古学に学ぶ—遺構と遺物—』所収、京都、同志社大学考古学シリーズ刊行会、1999年3月)(『歴史検証 天皇陵』に再録)
■「淳和・嵯峨両天皇の薄葬」(『花園史学』第20号掲載、京都、花園大学史学会、1999年11月)(『日本史学年次別論文集』古代1に再録)
■「鴨川の治水神」(『花園大学文学部研究紀要』第32号掲載、京都、花園大学文学部、2000年3月)
■「大阪府檜尾大塚原4号墳出土の異形の須恵器子持器台」(『同志社大学歴史資料館館報』第3号所収、京田辺、同志社大学歴史資料館、2000年6月)
■「始祖王陵としての『神代三陵』」(花園大学考古学研究室20周年記念論集編集委員会編『花園大学考古学研究論叢—花園大学考古学研究室20周年記念論集—』所収、京都、花園大学考古学研究室20周年記念論集刊行会、2001年6月)
■「装飾付須恵器の時期編年」(『考古学ジャーナル』No.476「特集 装飾付須恵器について考える」掲載、東京、ニュー・サイエンス社、2001年8月)
■「天皇陵のゆくえ」(門脇禎二・狩野久編『〈都〉の成立—飛鳥京から平安京へ—』所収、東京、平凡社、2002年2月)
■「淳和・嵯峨両天皇の薄葬」(『日本史学年次別論文集』古代1 1999年〈平成11〉掲載、東久留米、学術文献刊行会、2002年2月)(『花園史学』第20号の再録)
■「天皇陵問題の考古学的検討」(花園大学人権教育研究室編『記号化する差別意識と排除の論理』〈花園大学人権論集9〉所収、東京、批評社、2002年3月)
■「『前期平安京』の復元」(『都市—前近代都市論の射程—』所収、東京、青木書店、2002年11月)
■「Asian Talk 水の都・平安京」(『NHKスペシャル アジア古都物語 京都—千年の水脈—』所収、東京、日本放送出版協会、2002年11月)
■「講座・生活文化史 平安京—日本古代都城の完成—」(『歴史と地理』第560号[日本史の研究199]掲載、東京、山川出版社、2002年12月)
■野口実・山田邦和「法住寺殿の城郭機能と域内の陵墓について」(『研究紀要』第16号掲載、京都、京都女子大学宗教・文化研究所、2003年3月)
■「戦国期上京の復元」(同志社大学考古学シリーズVIII『考古学に学ぶ〈II〉—考古学研究室開設五十周年記念—』所収、京都、同志社大学考古学シリーズ刊行会、2003年10月)
■「京都学からの発言—『山城学』との相違点を踏まえて」 (春日井市教育委員会編『第11回 春日井シンポジウム』資料集所収、春日井、春日井シンポジウム実行委員会、2003年10月)
■野口実・山田邦和「六波羅の軍事的評価と法住寺殿を含めた空間復元」(『研究紀要』第17号掲載、京都、京都女子大学宗教・文化研究所、 2004年3月)
■「消えた建春門院陵を探る」(『研究紀要』第17号掲載、京都、京都女子大学宗教・文化研究所、2004年3月)
■「歴史の中の残虐行為と『人権』」(『人権教育研究』第12号所収、京都、花園大学人権教育研究センター、2004年3月)
■「『神武天皇陵』の一資料—橿原神宮保井文庫旧蔵『畝傍御陵書文献』—」(伊達宗泰監修『地域と古文化』所収、〈発行地不記載〉、『地域と古文化』刊行会、2004年3月)
■「【書評】東アジア恠異学会編『怪異学の技法』」(『ヒストリア』第191号掲載、西宮、大阪歴史学会、2004年9月)
■「中村武生報告へのコメント」(『中世都市研究』9「政権都市」所収、東京、新人物往来社、2004年9月)
■「須恵器環状台連結ハソウとその系譜」(『花園史学』第25号掲載、京都、花園大学史学会、2004年11月)
■「『京都学』と『山城学』」(森浩一編『地域学から歴史を読む』所収、東京、大巧社、2004年11月)
■「院政王権都市嵯峨の成立と展開」(吉井敏幸・百瀬正恒編『中世の都市と寺院』所収、東京、高志書院、2005年4月)
■「中世都市嵯峨の変遷」(平成14〜16年度科学研究費保持預金基盤研究〈A〉〈1〉研究成果報告書『平安京—京都の都市図・都市構造に関する比較研究とデジタルデータベースの構築』所収、〈京都〉、金田章裕〈研究代表者〉、2005年3月)
■「幕末の天皇陵改造—文久の修陵—」(21世紀COEプログラム「グローバル時代の多元的人文学の拠点形成」第3回報告書『人文知の新たな創造に向けて』上巻掲載、京都、京都大学大学院文学研究科、2005年3月)
■「『福原京』の都市構造」(『古代文化』第57巻第4号〈通巻第555号〉掲載、京都、〈財〉古代学協会、2005年4月)
■「京都・歴史遺産の活用と世界遺産」(『都市問題』第96巻第6号〈2005年6月号〉掲載、東京、〈財〉東京市政調査会、2005年6月)
■「総括と論点提示—日本都市史研究における『階層性』の提唱—」(『中世都市研究会京都大会2005資料集」所収、2005年9月、中世都市研究会)
■「福原遷都の混迷と挫折」(『古代文化』第57巻第9号〈通巻第560号〉掲載、京都、〈財〉古代学協会、2005年9月)
■「長岡京右京六条一坊の施設に関する覚書」(第13回京都府埋蔵文化財研究会発表資料集『京都府内の重要遺跡を読み解く・埋蔵文化財をめぐる情報環境』所収、2005年10月、同研究会)
■「平安の京と都〜平安京」 「〈口絵〉平安京の発掘調査・よみがえる福原京」(『季刊考古学』第93号 特集「『平安考古学』を考える」掲載、東京、雄山閣、2005年11月)
■「平安時代天皇陵研究の展望」(『日本史研究』521号 特集「陵墓研究の新地平」掲載、京都、日本史研究会、2006年1月)
■「記号の役割」(『文字と古代日本』5「文字表現の獲得」所収、東京、吉川弘文館、2006年2月)
■「後白河天皇陵と法住寺殿」(平安京・京都研究叢書1『院政期の内裏・大内裏と院御所』所収、京都、文理閣、2006年6月)
■「中世京都都市史研究の課題と展望—「中世都市研究会2005京都大会」の総括と論点提示—」、仁木宏・山田邦和司会「全体討論『中世のなかの「京都」』」(『中世都市研究』12「中世のなかの『京都』」掲載、東京、新人物往来社、2006年9月)
■「中世都市嵯峨の変遷」(金田章裕編『平安京—京都 都市図と都市構造』所収、京都、京都大学学術出版会、2007年2月25日)153〜181頁
■ 「桓武朝における楼閣附設建築」(『国立歴史民俗博物館研究報告』第134集〈山中章・仁藤敦史編「律令国家転換期の王権と都市」論考編〉所収、佐倉、国立歴史民俗博物館、2007年3月30日)155〜177頁
■「太皇太后藤原順子の後山階陵」(「王権とモニュメント」研究会〈上原真人〉編『皇太后の山寺—山科安祥寺の創建と古代山林寺院—』所収、京都、柳原出版、2007年3月15日)84〜112頁
■「京都市遠山黄金塚1号墳の再検討」(松藤和人編
『同志社大学考古学シリーズIX』「考古学に学ぶ(III)」所収、京都、同志社大学考古学シリーズ刊行会、2007年7月1日)275〜284頁
■「中世都市の考古学」(『季刊考古学』第100号「特集・21世紀の日本考古学」掲載、東京、雄山閣出版、2007年8月1日)108〜111頁
■「埋蔵文化財をめぐる社会システムの混迷」(『日本史研究』第542号掲載、京都、日本史研究会、2007年10月)74〜79頁
■「聖武・天武両天皇の首都構想」(第10回考古学研究会東海例会資料集『古代東海と奈良時代王権』所収、津、考古学研究会東海例会、2008年2月)
■「中世京都の被差別民空間—清水坂と鳥部野—」(花園大学人権教育研究センター編『個の自立と他者への眼差し—時代の風を読み込もう—』〔花園大学人権論集15〕所収、東京、批評社、2008年3月)
