■ 京都歴史案内■
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京都が日本の歴史と文化にはたした役割を、ご一緒に考えていきませんか。
京都歴史案内では、京都の隠れた史跡、年中行事などを紹介していきたいと思っています。
まずは京都の歴史をざっと概観してみましょう。

平安京の誕生

 794年(延暦13)、今の京都の地のあちこちでは、建築の槌音がにぎやかに響いていました。できたばかりの道路には、たくさんの瓦を積んだ荷車がひっきりなしに行き来します。やがて、朱塗りの柱の上に緑色の瓦をのせた壮麗な宮殿が姿を見せはじめました。時の帝、桓武天皇が新しい都の造営を決意したのです。10月28日、天皇はこの新しい都で遷都の宣言を発布しました。平安京の誕生です。

 平安京は、華やかな王朝文化の舞台であるとともに、多数の庶民たちのたくましい生活の舞台でもありました。はじめの頃の平安京の人口は10万人程度でしたが、それが12世紀には15万から20万人近くにまで増加したようです。やがて、町の重心は次第に平安京の東半分(左京)へと移動するようになりました。計画都市平安京は、町の成熟とともに自然にその姿を変えていったのです。

都市民の祭典

 12世紀末、鎌倉に武士の政権(幕府)が開かれました。しかし、京都は日本最大の巨大都市としての地位を譲りわたしはしませんでした。鎌倉・室町時代の京都は、日本の商業と工業の中心でもありました。京都では刀・甲冑・織物といった工業生産品、そしてその中でもとびきりの高級品がどんどん作られていたのです。そうした産物は、京都の商人たちによって全国へ、また海外へと運ばれていきました。

 15世紀には応仁の乱という内戦があり、京都の市街のほとんどが焼けました。しかし、京都は不死鳥のように再生します。この立役者となったのは、力をたくわえつつあった商人を中心とする新興の市民階層です。彼ら市民たちは、みずからの繁栄を高らかにうたいあげたパレードをおこないました。今も華やかにおこなわれている祇園祭がこれです。

 天下をねらう戦国大名たちも、みんな京都をめざしました。彼らにとって、京都の文化、京都の産業、京都の情報収集力、そして京都の天皇や将軍のもつ伝統的な権威は、すべてあこがれの的でした。京都を支配することはそのまま、天下をとることでありました。

三つの都

 江戸幕府が倒れ、明治天皇は東京へ移りました。京都にとって、天皇が去ったことは大きな衝撃であした。しかし、京都の市民と政治家はこの危機に敢然と立ち向かい、京都を見事な近代都市として生まれ変わらせました。

 現在の京都は人口約150万人、日本で6番目の大都市です。その意味で、京都をお寺や神社ばかりの「古都」だと考えるのは大きなまちがいです。京都はいつの時代も、最も古いものと最も新しいものが共存する、活力にみちた都市でした。京都が魅力的なのは、単に古い文化財が多いからではありません。それは、うつくしい自然と長い歴史、そして豊かな文化が、現代の巨大都市の中になんの矛盾もなく調和しあって存在しているからなのです。

 平成6年、平安京ができて1200年目の記念すべき年でした。建都1200年を祝うさまざまな楽しいイベントが、京都の町全体を舞台として繰り広げられました。市内ではまた、日本を代表する知能を集めた研究所、世界的な音楽芸術の中心となるホール、未来都市を思わせるような駅、最先端の技術を駆使した博物館、大規模な国際施設などが続々と建設されつつあります。京都は今、21世紀に向かって猛烈なダッシュを始めています。日本のあたらしい「文化の首都」をめざして。



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