■「『文久の修陵』による天皇陵改造」(花園大学考古学研究室30周年記念論集『花園大学考古学研究論叢II』所収、京都、花園大学考古学研究室30周年記念論集刊行会、2009年3月)
■「平安京の空間構造」(舘野和己編『古代都城のかたち』〈同成社古代史選書3〉所収、東京、同成社、2009年6月

■山田邦和・中井均「伏見城跡(桃山陵墓地)の立入調査」(『日本史研究』565号掲載、京都、日本史研究会、2009年9月)72〜78頁
■「保元の乱の関白忠通」(朧谷壽・山中章編『平安京とその時代』所収、京都、思文閣出版、2009年12月22日)、415〜435頁
■「伏見城・城下町の研究史と陵墓問題」(大阪歴史学会見学検討会『伏見城研究の成果と課題』資料集所収、同学会、2010年5月29日
■「伏見城・城下町の研究史と陵墓問題」(『ヒストリア』第222号掲載、神戸、大阪歴史学会、2010年10月20日)、71〜86頁。
■「都の葬地」(西山良平・鈴木久男編『恒久の都 平安京』〈『古代の都』3〉所収、東京、吉川弘文館、2010年10月20日)、257〜280頁
■「西八条第の考古学的検討-平安京左京八条一坊-」(松藤和人編『考古学は何を語れるか』〈同志社大学考古学シリーズX〉所収、京都、同志社大学考古学シリーズ刊行会、2010年12月27日)343〜356頁。
■「平安時代前期の陵墓選地」(角田文衛監修・〈財〉古代学協会編『仁明朝史の研究-承和転換期とその周辺-』所収、京都、思文閣出版、2011年2月28日)、263〜288頁
■「京都都市遺跡の調査と保存」(『明日への文化財』65号掲載、所沢、文化財保存全国協議会、2011年6月15日)、12〜25頁。
■「須恵器の編年(1)西日本」(一瀬和夫・福永伸哉・北條芳隆編『古墳時代の考古学』1「古墳時代史の枠組み」所収、東京、同成社、2011年12月25日)、146〜159頁

■「原始社会の葬送と墓制〜古墳時代」「古代の葬送と墓制〜飛鳥・奈良時代から平安時代前期」(勝田至編『日本葬制史』所収、東京、吉川弘文館、2012年5月20日)、48〜90頁、91〜118頁。(同書執筆者:西澤明・若林邦彦・山田邦和・勝田至・木下光生・山田慎也)
■「伏見城跡(桃山陵墓地)の立入り調査」(「陵墓限定公開」30周年記念シンポジウム実行委員会編『「陵墓」を考える—陵墓公開運動の30年—』所収、東京、新泉社、2012年6月9日)、61〜85頁。(同書執筆者:宮川ススム・岸本直文・山田邦和・後藤真・茂木雅博・高木博志・谷口榮・今尾文昭・大久保徹也・森岡秀人・福島幸宏・坂靖・松尾信裕・仁木宏・丸山理・瀬畑源・宮瀧交二)。
■「伏見城とその城下町を訪ねて」(同志社大学京都観学研究会編『大学的 京都ガイド—こだわりの歩き方—』所収、京都、昭和堂、2012年11月5日)、257〜273頁。(同書執筆者:天野太郎・井上一稔・岩坪健・植木朝子・太田孝彦・神谷勝広・岸文昭・小枝弘和・佐藤郁子・鋤柄俊夫・高久嶺之介・竹居明男・田中励儀・仲井牧子・新見康子・西村卓・浜中邦弘・松本直子・武藤直・森川眞規雄・山田和人・山田邦和)。
■「森浩一 学の稜線—須恵器の編年」(深萱真穂・『歴史読本』編集部編『森浩一の古代史・考古学』所収、東京、KADOKAWA〈編集:中経出版〉、2014年1月24日)、116—123頁。(同書執筆者:森浩一、池内紀・小泉武夫・篠田正浩・宮崎美子・大塚初重・上田正昭・杉本憲司・和田萃・菅谷文則・野本寛一・前園実知雄・深萱真穂・中村潤子・寺沢薫・今尾文昭・山田邦和・菅原康夫・鋤柄俊夫・門田誠一・寒川旭・田中英夫・古川順弘。全207頁)。

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■調査報告

■同志社香里中・高等学校地歴部歴史班編、山田邦和・山中宏之・中学校地歴部執筆「硫黄島の歴史—伝説の島・鬼界ケ島—」(『郡』第7号所収、寝屋川、同志社香里中・高等学校地歴部、1975年9月)
■坪之内徹・中井公・大竹弘之・山田邦和編『古屋敷遺跡・飯岡横穴発掘調査報告書』(田辺町埋蔵文化財調査報告書第1集、京都府田辺町、田辺町教育委員会、1980年3月)
■加藤謙・山田邦和・池田宏子ほか編『園部盆地における考古学的調査—分布調査の成果・—』(京都、同志社大学考古学実習室園部町遺跡分布調査研究会、1981年3月)
■鈴木忠司・植山茂編、山田邦和ほか執筆『小池古墳群』(大宮町文化財調査報告書第3集、京都府大宮町、大宮町教育委員会、1984年3月)
■鈴木まどか・川西宏幸・辻村純代・山田邦和『エジプト・アコリス遺跡発掘調査概報1983年度』(京都、古代学協会、1984年9月)
■川西宏幸編、辻村純代・山田邦和ほか執筆『奈具岡遺跡発掘調査報告書』(京都、古代学協会、1985年3月)
■「遺物〜土器類」(『寺田遺跡発掘調査報告書』所収、京都、古代学協会、1985年3月)
■「京都府山城町椿井採集の須恵器」(『古代学研究』110号掲載、京都、古代学研究会、1986年3月)
■鋤柄俊夫編、山下俊郎・鋤柄俊夫・江浦洋・山田邦和ほか執筆『鴨谷池遺跡』(明石・京都、明石市教育委員会・同志社大学考古学研究室、1986年3月)
■川西宏幸・辻村純代・山田邦和・望月芳『エジプト・アコリス遺跡発掘調査概報1985年度』(京都、古代学協会、1986年9月)
■川西宏幸・定森秀夫・植山茂・山田邦和編『(仮称)精華ニュータウン予定内遺跡発掘調査報告書—畑ノ前遺跡・煤谷川窯址—』(京都、古代学協会、1987年3月)
■「清水新田窯址」(同志社大学考古学研究室編『明石市域の遺跡詳細分布調査』・所収、明石、明石市教育委員会、1987年4月)
■植山茂・山田邦和編『高倉宮・曇華院跡第4次調査』(平安京跡研究調査報告第18輯、京都、古代学協会、1988年3月)
■植山茂・山田邦和・南博史編『平安京左京三条四坊四町』(京都文化博物館(仮称)調査研究報告書第3輯、京都、京都文化財団、1988年3月)
■山田邦和編『平安京左京五条二坊十六町』(京都文化博物館調査研究報告第6集、京都、京都府京都文化博物館、1991年3月31日)
■南博史編、南博史・山田邦和・山下秀樹・大塚活美ほか執筆『宮ノ口遺跡』(京都文化博物館調査研究報告第10集、京都、京都府京都文化博物館、1993年3月)
■山田邦和編『平安京出土土器の研究』(古代学研究所研究報告第4輯、京都、古代学協会・古代学研究所、1994年12月)
■花園大学考古学研究室編(山田邦和・鎌田久美子執筆)『京都府与謝郡野田川町 幾地地蔵山遺跡現状調査報告書』(花園大学考古学研究報告第14輯、京都府野田川町・京都、野田川町教育委員会・花園大学考古学研究室、2005年3月

■山田邦和・村田昌也・河野凡洋・岡田啓司・成瀬光一「平安京右京一条四坊一・二町」(花園大学考古学研究室編『平安京右京二条三坊八町—花園大学構内調査報告VII—(附 平安京右京一条四坊一・二町)』〈花園大学考古学研究報告第15冊〉所収、京都、花園大学考古学研究室、2010年3月31日)、109〜124頁、PL29〜31(山田執筆分:111・124頁)。

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■展覧会図録

■京都文化博物館学芸第2課(片岡肇・鈴木忠司)編、片岡肇・鈴木忠司・山田邦和ほか執筆『気球があがった−近代京都の一世紀−』(京都、京都文化財団、1988年10月)
■京都文化博物館学芸第2課(片岡肇・藤本孝一・植山茂・山田邦和)編『大唐長安展—京都のはるかな源流をたずねる—』(京都、京都文化博物館、1994年9月)
■京都文化博物館学芸第2課(山田邦和)編『京都・激動の中世—帝と将軍と町衆と—』(京都、京都文化博物館、1996年11月)
■京都文化博物館学芸第2課(大塚活美・山田邦和)編『京の江戸時代—町人の社会と文化—』(京都、京都文化博物館、1998年4月)


■解説記事、エッセイ、その他

■「打虎亭漢墓見学記」(『古代学研究』91号掲載、堺、古代学研究会、1979年12月)
■山田邦和編「古代学研究総目録」(『古代学研究』100号掲載、京都、古代学研究会、1983年7月)
■「奈良時代の食器類」(『土車』第39号掲載、京都、古代学協会、1986年7月)
■「建久二年銘銅製経筒」(『土車』第45号掲載、京都、古代学協会、1988年1月)
■「特輯『飛鳥・白鳳時代須恵器の諸問題』に寄せて」(『古代文化』第40巻第6号掲載、京都、古代学協会、1988年6月)
■「北辰・北斗信仰論」(『土車』第50号掲載、京都、古代学協会、1989年4月)
■「七条の読み方“ヒチジョウ”」「七条はやはり『ヒチジョウ』」(『京都新聞』平成元年5月19日号「窓」欄・5月27日号「窓」欄掲載、京都、京都新聞社、1989年5月)
■「神島の護符」(『土車』第53号掲載、京都、古代学協会、1990年1月)
■「断章/富山市円隆寺の護符」(『古代文化』第42巻第3号掲載、京都、古代学協会、1990年3月)
■「断章/白井光太郎博士の墓」(『古代文化』第42巻第4号掲載、京都、古代学協会、1990年4月)
■「論文展望/装飾付須恵器の分類と編年」(『季刊考古学』第31号掲載、東京、雄山閣、1990年4月)
■「断章/描きなおされた物集女車塚古墳」(『古代文化』第42巻第5号掲載、京都、古代学協会、1990年5月)
■「シャンポリオンの墓をたずねて」(『古代文化』第42巻第6号掲載、京都、古代学協会、1990年6月)
■「城壁なき要塞都市—平安京の境界祭祀—」(『同朋』第 146号掲載、京都、同朋舎、1990年6月)
■「“たまご”を産んだ象」(『土車』第56号掲載、京都、古代学協会、1990年10月)
■「新刊紹介/森浩一著『交錯の日本史』」(『同志社時報』第90号掲載、京都、同志社、1990年11月)
■「断章/神護寺採集の須恵器」(『古代文化』第41巻第6号掲載、京都、古代学協会、1991年6月)
■「考古学のこわさ」(『ちくま』第246号掲載、東京、筑摩書房、1991年9月)
■「CHALLENGER/佐古和枝—考古学の新しい世界をめざして—」(『鳥取now』第12号掲載、鳥取、鳥取県広報連絡協議会、1991年11月)
■「異形の神像」(『土車』第61号掲載、京都、古代学協会、1992年1月)
■「新刊紹介/門田誠一著『海からみた日本の古代』」(『同志社時報』第94号掲載、京都、同志社、1992年11月)
■「読書/江上古代史のエッセンス〜江上波夫著『江上波夫の日本古代史〜〜騎馬民族説四十五年』」(『沖縄タイムス』1993年2月23日号夕刊掲載、那覇、沖縄タイムス社、1993年2月)
■「断章/韓国の護符」(『古代文化』第45巻第3号掲載、京都、古代学協会、1993年3月)
■「人物点描24/考古学の求道者・梅原末治」(『同志社大学広報』No.264掲載、京都、[同志社大学]広報委員会、1993年5月)
■「室町幕府の滅亡」(『土車』第67号掲載、京都、古代学協会、1993年7月)
■「京都の1200年」([朝日新聞社]書籍第2編集室編『ジュニア朝日年鑑』1994年版社会[学習]所収、東京、朝日新聞社、1993年9月)
■「書評『日本の古代遺跡』和歌山」(『和歌山地方史研究』25・26掲載、和歌山県岩出町、和歌山地方史研究会、1994年3月)
■「宇波多陵」「小野陵」「紙屋上陵」「甕」「小路」「巨幡墓」「嵯峨陵」「嵯峨山上陵」「相楽墓」「白河陵」「陶邑窯跡(1)」「朱雀大路」「醍醐陵」「高畠墓」「田原東陵」「月輪南陵」「後円教寺陵」「後清閑寺陵」「後深草陵」「後村上陵」「後山科陵」「後山階陵」「拝志墓」「薄葬」「氷室」「福原」「平安通志」「保(2)」「坊(1)」「坊(2)」「墓地」「菩提樹院陵」「保長(1)」「堀川」「輸入陶磁器」(角田文衞監修、古代学協会・古代学研究所編『平安時代史事典』本編[上][下]所収、東京、角川書店、1994年4月)
■「京都わたしの思い〜美しくカットされた宝石」(『京都みやこのうつろい』(アサヒグラフ別冊)所収、東京、朝日新聞社、1994年5月)
■「遷都物語」(『てんとう虫』第26巻第7号掲載、東京、アダック、1994年6月)
■「写真キャプション/平安宮跡出土の難波宮式瓦と内裏蔵人所町屋跡」「写真キャプション/平安宮の変容」「図版構成/キリシタンと南蛮文化」(高橋昌明責任編集『週刊朝日百科日本の歴史』別冊「歴史を読み直す」通巻12号『洛中洛外—京は“花の都”か—』所収、東京・大阪、朝日新聞社、1994年9月)(後、『朝日百科 歴史を読み直す』第3巻「中世」所収、東京、朝日新聞社、1996年11月)
■「長安の都を京都に再現 大唐長安展—京都のはるかな源流をたずねる—」(『日本の老舗』第177号掲載、京都、「日本老舗百店会」事務局、1994年10月)
■「小野毛人墓」「嵯峨野古墳群」「常盤仲之町遺跡」「天智天皇陵古墳」(大塚初重・桜井清彦・鈴木公雄編『日本古代遺跡辞典』所収、東京、吉川弘文館、1995年3月)
■「部会ニュース〜古代史部会/考古学と天皇陵[報告要旨]」(『日本史研究』第394号掲載、京都、日本史研究会、1995年6月)
■「切手と考古学」(『土車』第76号掲載、京都、古代学協会、1995年10月)
■「和書案内/森浩一著『食の体験文化史』」(農林水産省図書館編『農林水産図書資料月報』第47巻第2号[通巻第547号]掲載、東京、農林統計協会、1996年2月)
■「土の中昔むかし—考古学は語る—36 木津川と万葉集」「同41 平安京とコンピューター」「同42 都の中心部」「同43 人々の祈り」「同44 華麗な武将墓」(『京都新聞』1996年2月19日号・3月25日号・4月3日号・4月10日号・4月17日号掲載、京都、京都新聞社、1996年2〜4月)
■「源実朝と京都」(『ふかみくさ 大通寺報』第7号掲載、京都、大通寺、1997年3月)
■「BOOK・ほん/仁木宏著『空間・公・共同体—中世都市から近世都市へ—』歴史動かした都市の役割を」(『京都民報』1997年9月21日号[週刊第1800号]掲載、京都、京都民報社、1997年9月)
■「読書アンケート/歴史家・著名人89人に聞く わたしの出会った歴史書」(歴史書懇話会創立30周年記念 歴史書通信別冊『歴史の愉しみ—古代から現代へー』所収、1998年5月)
■山田邦和作成「秀吉の京都改造図」(『秀吉と京都—豊国神社社宝展』所収、京都、豊太閤四百年祭奉賛会豊国会・豊国神社、1998年5月)
■「伏見城とその城下町」(『京都市文化財だより』第30号掲載、京都、京都市文化市民局文化部、1998年10月)
■「BOOK・ほん/和田萃著『古代を考える 山辺の道—古墳・氏族・寺社—』 古代国家誕生の謎に誘い」(『京都民報』1999年4月18日号[週刊第1879号]掲載、京都、京都民報社、1999年4月)
■「就任にあたって」(『花園大学考古学研究室だより』35掲載、京都、花園大学考古学研究室、1999年6月)
■「論文展望/考古学からみた近世京都の墓地」(『季刊考古学』第68号掲載、東京、雄山閣、1999年8月)
■「『須恵器生産の研究』要旨」(『季刊考古学』第68号掲載、東京、雄山閣、1999年8月)
■「まちかど歴史散歩(1)日本最古のレール—九条山の車石」「同(2)酒呑童子の正体—老ノ坂峠、首塚大明神」「同(3)日本的経営の原点—伏見・宝塔寺の供養塔」「同(4)絵馬堂は宣伝ギャラリー—上高野・三宅八幡神社」「同(5)日本海の徐福伝説—丹後・伊根、新井崎神社」「同(6)丹波の笑い仏—京都・八木町、清源寺」「同(7)流罪にされた神—京都・下京、五条天神社」「同(8)信長の本当の墓—京都・阿弥陀寺」「同(9)鉄眼禅師の偉業—宇治・宝蔵院の一切経版木」「同(10)銀座、発祥の地—伏見の銀座町と京都の両替町」「同(11)躍動の宗教家—京都・長楽寺の一遍上人像」「同(12)渡来人の造ったダム—京都・嵐山の『葛野の大堰』」「同(13)内臓のある仏像—京都・嵯峨釈迦堂の釈迦如来」「同(14)『橋』を管理する寺院—京都・山城町の泉橋寺」「同(15)打ち割られた石仏—京都・洛西竹林公園の石仏群」「同(16)京の神田明神—四条西洞院の『膏薬図子』」「同(17)最後の前方後円墳—京都・太秦の蛇塚古墳」「同(18)木津川の流れ橋—京都府八幡市・久御山町の上津屋橋」「同(19)日本の始皇帝廟—京都・太秦の大酒神社」「同(20)中国から来た彫刻家—京都・黄檗山萬福寺の仏像群」(『歴史街道』平成11年5月号〜12月号・平成12年1月号〜12月号掲載、東京、PHP研究所、1999年5月〜2000年12月)
■「考古学への『誤解』」(『花園大学考古学研究室だより』36掲載、京都、花園大学考古学研究室、1999年12月)
■「『京都大火之略図』—蛤御門の変の『どんどん焼け』—」(『土車』第92号掲載、京都、古代学協会、2000年1月)
■「京都で学ぶ『考古学』」(後援会通信『ひしょう』第37号掲載、京都、花園大学、2000年3月)(同窓会通信『東涌西没』第75号掲載、京都、花園大学、2000年3月)
■森浩一・山田邦和 対談「森浩一の京都学事始め/平安京を取り巻く天皇陵(上)(中)(下)」(『京都新聞』2000年4月24日号〜26日号掲載、京都、京都新聞社、2000年4月)
■「花園大学考古学研究室の新体制」(『花園大学考古学研究室だより』37掲載、京都、花園大学考古学研究室、2000年6月)
■「シンポジウム『鳥羽殿をめぐる歴史空間—政治・交通・文化—』開催の趣旨」(『日本史研究』第460号掲載、京都、日本史研究会、2000年12月)
■「まちかど歴史散歩(21)男断ちの絵馬—京都・安井金比羅宮」「同(22)中世の市議会議事堂—京都・革堂と六角堂」「同(23)産屋の出産—京都府三和町・大原」「同(24)平安京の境界祭祀—京都・出雲路幸神社」「同(25)鴨川の治水神—京都・目疾地蔵仲源寺」「同(26)晴明の印を持つ石仏—京都・洛西竹林公園」「同(27)大山崎の油座—京都・大山崎町の離宮八幡宮」「同(28)則天文字の釣鐘—京都・華光寺」「同(29)京都への空襲—上京・山中油店の爆弾破片」「同(30)岩倉の磐座—京都・山住神社」「同(31)京都の関羽さま—芝薬師大興寺」「同(32)京の玄関に立つ魔除け—陶化小学校の石敢当」(『歴史街道』平成13年1月号〜12月号掲載、東京、PHP研究所、2001年1月〜12月)
■「歴史への窓/考古学の先駆者 平塚飄斎の俳句」(『花園史学』第21号掲載、京都、花園史学会、2001年3月)
■「読書/『ようこそ考古学の世界へ』佐古和枝著—学問への楽しげな水先案内—」(『京都新聞』2001年4月1日号掲載、京都、京都新聞社、2001年4月)
■「『姓廃止論』と『姓自由選択論』」(『人権教育研究室報』第18号掲載、京都、花園大学人権教育研究室、2001年4月)
■「文明学の知の結晶〜『梅棹忠夫著作集』」(『人権教育研究室報』第18号掲載、京都、花園大学人権教育研究室、2001年4月)
■「平安京に安倍晴明を探せ!」(『歴史と旅』第28巻第6号掲載、東京、秋田書店、2001年6月1日)、52〜57頁
■「最新検証 伏見—豊臣期大名屋敷配置再現—」(歴史群像シリーズ 戦国セレクション『風雲 伊達政宗』所収、2001年6月)
■「読書/『長岡京研究序説』山中章著—10年に凝縮された宮都の意義—」(『京都新聞』2001年5月13日号朝刊掲載、京都、京都新聞社、2001年5月)
■「角田文衞先生との『出会い』」(角田文衞先生米寿記念会編『角田文衞博士の学風と軌跡』、京都、角田文衞先生米寿記念会、2001年6月)
■「序文」「花園大学歴史博物館の創設」(花園大学考古学研究室20周年記念論集編集委員会編『花園大学考古学研究論叢—花園大学考古学研究室20周年記念論集—』所収、京都、花園大学考古学研究室20周年記念論集刊行会、2001年6月)
■「オピニオン解説・提言/古墳以外の天皇陵に光を」(『京都新聞』2001年8月7日)号朝刊掲載、京都、京都新聞社、2001年8月)
■「晴明が生きた時代の都を解く—平安京、朱雀大路と羅城門、都の中枢・大内裏、天皇の居所・内裏」「リアルイラスト 鳥瞰 平安京」(歴史群像シリーズ65『安倍晴明—謎の陰陽師と平安京の光と影—』所収、東京、学習研究社、2001年10月)
■「本集めのススメ」(『花園大学考古学研究室だより』40掲載、京都、花園大学考古学研究室、2001年11月)
■「考古学と『捏造』問題」(『花園』第52巻第3号掲載、京都、妙心寺派宗務本所花園会本部、2002年3月)
■「須恵器の生産と流通」(各務原市埋蔵文化財調査センター編『かかみ野古代史紀行 講義禄』2所収、各務原、各務原市埋蔵文化財調査センター、2002年3月)
■「歴史における人権感覚、または『武士嫌い』の私」(『花園大学人権教育研究センター報』創刊号〈通巻20号〉掲載、京都、花園大学人権教育研究センター、2002年4月)
■「大改造 伏見」「鳥瞰イラスト 秀吉の京都」(歴史群像シリーズ 戦国セレクション『驀進 豊臣秀吉』所収、東京、学習研究社、2002年4月)
■「京都造形芸術大学編 京都学への招待—京都の歴史の新しいスタンダード」(『京都民報』2002年6月16日号〈週刊第2037号〉掲載、京都、京都民報社、2002年六6月)
■「大学博物館は『知の宝庫』 CGや復元イラストを駆使した最新の歴史学を体験してみませんか」(『蛍雪時代』第72巻第5号掲載、東京、旺文社、2002年7月)
■「考古学史資料の収集」(『土車』第101号掲載、京都、古代学協会、2002年7月)
■「梅原末治—考古学の求道者—」(『同志社山脈—113人のプロフィール—』所収、京都、晃洋書房、2002年11月)
■「まちかど歴史散歩(33)日本最古の安倍晴明塚—京都・嵯峨野の晴明塚」「同(34)木喰養阿上人の社会活動—京都・五条坂の安祥院」「同(35)備前から渡ってきた狛犬—京都・鳥辺山の妙見堂」「同(36)時宗が造ったリゾート地—京都・円山公園の安養寺」「同(37)室町幕府の『国分寺』—京都・東山の八坂の塔」「同(38)安兵衛さんの御遺言—京都・清荒神護浄院の石碑」「同(39)残虐行為のプロパガンダ—京都・瑞泉寺の豊臣秀次墓」「同(40)天に昇った天皇—京都・山科の天智天皇陵」「同(41)室町将軍の壮大な墓所—京都・相国寺慈照院と足利義政墓」「同(42)秀吉、最期の夢—京都新城跡」「同(43)北陸からわたってきた墓石—京都・本満寺」「同(44)市民総出の労働奉仕—京都・御霊神社の砂持図」(『歴史街道』平成14年1月号〜12月号掲載、東京、PHP研究所、2002年1月〜12月)
■「酒呑童子の大江山」(『国立能楽堂』第234号掲載、東京、日本芸術文化振興会、2003年2月)
■「まちかど歴史散歩(45)中世博多の繁栄—京都・長仙院の朝鮮鐘」「同(46)幻の京都大仏—京都・東福寺」「同(47)押し寄せる文明開化—京都府八幡市・内神社」「同(48)近世京都の大動脈—京都・正行院の竹田街道図絵馬」(『歴史街道』平成15年1月号〜4月号掲載、東京、PHP研究所、2003年1月〜4月)
■「考古学への道」(『ねんげ』第22号掲載、京都、花園大学宗教部、2003年3月)
■「追悼 山下秀樹氏〜山下秀樹さんのウィスキーボンボン」(京都文化博物館研究紀要『朱雀』第15集所収、京都、京都府京都文化博物館、2003年3月)
■「土蜘蛛伝説と源頼光」(『国立能楽堂』第236号掲載、東京、日本芸術文化振興会、2003年4月)
■「平安京—四〇〇年間の隆盛を誇った王城—」「戦国京都—覇権の象徴として存在した聖地—」(歴史群像シリーズ〈69〉『歴代天皇全史』所収、東京、学習研究社、2003年5月)
■街道聞き語り「山河襟帯の都、平安京は鴨川、桂川が潤す・千年の水都・」(『週刊日本の街道』52「京都・賀茂街道」所収、東京、講談社、2003年5月)
■「『都市』としての中世大寺院」(京都仏教会会報『京佛』第74号掲載、京都、京都仏教会、2003年5月)
■「伊達宗泰博士の逝去」(『花園大学考古学研究室だより』43掲載、京都、花園大学考古学研究室、2003年6月)
■「山科本願寺・寺内町研究会編 掘る・読む・あるく 本願寺と山科二千年—山科に密着した地域研究の見事な結実」(『京都民報』2003年6月15日号[週刊第2088号]掲載、京都、京都民報社、2003年6月)
■「平安京の陰陽道関連地図」(京都文化博物館・郡山市立美術館・読売新聞大阪本社編『安倍晴明と陰陽道展』所収、大阪、読売新聞大阪本社、2003年7月)
■「新刊紹介〜『僕の古代史発掘』森浩一著」 (『同志社時報』第116号掲載、京都、学校法人同志社、2003年10月)
■「沖縄の旅から」(『花園大学人権教育研究センター報』第4号〈通巻23号〉掲載、京都、花園大学人権教育研究センター、2003年12月)
■まちかど歴史散歩「(49)平安京の巨大墓地—京都国立博物館の馬町十三重塔」「(50)古代の福祉施設—平安京の悲田院」「(51)複製された石仏—京都・百万遍知恩寺の阿弥陀仏経碑」「(52)両墓制の誕生—京都・北区大森の『大森惣墓』」「(53)恵美押勝の最期—滋賀県高島町・乙女ヶ池」「(54)城づくり名人の隠し石—京都府木津川河川敷の大坂城残石」「(55)天才少年の算額—京都府長岡京市長岡天満宮」「(56)室町将軍亡命す—滋賀県高島郡朽木村の旧秀隣寺庭園」(『歴史街道』平成15年5月号〜12月号掲載、東京、PHP研究所、2003年5月〜12月)
■「私の『大和考古学散歩』」(『地域と古文化』刊行会編集事務局〈編〉『挽歌—伊達宗泰先生追悼録—』所収、〈発行地不明〉、挽歌—伊達宗泰先生追悼録—刊行会、2004年4月)
■「みやこの近代(84)(85)スウェーデン皇太子来洛す(上)(下)」(『京都新聞』2004年〈平成16年〉7月1日号〈朝刊〉・7月8日号〈朝刊〉掲載、京都、京都新聞社、2004年7月)
■「平安京検非違使庁跡顕彰碑の建立」(『わかな』23号掲載、京都、社団法人紫式部顕彰会、2004年7月)
■「平安京の陰陽道関連地図」(斎藤英喜著『安倍晴明—陰陽の達者なり—』所収、京都、ミネルヴァ書房、2004年10月)
■「米軍ヘリ墜落事件の現場にて」(『花園大学人権教育研究センター報』第6号〈通巻25号〉、京都、花園大学人権教育研究センター、2004年12月)
■まちかど歴史散歩「(57)土器づくりの里—京都・木野の愛宕神社」「(58)東本願寺の『大橇』—京都・東本願寺」「(59)瑞鳳殿下の古墳来臨—京都・天塚古墳」「(60)湖水を臨む前方後円墳—京都・桃山黄金塚2号墳」「(61)都の中の荘園—京都・西院春日神社」「(62)中世都市のシンボル・ゲート—京都・天龍寺門前の『天下龍門』」「(63)中国皇帝の子孫を名乗る儒者—京都府園部町の君賜墓地」「(64)京の神代三陵—京都・蚕の社と文徳天皇田邑陵」「(65)伏見城下町の大名屋敷地名」「(66)平安京の計画と実際—京都市右京区花園の西京極大路跡」「(67)石塔になった石棺—京都・六波羅蜜寺の阿古屋塚」「(68)巨大な群集墳—京都府宇治市木幡古墳群」(『歴史街道』平成16年1月号〜12月号掲載、東京、PHP研究所、2004年1月〜12月)
■「歴史ドラマの中での貴族と武士」(『花園大学人権教育研究センター報』第7号〈通巻26号〉掲載、京都、花園大学人権教育研究センター、2005年4月)
■「花園大学の特色ある授業(6)京都学概論」(同上)
■まちかど歴史散歩「(69)水底に沈んだ中世の村—京都府八幡市木津川河床遺跡」「(70)苦悩から歓喜へ—京都・伏見の後崇光院太上天皇陵」「(71)異形の神像—京都・広沢1号墳の石像」「(72)美貌の女院の死—京都・養源院と後白河天皇陵」(『歴史街道』平成17年1月号〜4月号掲載、東京、PHP研究所、2005年1月〜4月)
■「平安京の須恵器」(『創造する市民』第85号所収、京都、京都市生涯学習振興財団、2005年10月)
■「考古学の古書コレクション」(『花園大学考古学研究室だより』48掲載、京都、花園大学考古学研究室、2005年11月)
■「暗澹たる沖縄—2005年の旅から—」(『花園大学人権教育研究センター報』第8号〈通巻27号〉掲載、京都、花園大学人権教育研究センター、2005年12月)
■山田邦和監修「東山七条の歴史」(「ハイアットリージェンシー京都」ウェブサイト、2006年公開、http://www.hyattregencykyoto.com/astoryofhigashiyamashichijo/history/index.php)
■「原爆を投下されかけた京都」(『花園大学人権教育研究センター報』第9号〈通巻28号〉掲載、京都、花園大学人権教育研究センター、2006年4月)
■「平安京の平家邸宅」(『国立能楽堂』第272号掲載、東京、日本芸術文化振興会、2006年4月)
■「『平家物語』の時代を主導した女人—建春門院平滋子—」(『国立能楽堂』第273号掲載、東京、日本芸術文化振興会、2006年5月)
■「中世墓地研究への想い」(『花園大学考古学研究室だより』第49号掲載、京都、花園大学考古学研究室、2006年6月)
■「日本人が描いたピラミッド」(『花園史学』第27号掲載、京都、花園史学会、2006年11月)
■「伊江島—龍の火焔」(『花園大学人権教育研究センター報』第10号〈通巻29号〉掲載、京都、花園大学人権教育研究センター、2006年12月)
■「平安京創世館クイズ」第1回(『まなびすと』創刊号掲載、〈京都〉、〈京都市生涯学習総合センター〉、〈2006年12月〉)
■「平安京の須恵器」(『平安京講話—京都市平安京創生館ガイドブック—』所収、京都、京都市生涯学習振興財団、2007年1月)(再録)

■「かんぎこういん 歓喜光院」「じゅらくてい 聚楽第」「しょうかどう 松花堂」「ずいしんいん 随心院」「せんにゅうじ 泉涌寺」「ふくちやまじょう 福知山城」「へいあんきゅう 平安宮」「へいあんきょう 平安京」「へいあんつうし 平安通志」「へぬし 戸主」「ほ 保」(小野正敏・佐藤信・舘野和己・田辺征夫編『歴史考古学大辞典』所収、東京、吉川弘文館、2007年2月)、300・589・601・643・687・1004〜1005・1031〜1032・1032・1034・1042・1044頁
西本昌弘・仁藤敦史・北村優季・村木二郎・山田邦和・山中章(司会)、仁藤敦史・北村優季・西本昌弘・山田邦和・山中章・中島信親・吉川真司・榎村寛之・鈴木拓也・三上喜孝・高橋美久二・網伸也・北野博司・村木二郎(発言)「シンポジウム『律令国家転換期の王権と都市』」(『国立歴史民俗博物館研究報告』第134集〈「律令国家転換期の王権と都市」論考編〉所収、佐倉、国立歴史民俗博物館、2007年3月30日)357〜414頁
■「退任の辞」(『花園大学考古学研究室だより』特別号掲載、京都、花園大学考古学研究室、2007年4月1日)1頁
■「地名を殺すな!」(『花園大学人権教育研究センター報』第11号〈通巻30号〉掲載、京都、花園大学人権教育研究センター、2007年4月1日)55・56頁
■「桓武伝承〜桓武陵」(国立歴史民俗博物館編『長岡京遷都—桓武と激動の時代—』図録 所収、佐倉、同博物館、2007年10月)26〜27頁
■「平安京創世館クイズ」(『まなびすと』、〈京都〉、〈京都市生涯学習総合センター〉)
■「第4回 平安京創生館クイズ」(『まなびすと』Vol4.掲載、京都、京都市生涯学習総合センター、2008年1月)
■「考古学者スウェーデン皇太子入洛」(丸山宏・伊従勉・高木博志編『みやこの近代』所収、京都、思文閣出版、2008年3月)(「みやこの近代(84)(85)スウェーデン皇太子来洛す(上)(下)」〈『京都新聞』2004年〈平成16年〉7月1日号〈朝刊〉・7月8日号〈朝刊〉掲載、京都、京都新聞社、2004年7月〉の補訂再録)。
■「コンスタンティノポリスの思い出」「ニュース」(『土車』第116号掲載、京都、古代学協会、2008年3月)
■「例会要旨 中世都市嵯峨の復元」(『人文地理』第60巻第4号掲載、京都、人文地理学会、2008年)
■「第5回 平安京創生館クイズ」(『まなびすと』Vol5.掲載、京都、京都市生涯学習総合センター、2008年4月)
■「『源氏物語』の平安京—固定概念にとらわれない真実の姿求めて—」(『京都民報』第2336号〈2008年5月25日号〉掲載、京都、京都民報社、2008年5月)
■「学界消息〜角田文衞氏の訃」(『日本歴史』第724号掲載、東京、吉川弘文館、2008年9月)
■山田邦和(監修・文)「リアルイラスト 【鳥瞰】秀吉時代の京都」(『決定版 図説 戦国合戦地図集』〈「歴史群像シリーズ」特別編集〉所収、東京、学習研究社、発行年不記載〈2008年〉)、(「鳥瞰イラスト 秀吉の京都」〈歴史群像シリーズ 戦国セレクション『驀進 豊臣秀吉』所収、東京、学習研究社、2002年4月〉の再録)。
■「第6回 平安京創生館クイズ」(『まなびすと』Vol6.掲載、京都、京都市生涯学習総合センター、2008年9月)
■「民族で見る貴州」(西幹夫〈写真〉、黒川美富子〈紀行文編集〉『中国貴州省 少数民族の暮らしと祭り—苗族・トン族・プイ族・老漢族の村々を行く—』所収、京都、文理閣、2008年9月)
■「平安京大図解」(村井康彦監修、京都新聞出版センター編『平安京と王朝びと—源氏物語の雅び—』所収、京都、京都新聞出版センター、2008年10月)
■「森浩一先生の知的格闘技」(『森浩一先生傘寿記念 大寿祝賀文集』所収、枚方、古代学研究会、2008年11月)
■「銅鏡の国」(宮崎興二・小町谷朝生・細矢治夫編集『日本文化のかたち百科』所収、東京、丸善 、2008年12月)
■「角田文衞博士の古代学」(『古代文化』第60巻第4号掲載、京都、古代学協会、2009年3月)
■「求めよ、さらば与えられん」(『Chapel』第14号掲載、京都・京田辺、同志社女子大学宗教部、2009年3月)
■「平安京と京都」(地球の歩き方MOOK『京都の歩き方』所収、東京、ダイヤモンド・ビッグ社、2009年3月)
■山田邦和(監修)、黒澤達矢(イラスト)「鳥瞰:平安京」(歴史群像シリーズ特別編集『最新古代史論』所収、東京、学習研究社、2009年4月)
■「京都で学ぶ歴史」(『Vine』Vol.50掲載、〈京田辺〉、同志社女子大学、2009年4月)
■「最終回 平安京創生館クイズ」(『まなびすと』Vol.8掲載、〈京都〉、〈京都市生涯学習総合センター〉、2009年4月)
■「都市遺跡としての京都」(文化財保存全国協議会第40回記念京都大会実行委員会編『文化財保存全国協議会第40回記念京都大会 都市遺跡の調査と保存・活用・整備 予稿集』所収、〈大阪〉、文化財保存全国協議会、2009年6月)
■「平安京復元模型製作の思い出」(『まなびすと』Vol.10掲載、〈京都〉、〈京都市生涯学習総合センター〉、2010年1月)、13〜15頁。
■「古代史料と考古学—飛鳥〜平安時代の考古学の方法—」(松藤和人・門田誠一編『よくわかる考古学』所収、京都、ミネルヴァ書房、2010年5月20日)、114〜117頁。
■「〔わが街—大学のある風景〕京都の南郊、歴史遺産の宝庫—京都府京田辺市—」(『大学時報』第59巻333号〈通巻348号〉、東京、日本私立大学連盟、2010年7月20日)、104・105頁。
■「京都の天皇陵と私」(『鴨東通信』No.78掲載、京都、思文閣出版、2010年6月30日)6・7頁。
■山田邦和(イラスト監修・文)・香川元太郎(イラスト)「城郭都市『伏見』—壮大な構想に基づいて改造された『豊臣政権の首都』—」(歴史群像シリーズ特別編集『【決定版】図説 戦国女性と暮らし』所収、東京、学研パブリッシング、2011年2月15日)80〜83頁。
 ←山田邦和(イラスト監修・文・香川元太郎(イラスト))「最新検証 伏見—豊臣期大名屋敷配置再現—」(歴史群像シリーズ『【戦国セレクション】風雲 伊達政宗』所収、2001年6月の再録)。
■山田邦和・鈴木忠司「あとがき—研究会の意義と経過—」(角田文衛監修・〈財〉古代学協会編『仁明朝史の研究—承和転換期とその周辺—』所収、京都、思文閣出版、2011年2月28日)、335〜339頁。
■山田邦和・茂木雅博「陵墓報告」(『日本考古学協会会報』No.172掲載、東京、日本考古学協会、2011年3月1日)、22〜25頁(3—〈2〉を茂木、それ以外を山田〈山田執筆分22〜24頁〉)。
■「陵墓報告」(『日本考古学協会会報』No.173掲載、東京、日本考古学協会、2011年8月1日)、49〜51頁。
■「『古代学協会60年史』刊行」(『土車』第122号掲載、京都、古代学協会、2011年9月30日)、1頁。
■「寺町通の魅力」(「第15回寺町美術まつり」〈チラシ〉掲載、京都、寺町美術祭り実行委員会、2011年10月21日)、表面。
■「『福原遷都』はなかった」(高橋昌明編『平清盛—王朝への挑戦—』〈『別冊太陽 日本のこころ190』〉所収、東京、平凡社、2011年11月25日)、116〜118頁。
■「読書/パズル 森浩一著『天皇陵古墳への招待』」(『京都民報』2011年11月27日号〈第2513号〉掲載、京都、京都民報社、2011年11月27日)、6頁。
■「現代考古学事情8 天皇陵問題」(『月刊考古学ジャーナル』No.622〈2011年12月号〉掲載、東京、ニューサイエンス社、2011年12月30日)、38・39頁。
■「陵墓報告」(『日本考古学協会会報』No.175掲載、東京、日本考古学協会、2012年3月1日)、18〜19頁。
■「遺産のなりたち—寺社の創建と復興のスポンサー—」(『週刊日本の世界遺産』第4号「特集 古都京都1」所収、東京、朝日新聞出版、2012年4月29日)、28・29頁。
■森岡秀人・谷口榮司会、宮川ススム・岸本直文・山田邦和・後藤真(パネラー)、坂靖・今尾文昭・高木博志・松尾信裕・仁木宏・丸山理・福島幸宏(会場より発言)「討論・」、森岡秀人・山田邦和司会、今尾文昭・高木博志・大久保徹也・谷口榮・茂木雅博(パネラー)、瀬畑源・丸山理・宮瀧交二・岸本直文・宮川ススム(会場より発言)「討論II」(「陵墓限定公開」30周年記念シンポジウム実行委員会編『「陵墓」を考える—陵墓公開運動の30年—』所収、東京、新泉社、2012年6月9日)、105〜129頁・263〜308頁。〈「ススム」=「?」〉
■「歩いて楽しむ京都の歴史」(『中日新聞』連載、名古屋、中日新聞社)
 ・「平安京の中心 —大極殿の跡地で想い馳せ—」(2010年3月27日号朝刊)31頁。
 ・「祇園祭のピラミッド —江戸時代の人々、異国の風景に驚愕—」(4月3日号朝刊)、23頁。
 ・「一遍上人の踊り念仏 —都の貴賤の熱狂を呼び起こす—」(4月10日号朝刊)、17頁。
 ・「平安京の医療施設 —貧民や孤児にも恩恵の手のべる—」(4月17日号)、27頁。
 ・「京都御所 —秀吉の統一後から拡張重ねる—」(4月24日号朝刊)、15頁。
 ・「失意の公家の偉業 —平安京研究、寛政の御所再建に光—」(5月1日号朝刊)、15頁。
 ・「もうひとつの三十三間堂 —鳥羽法皇に寄進、伊勢平氏栄達—」(5月8日号朝刊)、14頁。
 ・「最初の足利幕府 —二条高倉に尊氏の邸宅と等持寺—」(5月15日号朝刊)、29頁。
 ・「ふたつの伏見城 —震災受け再建、秀吉 最期の居城—」(5月22日号朝刊)、26頁。
 ・「テロに倒れた政治思想家 —坂本龍馬に大きな影響与える—」(5月29日号朝刊)、15頁。
 ・「大覚寺の大沢池 —中国・唐 長安城の庭園を写す—」(6月5日号朝刊)、17頁。
 ・「安祥寺上寺跡 —険しい山中に眠る平安時代の寺院跡—」(6月12日号朝刊)、17頁。
 ・「山科の山階寺跡 —奈良に移転して興福寺となる—」(6月19日号朝刊)、23頁。
 ・「二条城と堀川 —幕府の威信示す祝祭空間を持つ城—」(6月26日号朝刊)、15頁。
 ・「江戸時代の三角五輪塔 —発掘された中宮賢子の骨蔵器で波紋—」(7月3日号朝刊)、25頁。
 ・「藤森神社の早良親王伝説 —非業の皇子に捧げた鎮魂歌—」(7月10日号朝刊)、16頁。
 ・「西大谷の笏谷石灯籠 —熱心な信仰、越前から奉納—」(7月17日号朝刊)、15頁。
 ・「近衛天皇陵 —薄幸の天皇が眠る多宝塔—」(7月24日号朝刊)、15頁。
 ・「京都大学北部構内遺跡の火葬塚 —火葬所と埋納所の二つの・「陵」—」(7月31日号朝刊)、27頁。
 ・「因幡堂の薬師如来 —火難に備え『脱出装置』背負う—」(8月7日号朝刊)、13頁。
 ・「下鴨神社の御手洗祭 —清流に涼を求め盛夏をしのぐ—」(8月14日号朝刊)、12頁。
 ・「蛤御門の変(上) —御所奪還をはかり長州軍が猛攻—」(8月21日号朝刊)、15頁。
 ・「蛤御門の変(下) —巻き添え市民、恨みより温情さえ—」(8月28日号朝刊)、13頁。
 ・「六道珍皇寺の勧進柄杓 —賽銭集め、中世から変わりまへん—」(9月4日号朝刊)、17頁。
 ・「安部晴明の邸宅跡 —『土御門町』の町名になごり—」(9月11日号朝刊)、17頁。
 ・「天龍寺の殺生禁断碑 —隣接地も境内並みの聖地に—」(9月18日号朝刊)、27頁。
 ・「日蓮宗の宗教大学 —学僧多くて私有陶磁器に名前—」(9月25日号朝刊)、16頁。
 ・「六孫王神社の源氏大名たち —われこそは・・・と血統や家格誇る—」(10月2日号朝刊)、30頁。
 ・「幕末の宣伝戦争-京朱雀野立札 —先手で世論つかんだ新政府軍—」(10月9日号朝刊)、26頁。
 ・「決められなかった天皇陵 —乱立する候補地に苦渋の決断—」(10月16日号朝刊)、22頁。
 ・「平安博物館 —ユニークな日本初の『研究博物館』—」(10月23日号朝刊)、22頁。
 ・「"日本一長い地名" —それ自体が生きた文化遺産—」(10月30日号朝刊)、16頁。
 ・「閑院内裏跡 —鎌倉時代も首都として機能—」(11月6日号朝刊)、16頁。
 ・「藤原頼長の桜塚 —兄と骨肉の争い 惨めな敗死に—」(11月13日号朝刊)、24頁。
 ・「幕末の大野屋 —小藩の壮大な夢支えた総合商社—」(11月20日号朝刊)、15頁。
 ・「因幡堂の二体の石仏 —作者は木食僧・但称 意外な出会い—」(11月27日号朝刊)、26頁。
 ・「等持院の足利歴代将軍像 —第十代を空白とする独自の数え方—」(12月4日号朝刊)、17頁。
 ・「飯岡東原古墳の須恵器 —考古学者としての基礎学ぶ契機に—」(12月11日号朝刊)、22頁。
 ・「清水寺の梟塔 —手水鉢の下を覗くと鳥の彫刻—」(12月18日号朝刊)、20頁。
 ・「足利義満の北山新都心 —豪華絢爛なミニ平安京だった—」(12月25日号朝刊)、23頁。
■「歩いて楽しむ京都の歴史」(『中日新聞』連載、名古屋、中日新聞社)
 ・「粟生光明寺の法然上人石棺 —別々の蓋と身を組み合わせた—」(2011年1月8日号朝刊)18頁。
 ・「膳所藩邸の観亀神社 —秋葉大権現を祀った"消防署"の遺跡—」(2011年1月15日号朝刊)15頁。
 ・「平治の乱と三条東殿 —暴挙・・・ 殺戮の限りを尽くす—」(2011年1月22日号朝刊)22頁。
 ・「女子教育の先駆 —元九条家の御殿を転用して開校—」(2011年1月29日号朝刊)19頁。
 ・「紫野の衣懸塚(上) —平安京の葬地 蓮台野の遺構か—」(2011年2月5日号朝刊)14頁。
 ・「紫野の衣懸塚(下) —天皇陵巡りの古写本にヒント—」(2011年2月12日号朝刊)11頁。
 ・「畠山図子 —将軍御所の近くに遊女町が—」(2011年2月19日号朝刊)23頁。
 ・「『西院』の地名 —賽の河原? いや離宮? 今は犀?—」(2011年2月26日号朝刊)17頁頁。
 ・「壬生寺と壬生官務家—朝廷の文書を守り続ける—」(2011年3月5日号朝刊)、17頁。
 ・「北野天満宮の竃社—供物の調理に活用された大釜—」(2011年3月12日号朝刊)、29頁。
 ・「京都御苑の宗像神社(上)—花山院からの伝統を受け継ぐ—」(2011年3月19日号朝刊)、12頁。
 ・「京都御苑の宗像神社(中)—皇太子の要求に道長も絶句—」(2011年3月26日号朝刊)、23頁。
 ・「京都御苑の宗像神社(下)—美と信仰と愛を選んだ"帝王失格者"—」(2011年4月2日号朝刊)、15頁。
 ・「西大谷のめがね橋—美しき"全円アーチ"の白眉—」(2011年4月9日号朝刊)、17頁。
 ・「北野の経王堂—義満、『我が世の春』の巨大建築—」(2011年4月16日号朝刊)、15頁。
 ・「慶長の大地震と東山大仏(上)—秀吉の権力の象徴も崩れる—」(2011年4月23日号朝刊)、17頁。
 ・「慶長の大地震と東山大仏(下)—さらなる悪夢、人災を呼ぶ—」(2011年4月30日号朝刊)、11頁。
 ・「桑原町—住む人いないが厳然と『存在』—」(2011年5月7日号朝刊)、17頁。
 ・「葵祭—境界またぐ警備キッチリ—」(2011年5月14日号朝刊)、18頁。
 ・「北野天満宮の野見宿禰社—菅原道真の祖先のヒーロー—」(2011年5月21日号朝刊)、14頁。
 ・「『七条』の発音—『シチ』でなく『ヒチ』が伝統—」(2011年5月28日号朝刊)、17頁。
 ・「二条富小路内裏—建武の新政の本拠地—」(2011年6月4日号朝刊)、22頁。
 ・「尊良親王墓—前代未聞 3人の天皇併存—」(2011年6月11日号朝刊)、16頁。
 ・「白山神社—清盛と後白河法皇が対立—」(2011年6月18日号朝刊)、17頁。
 ・「宴松原—予定地は無用となり・・・—」(2011年6月25日号朝刊)、15頁。
 ・「蹴上発電所—クリーンで安全に運転—」(2011年7月2日号朝刊)、19頁。
 ・「建春門院と法住寺殿(上)—平家の栄華支えた女性—」(2011年7月9日号朝刊)、17頁。
 ・「建春門院と法住寺殿(下)—後白河法皇と並んで埋葬—」(2011年7月16日号朝刊)、15頁。
 ・「二尊院の空公行状碑—渡来人が築いた文化—」(2011年7月23日号朝刊)、15頁。
 ・「丹波マンガン記念館—過酷な史実 再び公開—」(2011年7月30日号朝刊)、17頁。
 ・「清浄華院の横死者供養塔—天明大火の犠牲者鎮魂—」(2011年8月6日号朝刊)、12頁。
 ・「深草の秦氏と伏見稲荷大社—経済に明るく東国と交易か—」(2011年8月13日号朝刊)、13頁。
 ・「青蓮院の胞衣塚—赤子を守り、役目を終えて—」(2011年8月20日号朝刊)、15頁。
 ・「孝明天皇陵—過去の栄光を求めて—」(2011年8月27日号朝刊)、15頁。
 ・「大炊道場聞名寺—目の不自由な人たちの拠り所—」(2011年9月3日号朝刊)、14頁。
 ・「本居宣長と京都—憧れの都で充実した日々—」(2011年9月10日号朝刊)、13頁。
 ・「宇都宮蓮生と三鈷寺—鎌倉武士が創建に尽力—」(2011年9月17日号朝刊)、17頁。
 ・「西本願寺の梵鐘—悲劇の政治家 信西が銘文—」(2011年9月24日号朝刊)、9頁。
 ・「二条城(上)—家康の自信表す小ささ—」(2011年10月1日号朝刊)、17頁。
 ・「二条城(下)—行幸に備えて増改築—」(2011年10月8日号朝刊)、17頁。
 ・「持明院御所—天下の主にふさわしい姿に—」(2011年10月15日号朝刊)、19頁。
 ・「高山寺と仁和寺—苦難の日々 指し示す金堂—」(2011年10月22日号朝刊)、17頁。
 ・「千本閻魔堂の擬宝珠(上)—漫然とした観察を反省—」(2011年10月29日号朝刊)、19頁。
 ・「千本閻魔堂の擬宝珠(下)—伏見城を飾り立てる?—」(2011年11月日5号朝刊)、14頁。
 ・「深泥池東岸窯跡の須恵質陶棺—京阪の窯業の関連示し貴重—」(2011年11月12日号朝刊)、19頁。
 ・「蛇塚古墳と『新・平家物語』—横穴式石室が銀幕に出現—」(2011年11月19日号朝刊)、16頁。
 ・「矢田寺と蛸薬師堂の絵馬—神仏と信者 つなぐ懸け橋—」(2011年11月26日号朝刊)、17頁。
 ・「吉田初三郎と京都—自由自在、大胆な構図—」(2011年12月3日号朝刊)、17頁。
 ・「天保の豊年踊—思い思いに仮装して乱舞—」(2011年12月10日号朝刊)、19頁。
 ・「赤山禅院の比叡山境界石—領地めぐる深刻な紛争の跡—」(2011年12月17日号朝刊)、15頁。
 ・「鴨川西岸文明開化地帯—研究開発 新しい時代へ—」(2011年12月24日号朝刊)、9頁。
 ・「望楼をもつ小学校—新時代、教育こそが必要—」(2012年1月7日号朝刊)、15頁。
 ・「石清水八幡宮の青山祭—疫神もてなし、侵入を防ぐ—」(2012年1月14日号朝刊)、15頁。
 ・「毘沙門堂の灯籠—徳川家光の霊廟から移転—」(2012年1月21日号朝刊)、17頁。
 ・「秀吉はなぜ将軍にならなかったのか(1)—『源氏でなかったから』は俗説—」(2012年1月28日号朝刊)、19頁。
 ・「秀吉はなぜ将軍にならなかったのか(2)—『野心なし』・・・ 情報源に疑問—」(2012年2月4日号朝刊)、16頁。
 ・「秀吉はなぜ将軍にならなかったのか(3)—軍事力だけによる征服に失敗—」(2012年2月11日号朝刊)、17頁。
 ・「秀吉はなぜ将軍にならなかったのか(4)—足利義昭とのビミョーな関係—」(2012年2月18日号朝刊)、15頁。
 ・「秀吉はなぜ将軍にならなかったのか(5)—当代一流の策士、今出川晴季—」(2012年2月25日号朝刊)、19頁。
 ・「秀吉はなぜ将軍にならなかったのか(6)—晴季から羅山へ、秘話が伝わる?—」(2012年3月3日号朝刊)、19頁。
 ・「平清盛の西八条第—貴族が住む都市空間の象徴—」(2012年3月10日号朝刊)、25頁。
 ・「仏国寺古墓の石槨—史料との巡り合わせに感激—」(2012年3月17日号朝刊)、17頁。
 ・「平安京検非違使庁址—自宅敷地に顕彰碑と説明板—」(2012年3月24日号朝刊)、16頁。
■「禁門の変と京都御苑」(『京都御苑ニュース』第122号掲載、京都、一般財団法人国民公園協会、2014年6月1日)、1頁。
■「資料編—同志社女学校の成立と近代京都」(吉海直人・小山薫・大島中生・山田邦和・天野太郎執筆『新島八重研究会講演集』所収、京田辺、同志社女子大学、2014年6月14日)、181—188頁。
■「同志社女子大学の二条家邸跡と二条斉敬」(天野太郎・小山薫・小崎眞・村瀬学・大島中生・清水久美子・鳥越碧・山田邦和・吉海直人執筆『新島八重×同志社女子大学 コラム集』所収、京田辺、同志社女子大学、2014年6月14日)、83—85頁。(山田邦和「同志社女子大学の二条家邸跡と二条斉敬」〈同志社女子大学ウェブサイト「教員による時事コラム」掲載、京田辺、同志社女子大学、2013年5月14日公開〉の再録)。
■「角田文衞『西洋古代史(1934年)(1)』主旨」(『古代文化』第65巻第4号掲載、京都、古代学協会、2014年3月30日)、90—92頁。
■「角田文衞『西洋古代史(1934年)(3)』補註」(『古代文化』第66巻第2号掲載、京都、古代学協会、2014年9月30日)、117頁。
■「角田文衞『西洋古代史(1934年)(4)』補註」(『古代文化』第66巻第1号掲載、京都、古代学協会、2014年12月30日)、123頁。
■「角田文衞博士と岸本綾夫将軍市長そして『マンガの神様』手塚治虫」(『土車』第127号掲載、京都、古代学協会、2014年11月30日)、2・3頁。
■「角田文衞『平安京の都市プラン—生きている平安京—』解説」(『土車』第127号掲載、京都、古代学協会、2014年11月30日)、5頁。

 

【インターネット配信】
山田邦和「江戸時代の平安京研究」(http://kyo-own.kyoto-be.ne.jp/js/user/run_pageopen_action.do?areaid=01&menuid=193&servicekb=0&routetype=1&pgmode=guest)(2007年3月15日講演、於京都府立総合資料館「府民講座」)(京都府企画環境部スポーツ生涯学習室「生涯学習総合ネット」)88分
■山田邦和(出演)『ポッドウォーク Pod Walk』「大塚由美が歩く メイド in ニッポン!〜平安王朝絵巻 宇治のまちへGO!〜」
 ファイル2(http://www.mbs1179.com/podcast/p0412/archives/10669.html)、
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 ファイル5(http://www.mbs1179.com/podcast/p0412/archives/10733.html)、
 ファイル6(http://www.mbs1179.com/podcast/p0412/archives/10742.html)

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